第13話 美少女に至るまでの前日譚 13
現世と異界は影響し合う関係にある。
異界の侵略者が、現世の者たちに影響を与えるように。
現世の者たちの思念が、願いが、憎悪が、祈りが、異界で新たなる存在を造り出すこともある。そう、姑獲鳥という妖怪のように。
人類の歴史上に登場する、数多の妖怪、幻獣、怪異、神々、あるいは悪魔たちすらも、元を正せば、現世の影響によって生まれた者だ。
あるいは、神と呼ばれる者たちは逆かもしれないが、その真実を知る者は少ない。
肝心なのは、そうして誕生した魔物たちは、それぞれ思念に応じた力を持つということだ。
『あいつらが憎い』
『我が物顔で、私たちを蹂躙する奴らが』
『刀を持つ武者たちが』
『力を持つ者共が』
『呪われろ』
『食われろ』
『私たち以上の理不尽を受けて、恐怖の中で死ね』
彼もまた、そうした思念に影響を受けて誕生した魔人だった。
時は戦国。
極東の小さな島国では、飽きもせずに天下を狙って殺し合う武士たちが沢山。
その武士たち……力を持つ者の都合によって振り回される『弱き者』の憎悪、祈るような殺意を受けて、彼は誕生した。
全ては、食らうために。
力を。
理不尽を。
刀を。
噛み砕いて、食らって、蹂躙して。
情け容赦なく、全てを蹂躙してしまえという人々の破滅願望に応じて力を得た、彼の魔人が心の内に抱く願いは一つ。
「あぁ――力ある者たちを殺し、踏みにじり、たらふく食らってやりたい」
蹂躙。
皮肉なことに、より多くの『弱き者』を生み出すことになる、蹂躙劇こそ、彼の魔人が抱く唯一の欲望だった。
●●●
「…………化物、どもめ。貴様らの、手では、死なん……っ!」
学生退魔師の戦闘は五分ほどで終了した。
時間稼ぎを目的としていた、魔人たちは両方とも討ち取られ。残りの魔術師も、逃げきれぬほどの劣勢と見るや否や、即座に己の頭部を魔術で消し飛ばして死亡した。
「これだから、懐古主義者は嫌いなのよ」
「そうか? 俺は面倒が無くていいと思うが。拷問技術は習ってはいるが、専用の異能者に比べれば非効率的な事この上ないからな」
「どちらにせよ、ワタクシたちの勝利です…………さっさとあいつを助けに行きましょう」
一方、学生退魔師たちに目立った傷はない。
彩月の狩衣には、汚れこそ付着しているものの、白玉の如き肌には擦り傷一つない。
治明は剥き身の刃を曝け出し、刀を油断なく構えているが、その刀身には血油一つ残っていない。周囲の床に、焼け焦げた跡があるのみ。
エルシアに至っては、二人の背後に守られる形で戦っていたので、傷など付きようがない。
つまるところ、学生退魔師たちの勝利と言えるだろう。
この場の戦闘のみに限れば。
「そうね、エルシアちゃん。私が確認に行ってくるから、治明と貴方は、ここでさらなる襲撃者が居ないか、警戒を……っ!」
それは、学生退魔師たち三人が、ほぼ同時に感じた悪寒だった。
人間が本来持つ生存本能、その根底に訴えかけるような悪寒。仮にも、脅威度ランクCの魔人たちに無傷で勝利した者たちが、感じる本能的な脅威。
即ちそれは、解けるはずの無い封印が、解かれてしまったことを意味している。
「治明」
「おうよ…………悪いな、エルシア。不本意かもしれねぇが、吉次を頼むわ」
「…………はい」
よって、三者の間で、判断は一秒にも満たない間に行われた。
封印されていた魔人、『刀食らいの鬼』に対する情報を持ち、優れた援護能力を持つ彩月は外せない。加えて、再び魔道具を用いて封印を施す術を知っているのは、この場に於いて彩月のみ。故に、彩月は絶対に外せない。
そして、同じく、治明も外せない。
この状況に於いて、前衛を外すということは即ち、自殺と同じなのだからだ。
脅威度ランクBという存在を分かりやすく例えるのならば、人の形をした殲滅兵器だ。一般人では絶対に討滅不可能な存在であり、また、退魔師であったとしても、『二つ名』を持つ者が、複数人で対処に当たらなければならないほどの存在。
基本的に、機関が定める脅威度というのは、ランクが高くなればなるほど、その間の隔たりが大きくなる。
例えば、FとEの脅威の差に比べれば、EとDの脅威の差が大きい。
つまり、脅威度ランクCの魔人に完全勝利出来る程の実力を持った退魔師が、脅威度ランクBの魔人に勝利できるとは限らないということだ。
何せ、脅威度ランクBの魔人は、単独で『一つの地方を殲滅する』可能性を持つ埒外の魔物なのだから。
それこそ、神話や昔話に出て来る、英雄でしか打ち滅ぼせない怪物のように。
「エルシアちゃんは、無事に離脱出来たみたいね?」
「ああ。これで、吉次が生き延びてくれれば、言うこと無いんだがな」
「その時は、全部終わったらお祝いでもしましょうか?」
「いいねぇ。鍋食おうぜ、鍋。全員でさぁ」
「そうね。その時は、私も腕によりをかけて振る舞わせて貰うわ」
「ほう。彩月の手作り料理なんざ、久しぶりだ。こりゃあ、なんとしても生き残らないと」
エルシアを見送った後、二人は互いに背中を合わせながらその時を待つ。
軽口を叩くのは余裕の証ではなく、誘いのために。
学生退魔師たちは、一つの戦場を制したものの、戦略的には明らかに敗北していた。
解けるはずの無い封印が解かれた。
それが意味することは即ち、最悪の場合……否、順当に考えて、脅威度ランクAという、絶対に勝てない相手が姿を現す可能性があるということ。
最良の可能性を考えれば、ランクAの力が及ぶ『何か』によって、封印は解かれて、封印を解いた者自体はさほど力を持たない。もしくは、封印の解除に特化し、戦闘能力を持たない者がこれを行った、など、様々な希望的な観測は浮かぶ。
けれども、二人の退魔師は知っている。
幼い頃から、退魔を生業とした家に生まれた者同士だからこそ、理解している。
戦場に於いて、希望的観測は即ち、己の願望が投影された現実逃避に過ぎないということを。
「おうおうおう、現代の退魔師とやらも、腑抜けてねぇようだなぁ」
まず、戦場に展開した結界を管理する彩月が気づいた。
ぺちぺち、という素足で廊下を歩く音と、その足音の主が、何の躊躇いもなく結界内部へ足を踏み入れてきたことを。
「ひ、ひひひひ、こいつぁ、オレも退屈せずに済みそうだなぁ、おい。寝起きに食うには、骨が折れるかもしれねぇが、ああ、そうともさ」
次に、治明がそれを視認した。
廊下の奥から素足で歩く魔人の姿を。
体格自体は小柄だ。治明よりも、彩月よりも小さい。エルシアよりも、少し背丈が上回る程度で、何も知らぬ者からすれば、それは襤褸切れを纏った怪童に見えるかもしれない。
鋼鉄よりも硬質的な赤銅色の肌に、針金を束ねたような黄髪。人間のそれには、到底思わぬ、剥き出しの牙。何より、額から伸びる雄々しき角を持つ者。
鬼。
強き者。
かつて、まつろわぬ者として、あらゆる暴虐を尽くした種族の魔人を。
「寝起きに、ごちゃごちゃ喧しいことをほざく、うるせぇ奴よりは、美味そうだ」
悠々と歩いてくる『刀食らいの鬼』は、無造作に手に持った何かを床に放り投げた。
べちり、と生々しい音と共に落ちたそれは、人間の右手だ。肘から下を無理やり引きちぎったかのような凄惨な傷口の、右手。
恐らく、この腕の主はもはや生きてはいない。
「だからまぁ、安心しろ? 今代の退魔師ども。ここから先、テメェらが戦うのは、このオレのみ。おまけに、このオレは、寝起きでへろへろ。本来の力なんざ、出せやしねぇ。精々、全盛期の四割ぐらいかねぇ?」
『刀食らいの鬼』は、笑う。
自らを封印から解放した術者を食らい、何の慈悲も無く殺した魔人は笑う。
赤く濡れた口で、二人の退魔師を嗤う。
「だから、安心して――――テメェらの弱さを思い知ってから、死ね」
傲慢かつ、暴虐な言葉を放ち、『刀食らいの鬼』は跳ぶ。
床全体が軋み、一部が削り取られるほどの力で跳び、一瞬にして治明との距離を肉薄。その赤き魔手を、力任せに振るう。
「ぐ、お…………獄炎開花ァ!」
「おうおうおう。なんだ、テメェ? いい反応だなぁ、おい!」
その一撃に対して、治明は白炎を纏わせた刃で応えたが、通らない。
鋼鉄の塊だろうとも、バターを熱したナイフで切るように軽々と切断する、炎と刃の組み合せが、通らない。
ぎぃん、というまるで金属同士がぶつかり合った音が、赤銅色の肌から聞こえて、刃が肉に食い込んでいかないのだ。
「だがなぁ、おい。刀? どんな名刀、魔剣の類かぁ、知らんが、刀はいけねぇぜ? おう、知ってんだろ? オレの持つ名前の意味、知ってんだろうが? あ? ひょっとして、違うのか? 知らねぇのか? ま、どっちでもいいわな」
赤銅色の肌が、硬質的な音を鳴らしながら、刃を押していくという異常。
加えて、治明が何よりも驚いたのが、己の炎すらも通らなかったことだ。
治明が扱う炎は、かつて、人を救い、魔を滅ぼした『同類殺しの魔人』が扱った魔法に属する物だ。
癒すつもりで人に与えれば、人の傷や疲れを焼き払って。
殺すつもりで魔物に放てば、相手の魔力を油のように絡めとって、術者である治明が意図しなければ決して消えぬ討滅の炎となる。
だというのに、燃え移らない。
『刀食らいの鬼』の肌に焼け焦げた痕が残るものの、着火しない。
「どっちにせよ、テメェらはこれからオレに食われるんだからよぉ! ひひひひ!!」
「……ちぃっ!」
尋常ならざる怪力によって、繰り出される肉体による乱撃。
それは、一撃によって大地を震わせ、金剛すら軽々と砕く威力を秘めた、まさしく人外の攻撃だった。
辛うじて、治明が受け続け、時に、反撃として刃を振るうことが可能であるのは、治明もまた、人外の領域に達している退魔師だからに他ならない。
並大抵の退魔師であれば、最初の一撃で、血しぶきとなって死んでいるだろう。
「人界の守護者が、異界の侵略者へ告げる――――退去せよ。ここは、汝らの領域ではない」
「お、おおおう!?」
そして、当然、治明と肩を並べる退魔師である彩月もまた、人外の領域に達した存在だ。
即席に結界の効果を書き換え、たった一体の鬼に対するあらゆる弱体化、行動制限を付与する物へと、展開し直したのだから。
それは本来、着物の糸を解き、違う形へ編み直すが如き繊細さと手間暇がかかる術式。それを、治明が注意を引いていたとはいえ、戦場の緊張の中、僅かな時間で為せる術ではない。
治明と彩月。
両者とも、若くして、凡百が百年かかってもたどり着けない領域へと辿り着いた、恐るべき才能の持ち主である。
「ひ、ひひひひっ! 面白くなって来たなぁ、おい! んじゃあ、一丁ぉ―――真面目に、殺そうかァ!!」
しかし、その才能を持ってしても圧されるのが、脅威度ランクBの魔人だ。
彩月が付与した弱体化や妨害を受けてもなお……否、それでようやく。治明が『刀食らいの鬼』による猛攻を凌いでいるというのが現状。
「治明! 奴には武具を用いた攻撃を通さない性質があるわ! それを頭に入れたうえで、戦いなさい!」
「了解! っと…………そうは言っても、だ」
刀を巧みに振るいながら、治明は敵対者の性質を見抜く。
魔力量。性質。能力。格闘技術。判断力。それらを総合的に判断し、瞬時に結論を導き出した。
「スデゴロでアンタの猛攻を防げるかというとな…………なぁ? 三秒ぐらい、目を瞑ってくれない? その内に、殺すから」
「ひひひひっ! テメェが刀を捨てたら、考えてやるよ!」
分が悪い。
それが治明の出した結論であり、正確に戦力差を測って導き出した結論だった。
無論、治明が即座に素手を用いた炎熱での攻撃に移らないところを見て、彩月もすぐにこの劣勢には気づいている。
故に、この劣勢を覆すための問題は一つ。
――――誰が、どれだけ命を削るのか?
「治明。相手が遊んでいる内に、準備だけはしておきましょう。状況に応じて、切り札を」
「…………了解」
強大な敵を前にして、二人の学生退魔師は覚悟を決める。
奇しくも、その覚悟は二人とも一致していた。
自分が命を削って、勝負を決めるという覚悟を。
互いに、自分が『削る側』になって負担を引き受けようとする、すれ違った覚悟を抱いていたのだった。




