第116話 侵色同盟 8
抉れた大地。
爆心地。
腰の高さよりも、大きい建物などは無く、全てが残骸。
ほんの一週間前まで、ここで人が暮らしていたとは思えないほどの戦闘跡。
だが、これは主に魔物たちによる物ではない。この街の建物と引き換えにして、使役された魔神の一体を討伐することを選んだ、たった一人の人間による破壊の痕跡である。
「うわぁ」
この破壊の跡を見て、まだ一般よりの退魔師であるエルシアは、ドン引きの声を出した。
何せ、関東の方の応援にやってきて。その集合予定地が更地になっていたのだから、それはもう、ドン引きの一つや二つは仕方ないことだろう。
「あー、エルシア。言っておくが、魔神の中でも上位はマジでやべぇんだ。人が残っているならともかく、無人の建物ぐらいなら後で修復も効くだろうし……だから、別にうちの支部長が実は、破壊魔だったというわけではないんだぞ?」
そして、ドン引きするエルシアをフォローするのは、相棒たる治明だ。
治明はつい最近、戦闘特化の武神を討伐したばかりなので、その脅威で間近で体験している。本来、脅威度ランクA上位などは、国家存亡クラスの災害だ。それを確実に排除できるのであれば、一旦、街を更地にすることなどはむしろ、軽い犠牲の内に入ると知っているのである。
「理屈では納得しているのです。ですが、ワタクシは理解できていませんでした。美作支部長が普段戦わないのは、こういう理由からなのですね?」
「失礼ですね、エルシアさん。これでも、破壊に関しては手慣れているので、大きな建物から豆粒大の破壊まで調整が可能なのです。今回の場合は、敵が魔神であるが故に、安全策を取った結果と言えるでしょう」
一方、この破壊を作り出した張本人である和可菜は、部下であるエルシアからの視線に、仏頂面で応えていた。
「私が普段、戦わない……いえ、戦えないのは上層部の一部から制限を受けているからです。元々フリーなので、支部長の中ではあまり信用されていない方なのでしょう。出来るのならば、田舎町の支部長で飼い殺しにしたかったというところで、この神代回帰です。上層部としても、私を運用するのは苦肉の割なのかもしれません」
「はっ! 使える戦力を遊ばせておくなんざ、上層部も面倒な真似をしていたもんだな」
「秩序のための組織ですから。過剰な力は制限されるか、封印される物なのです。天宮さんを見れば、よくわかるでしょう?」
淡々と答える和可菜に、これ見よがしに悪態を吐く治明。
和可菜は自身が所属する組織の方針に納得しているのか、特に感情を乱さず。けれども、身近にその『秩序』の所為で不自由を受けている同僚が居る治明としては、不快の表情を隠さない。
「もっとも、この神代回帰でそれも話が変わるでしょうが。既に、現代の秩序は破壊されました。現代の人間のほぼ全てが、魔物の存在を意識してしまった。人類に、変革の時期が訪れています。特に、神域と化してしまった日本では、保守派よりも力を求める急進派が台頭し始めるでしょう」
「んじゃあ、美作支部長も昇進するのか?」
「いえいえ、私のような小人にはこれ以上の責務は荷が重いです。なので、今まで通り、貴方たちの支部長として働かせていただきます」
「…………照子の監視も兼ねて、か?」
「さて、どうでしょう? 戻って来る頃には、私の手に負えない有様になっているかもしれませんので。もしも、そうなるとしたら、彼女の情と道徳に期待するしかありませんね」
無表情に紡がれる和可菜の言葉に、偽りは無い。
秩序を重んじる退魔機関という組織の理念は、神代回帰を許した時点で既に、価値が薄れてしまった。よって、これからは過去の秩序ではなく、新たなる秩序を敷く物こそが、機関を統べる者として台頭し始めるだろう。
その際、力を持つエージェントたちは、様々な理念を持つ上層部の派閥ごとに分けられることになる。あるいは、力を持つからこそ、己自身が理念を持って下剋上を始まるかもしれない。
だが、どちらにせよ、今後の世界の行く末で無視できない要素がある。
それが、天宮照子という、宇宙怪獣の如き異能者だ。
「美作支部長、あの馬鹿は確かに強いですが、そこまでなのですか?」
「エルシアさん。貴方は、神代回帰が始まってからの彼女の戦果を聞きましたか?」
「いえ、まだです」
しかし、エルシアはいまいち、和可菜の言葉を理解しきれていなかった。
照子の強さは、同僚であるエルシアも理解している。だが、エルシアとしては、惚けた日常姿の印象が強く、そこまで直接戦っている場面を見たというわけではない。
故に、魔神を軽々と葬る美作支部長が、戦い自体を諦める発言をしていることが、信じられないのだ。
「ふむ、貴方はどうですか? 土御門君」
「…………正直、信じられないような報告を受けているぜ。一般エージェントたちの間では、士気を上げるためのプロパガンダってことで、戦果がかさ増しされているんじゃねーか、ってもっぱらの噂だ」
「なるほど、では断言しましょう。それらの噂は全て真実か……控えめに、周囲が信じやすいよう、現実的に戦果を少なく報告したものです」
一方、治明は覚醒を遂げたおかげか、和可菜の語る照子の強さを、理屈ではなく本能に近しい部分で感じ取っていた。大山や武神、そういう常軌を逸した強者と戦って来たからこそ、照子が持つ異常性を感じ取れるようになっていたのだ。
「脅威度ランクA以上の魔神の討伐数が、『最低』で254体。脅威度ランクB以下は、数が膨大であるために測定不能。これが、天宮さんが単独で成し遂げた戦果です」
だが、そんな治明ですら、照子の戦果は実感から程遠い物だったのである。
「そいつは、どうにもヤバいな」
「ええ、とても」
故に、治明は顔を顰めて、和可菜も溜息を吐く。
この戦果の時点で、照子は機関の中でも上位五指に入るほどの異能者になってしまった。その上、照子はこれから先、まだ成長する余地がある。否、成長を止めることができない超級の異能者なのだ。
封印を施すにせよ、もはや、どれだけの魔力を消費すれば力を抑えられるのかも検討が付いていない。ミカンという、謎めいた術者ならばあるいは、その手段を知っている可能性はあるが、それでも、照子は既に『単独で世界を滅ぼせる戦力』を所有してしまっている。
「最悪の場合、この戦いが終わった後、天宮さんの処遇を巡って争いが起きます。あるいは、天宮さんに平伏することによって、その恩恵を受けようとする輩も出てくるでしょう」
「どう考えても、機関が割れる原因になっちまうわけか」
「…………あるいは、天宮さんの機嫌次第で、何もかもが左右されてしまうことになるでしょう。そして、私の知る限り、天宮さんはそういう事態を嫌う人間です。となると――二人とも、警戒を」
「「――――っ!!」」
重々しい会話の途中、和可菜は二人の部下へと鋭く指示を飛ばす。
短い言葉で状況を理解したのか、治明は退魔刀を構えて魔力を漲らせる。エルシアもまた、即座に『バンジー』と『飛竜』の魔物を召喚。泣き声によるエコーロケーションに加え、飛竜による高所からの警戒を行う。
「やぁやぁ、こうして面と向かって顔を会わせるのは、初めてのことになるな、殲滅者」
そして、敵対者は意外にも正面からやって来た。
何の遮蔽も無い更地へと、堂々と転移術式を使って現れたのである。
王侯貴族の如き礼服を纏う、獅子頭の偉丈夫――レオンハルトが。
「そして、初めましてだ。特異点の少年と、成りそこないの少女よ。我が名はレオンハルト。魔獣の王にして、新たなる王国を築き上げる覇者だ」
迷う時間は一瞬も無かった。
魔神。それも、脅威度ランクA上位に値するほどの魔力量を持つ存在。そんな者が目の前に現れれば、言葉よりも先に戦うことを選ぶのが退魔師だ。
少なくとも、和可菜と治明の行動は、思考よりも迅速だった。
「炎刀・柊」
「爆・陣・火」
白色の炎を纏う刀が降りぬかれ、魔神の肉体を破壊せんと術式が飛ばされる。
この攻撃はまさに、先手必殺と呼ぶに相応しい威力を持っていた。上位の魔神なれども、レオンハルトは軍勢を操ることに特化した存在。決して弱くはないが、同族殺しの炎と、内部から吹き飛ばす爆発を受けては、致命傷は免れない。
「…………」
「ふっ、流石だ、大山。良い働きだよ……君が魔獣だったのならば、我が騎士としてスカウトをしていたところだ」
だから、二人の攻撃を遮ったのはレオンハルトではない。
転移術式ではなく、純粋なるスピード。音速を遥かに超え、雷の領域に踏み込んでいる巨体が、力づくで振り払ったのである。そう、魔力を込めて空間を揺らすことにより、攻撃自体を届かなくする。かつて、和可菜も行った防御と似通ったやり方で。
「…………」
無言の戦士にして、太古の鬼神。
大山は、何も語るでもなく、三人の前に立ち塞がったのだ。
「大山……っ!」
かつて、己を圧倒した強敵の出現に、治明は笑みを深めて戦意を露にする。すると、無表情だった大山も、それに応えるように僅かな笑みをみせた。
強者が二人。
互いに、戦意を抑えることなくぶつかり合う傍で、和可菜とレオンハルトは冷静に言葉を交わしていた。
「まさか、これで私たちを排除できるとでも?」
「はははっ、まさか。大山は我らの中でも飛びぬけた強さを持つが、殲滅者と特異点が相手となれば分が悪い。なので、こうさせてもらおうと思ってね」
うぉう、とレオンハルトは獣の如く吠える。
すると、先ほどのレオンハルトのように、更地に転移してくる魔獣たちが合計で五体。しかも、その一体一体が、全て魔神クラスだ。
「殲滅者と特異点の少年は強い。恐らく、この手法でも生き残るだろう。そう、足手まといである成りそこないが居なければ」
「――――ぐっ!」
レオンハルトの言葉に、屈辱と共に歯がみをしたのはエルシアだ。
理解しているのである。この領域の戦闘になってしまえば、もはや、自身の力など誤差に過ぎないのだと。脅威度ランクAに単体で勝利することができない自身は、この時点で主と上司の足を引く存在となってしまったのだと。
「今から、弱者のみを集中して狙う。さぁ、美作和可菜。殲滅者。我らが同胞の怨敵よ。選ぶがいい。部下を見殺しにして戦うのか、それとも不利を承知で守り抜くのか」
加虐的な笑みを浮かべるレオンハルト。
その言葉は、間違いではない。近距離かつ、数を制限した上での支配と強化は、何万もの軍勢を操作していた時とは効果がまるで違う。和可菜か治明が庇いながら戦わなければ、エルシアは大した抵抗も出来ずに、この場で殺されるだろう。
「――――生憎、他者から選択肢を強いられる趣味はありません」
この場に、三人しか退魔師しか居なければ。
そういう可能性もあっただろう。
「待ち合わせ時間三十分前ですね。少々出張は長引いたようですが、社会人のマナーを忘れていないようで何よりです、天宮さん」
大山の登場が疾風だとすれば、それは落雷のようだった。
空間を引き裂く轟音。
目を焼くような魔力光。
瞬時に弾ける、五体の魔神。
レオンハルトに向けられた打撃が、大山の腕によって弾かれることによって生まれた衝撃音はさながら、雷が大地を貫いたかのようだ。
「もちろんですよ、美作支部長。これでも私、貴方よりも長く社会人をやっていますので。なので、こうしてほら、名刺代わりの一撃を叩き込んでおきました」
天宮照子。
魔神器官を全滅させ、侵色同盟の幹部を打ち取った規格外。
退魔師であるにも関わらず、ついに、機関から脅威度ランクS――世界の脅威になりうる存在だと認定された美少女は、魔神たちを前に、緩やかに微笑む。
「さぁて、久しぶりに同僚と共に仕事を始めようか」
もはや、魔神たちとの戦いですら、照子にとっては日常の一部に過ぎない、とでも言うかのように。




