第19話 美少女転校生 1
精神は肉体に影響を受ける。
さながら、器によって形を変える水のように。
「…………美人は三日で慣れるというけど、まさか、それが自分の体にも適用されるとは思わなかったね、まったく」
全身鏡に映っているのは、美少女の一糸まとわぬ裸体だ。
肩まで伸びた金髪は、金糸で編まれたかの様。陶磁の如く艶やかな肌。すらりと伸びた手足。やや、成長途上の起伏に乏しい体つき。澄んだ蒼穹を連想させる碧眼。
ただ、顔つきだけは、美しいそれに草臥れた笑みが張り付いている。
私だ。
間違いなく、鏡に映った少女は私だ。
けれど、山田吉次ではない。
天宮照子という、16歳の少女として、私は生きていることになっている。
「わぁお、セクシー! キュート! 照子ちゃん、可愛い♪ ……なーんて、阿呆らしい。自分の体に興奮なんて出来ないし。そろそろいい加減、見飽きたところだ。うん、さっさとシャワーを浴びよう」
浴室のドアを開けて、私はシャワーを浴びる。
シャワーは最初、肌を刺すような冷たい水だったが、しばらくして直ぐに温かなお湯へと変わったので、安心して頭からそれを浴びた。
うむ、流石は機関が用意してくれた高級賃貸だ。
これが安物の賃貸だった場合、中々お湯に変わらず、ぷるぷると裸で震えながら水を出し続けなければいけないところだったぜ。
「…………別に、安物でもいいと思うんだけどなぁ」
私は体を十分に温めたら、賃貸に付属して付いてきた高級シャンプーやらボディーソープを見て複雑な気分になる。
諸事情により、この賃貸は無料で私に対して貸し出されているのだが、無論、条件は多すぎる程に有った。この高級シャンプーやら、ボディーソープもその内の一つ。一見すると、これらは市販品のように見えるのだが、実際の中身は違う。
私が、『魔物にとって理想的な器である肉体』を持つ私が、魔物を引きつけないようにするための魔除けの効能がある、特別製なのだ。
ある程度の自由を持つ代わりに、こういう些細な日常の不自由を強いられる立場なのが、現状の私というわけである。
もっとも、私の他にもこういう代物を使っている者は結構居るらしく、これらの魔除け、禊ぎの洗浄剤は多種多様だったりするので、そこまで不自由は感じないのだが。
むしろ、確実にアラサーのオッサンだった時よりも充実しているまであるね。
「ふぃー。やっぱり、朝シャンは気分が良いぜぇ」
ただし、頭髪や体の洗い方などはあまり、変わっていない。
ぶっちゃけ、そこまで気を遣うのが面倒という意識はあるが、この肉体がおかしいのだ。
普通、汗をかけば、汚いし、臭い。だというのに、この肉体からはそういう匂いではなく、別種の香木に似た香りが出るらしい。私としては全然気づかないのだが、この香りは周囲の魔物に対して、『失せろ、雑魚が』という意思表示をしているらしく、これで魔物が逃げ回って大変だったという記憶もある。
更には、寝癖がいつの間にかきちんと整えられていたり、と。
どうやらこの肉体は、勝手に肉体の美を保つために、自動的に魔力を操作して肉体を整備しているようなのだった。
「はぁああ、面倒くさい」
なので、実は機関の方からはきちんと身綺麗にして、美容を整えろ、という指示も出ていたりする。
湯上りの肌に、ぺちぺちと美容液を不慣れな手つきで叩きつけているのもその所為だ。
無害な魔力操作であるものの、自分の意志ではなく、無意識にそれをやっているというのが上層部からすれば問題らしい。
確かに、ランクB相当の肉体強度を持つ器が、無害とはいえ本人の意志に沿わずに動く部分があるのは不安視されることなのだろう。例えそれが、呼吸やら瞬きの延長線上にある物だとしても。
「さて、と」
身支度を整えたならば、最後に髪を後ろで束ねておく。
特に、ポニーテールが好きというわけでは無いのだが、他の髪型を試すほど今の肉体をエンジョイしているわけでは無いので、慣れるまではずっとポニーテールで行く予定だ。
なお、仕事着はスーツであるが、流石に部屋着まで男物だとサイズが合わなかったり、なんとなく着心地が悪いので、ボーイッシュに寄った女物である。芦屋……いや、彩月と一緒に買い物をした時に、散々言い争った末に、この形に落ち着いたとも言える。
「ふんふふふふーん♪」
これはささやかな自慢なのだが、私は目覚まし時計が無くとも、狙った時間に起床することが可能な特技を持つ。そして、それは肉体が変わっても変わらない。
朝は余裕を持って行動するために、心掛けるべきは早起き。
早く起きて、体を綺麗にして。
朝食はちょっとだけ、凝った物を作る。
この時、肝心なのは『ちょっとだけ』という意識だ。テンションが赴くままに、己の料理欲を満たすと、時間がかかる上に結果、朝食には重たいものを作ってしまう。
故に、私が作っているのはオムレツだ。
たかがオムレツ? と侮るなかれ。卵料理は目玉焼きから始まり、一筋縄ではいかない物ばかり。一つ一つの工程を丁寧にこなさなければ、出来上がるのは最終的にボロボロのスクランブルエッグだけである。
「ほいっと」
きちんと時間と材料の分量を正確に測り、私は無事に綺麗な形のオムレツを作り上げることに成功した。
ポイントは、たっぷりと卵とバターを使うこと。バターは、最初はその量にドン引きするかもしれないが、躊躇ってはいけない。美味しさとは、引き換えに何かを失う物なのだから。
その代わり、味付けはシンプルな塩コショウで充分。
素材の味をしっかりと出していこう。
後はー、ベーコンの余りを軽く焼いてー、味噌汁はだしパックと適当な具材を煮込んで、味噌を溶かせばオーケー。ご飯は米の品質と、炊飯器の値段が高ければ充分。
おっと、漬物を忘れてはいけない。サイドメニューであるが、キャベツの浅漬けなどがあると、なんとなく食事に潤いが増すのだ。
「おふぁようごりゃいましゅ……」
「おはようございます、美作支部長」
私がご飯を用意し終える頃に、同居人――美作支部長が寝間着姿で起きてきた。
しかし、安心して欲しい。寝間着と言っても、肌着や露出の多い物ではない。可愛らしい兎のマスコットがちりばめられているパジャマだ。
…………そんな女児みたいなパジャマを着た年下の上司が、ふにゃふにゃの口調で、寝癖を付けたまま、食卓に付く。
いけない。
仕事時のクッソ真面目な姿とのギャップで和んでしまいそうだ。
「では、いただきます」
「いたらきましゅ……」
年下の上司との同居。
傍から見れば、中の良い姉妹に見えるかもしれないが、実際は違う。もちろん、この短期間の間に、私が美形の上司を落とせるような男気なんてあるわけもなく。
私が、美作支部長と暮らしているのは、単純に監視と保護だ。
この肉体は本来、天照大御神というランクAの魔神を収めるはずだった器。つまり、私の魂さえ何とか外に出せば、ランクAの魔神を器に入れて現世に定着させる可能性がある代物なのである。
密かに暗躍する魔人集団に、犯罪組織がこの情報を知れば、いつ襲撃して来てもおかしくないというのが現状だろう。
そのため、近場で用意できる最高戦力である美作支部長が、私の監視兼護衛として一緒に暮らしてくれているのだ。
「もぐ、もぐ、もぐ……ずずずっ……」
「お口に合いますか?」
「うみゃいれしゅ……」
そう、強いのだ、美作支部長は。
少なくとも、治明や彩月からも『自分たちよりも数段上の次元の強さ』と太鼓判を押すほどに強いと聞いている。
なんかちょっと、寝起きでふにゃふにゃしているが、多分きっと、いざという時は即座に仕事モードに入ってくれるはずだ。
…………そして、これは言われていないことなのだが、私が推察していること。
恐らく、美作支部長は私の『処理役』でもある。
完全死亡からの復活。
止めることが出来ない異能。
魔神の器。
これだけの不安要素が三つミックスされていれば、誰だって最悪の事態は考える。私だってそうする。
むしろ、機関が私にこういう対応を取ってくれて、少し安心していた。
二度と不覚を取るつもりは無い志はあるが、それはあくまでも精神的な話。現実的に考えて、新人でまだまだ素人が抜けきっていない私が何もかも万全にこなせるわけがない。
私がしくじった時、処理をしてくれる人が居るという事実は、私の精神を安定させてくれる物だった。
だからまぁ、同居人が毎朝こんなんでも、しっかりとご飯を作るよ! いざという時に対する打算も含めた媚びだけれどね。
「ごちそうさまでした」
「はい、お粗末様でした」
などと考えている内に、美作支部長の食事は終わった。
いくらか食事を食べて調子が戻って来たのか、既に呂律が回らないということは無くなり、目もキリっとして来ている。ただし、寝癖とパジャマは変わらない。
「…………ふぅ。やはり、誰かに作って貰える朝食とは良い物です」
「あははは、確かに、一人暮らしだとどうしても、自分だけが食べる料理は『餌』というか、腹を満たすだけの物になりますからね?」
「ええ。よく、ゼリー飲料だけで朝を済ませたり」
「それは体に良くないので駄目ですね」
「あ、はい」
美作支部長と同居を始めて、二週間ほどが経過した。
当初は、お互いにぎこちなく、気恥ずかしさや、心の距離があるために露骨に戸惑っていた私たちであるが、ようやく慣れてきた感がある。
ただ、それは即ち、遠慮が無くなって来ているということなので、段々と美作支部長が体裁を取り繕わなくなってきたということなのだが。
最初の三日間はこう、めっちゃ『プライベートもしっかりしている女性』みたいなスタイルを装ってクールぶっていたのに、今ではすっかりこれだよ。もはや、朝食担当は私固定で、夕食担当が美作支部長という役割分担が出来てしまっているのだ。
「ところで、天宮さん」
「はい、なんでしょうか? 美作支部長」
「少々、今後の任務に関してお話があります」
とはいえ、きちんと仕事着に着替えれば、毅然とした態度に戻るのだから、やはり、公私をきっちりと分けた社会人だと思う。
そう、朝食も終え、互いに仕事着に着替えた後、私は美作支部長に呼び止められた。
先ほどまでの緩んだ表情は一切なく、仏頂面で私の目を見て話している。
「今後、貴方の肉体の変化も考慮して、機関から特命が下りました」
「特命というと…………極秘任務ですか?」
「ええ、『極秘任務をしている』というカバーが与えられますが、貴方自身が、何かを為す必要はありません」
「…………んんー、つまり、スパイを炙り出したい、と?」
「概ねそのように考えて貰っても構いません」
例の『懐古主義』が仕掛けた襲撃には、何者かが糸を引いている影があった。
ランクBの魔人の封印を解く手段やら、ランクの高い魔人を揃える準備。加えて、境界ならざる場所に於いてランクAの魔神を召喚する用意があったことから、機関はかなりの力を持った組織が背後で動いていると判断したらしい。
けれども、相手も中々痕跡は残さない。私がボコボコにして、機関が捕えた『懐古主義』の人員を調べても、わかる情報は限られている。
よって、こちらから私という囮を用意して、相手を誘い出す判断なのだろう。
「機関の一部から情報が抜かれている。ならば、何処から抜かれているのかを判別するために、わざと中身の無い極秘任務に従事させて、スパイをかく乱。その間に膿み出しですか。ついでに、黒幕が私の動きに引っかかってくれればよし、と。なるほど、分かりました。それで、具体的にはどのような動きをしてみせればいいので?」
「話が早くて助かります」
機関の考えに、私も概ね賛同していた。
姿の見えぬ相手に対して疑心暗鬼になるよりも、こちらから動いて正体を探った方が良い。そのための必要なリスクが私にかかるのであれば、それは上等だ。
他の誰かを、子供たちを危険に晒すよりもよっぽど気分が良い。
「決行は三日後。機関が指示した施設に潜入して貰います。難しいことは考えなくていいので、その場に溶け込めるように動いてください」
「了解。生まれ変わった私の力、存分に発揮してやりますよ」
私は生まれ変わった顔で、微笑んで見せた。
きっと、とても上手に笑えていたことだろう。
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三日後。
「初めまして、皆さん! 私は天宮照子! 好きな物は白玉あんみつ。嫌いな物はパクチーです。今日からよろしくお願いします!」
私は正式に女子高生になっていた。




