第112話 侵色同盟 4
しんどい。
現在の私の心境を、一言で表現するのであれば、これ以上に適切な言葉は無いだろう。
「アイニよ! 二十六の軍団を支配する公爵よ! 眼前の愚者へ、導きの炎を!」
魔神が宿った人形の一体が、手に携えた松明を振るう。
それは紅蓮の炎だ。やけに視線を引き寄せられる炎だ。恐らくは権能として、私の意識を引き寄せるだけの何かがあるのだろう。
「フォルネウスよ! 三十の軍団と共に在る公爵よ! 頑強なる彼の意思に、揺らぎを与えたまえ!」
更には、炎の中に潜む、やけに鋭い目つきの老婆――人形が笑うと、ぐらりとこちらの視界が歪む。どうやら、一瞬だけ精神干渉を受けて、その直後に私が耐性を獲得したらしい。
しかし、これは不味いな。
「バアルよ! 六十六の軍団を支配する魔王よ! 魔導の最果てに潜む叡智を、僕に!」
ごぉん、という鐘が撞かれたような音が聞こえたかと思うと、私の肉体は高層ビルの残骸にぶち当たっていた。どうやら、物凄い勢いで横殴りにされて、ボールのように吹き飛ばされたようだ。
私がすぐに立ち上がるが、その直後、炎やら雷やら、一つ一つが魔神の全力攻撃に近しい物が降り注いでくる。
これには、強化された私とはいえ、全力で防御をせざるを得ない。
「…………権能の組み合わせか、厄介だ」
七十二体の魔神。
しかも、どれもが上位クラス。
ただそれだけであるのならば、私もそこまで苦労しなかった。単体で強い奴がいくら集まろうとも、それは所詮烏合の衆。各個撃破や、各自の権能を相殺させて戦況を混乱させて、いくらでも戦いようがあっただろう。
しかし、今回の相手――芦屋陽介はそのような凡庸なミスは犯さない。
「厄介なのはこちらの台詞だよ、天宮照子。この奥の手は、神代回帰を為した現状でしか使えない。しかも、一度きりの切り札。そういう前提の上で展開される必殺の術式だよ? だというのに、何を普通に生きているのさ?」
陽介は、私が魔神たちの攻撃を避けたり防御したりする姿を、うんざりとした顔で眺めている。だが、あちらが圧倒的な戦況である割には、顔色が悪い。どうやら、奥の手という発言は真実であり、かなりの消費を強いられて、あまり長くこの状況を維持できるわけではないようだった。
「生憎、頑丈さだけが取り柄でね」
憎まれ口を叩きながら、私は少し余裕ができたので手ごろな人形の一体を殴り壊す。
――――ごほっ。あー、なるほど、死をトリガーに呪詛でこちらの臓腑を壊死させてきたか。びっくりしたけど、すぐ回復したから権能ってわけでもないな。ただの魔術だ。しかし、この人形は式神の一種であり、壊してもその内に予備が出てくるから面倒だ。
「…………ぐ、が。げほっ、なるほどね。同志が君を化物だと呼んでいた理由が理解できたよ。君は恐らく、飛び切りだ。最悪、このまま成長させれば惑星すらも食らう存在へと成長するだろうね」
「酷い言われようだ」
しかも、これらの魔神は陽介と契約を結んでいるらしく、依り代である人形を破壊する度に、そのフィードバックが何割か陽介を襲う。現に、人形の破壊と共に、彼の肉体は傷つき、口の端からは血を垂れ流しているという有様なのだから。
うん、これは不味い。
何が不味いかというと、このまま長期戦を狙うと陽介へと甚大なダメージを負わせてしまいそうなのが不味い。何せ、私の目的は対象の撃破ではなく、捕縛だ。相手は世界の転覆を狙う組織の幹部であるが、同時に、愛おしい彼女の弟でもあるのだ。間違っても、殺してはいけないし、出来れば後遺症が残りそうなダメージも与えたくない。
そういう理由もあって、この手の大量の式神を扱う術者に対する斬首戦法も使えないのだ。陽介が己を守る結界自体は、気合を入れて殴れば破壊できそうなのだが、その拍子に陽介もまとめて破壊してしまいそうなのが厄介である。
ううむ、色んな意味で強敵だ。流石、芦屋陽介。彩月をして、『自分よりも優秀』と言わしめるだけの術者だ。恐らく、こういう心理的なハードルも込みでこういう戦法を選んだのだろう。
「だったら、私も頭を使わないとね」
故に私は自分の戦闘スタイルを変えることにした。
今までは、脳筋ごり押し戦法が一番シンプルかつ、効率よく敵を倒せるからその通りに戦っていたが、今は違う。今回の目的は捕縛だ。ならば、私も成長し、覚えなければならない。
そう、手加減という奴を。
「――――しっ!」
私は鋭く口から息を吐くと、魔力の循環を全て見直した。
過剰出力は全て、通常の物へと戻す。体中に漲る魔力も抑えて、精々魔神の一体程度の力まで落ち込ませる。それでいて、知覚の強化は最大に。思考の速度も加速させて、人間の反射神経を超える魔神たちの知覚能力。さらにそれをも上回る速度での思考を実現させる。
「一つ。駄目だ、まだ力が強い」
嵐のように飛び交う魔神の攻撃を、最低限の動きで回避。その後、中年男性型の人形に拳を叩き込むが、それだけで人形は弾けてしまう。まだまだ、魔力が過剰なのだろう。
「二つ。まだ強い。三つ。今度は足りない。四つ。良い感じだ」
相手の動きをよく見て、自分の動きも意識する。関節からだけではなく、筋肉の動き。細胞の一つ一つにまで意識を巡らせるようにして、私は達人の如き動きを知覚能力によって再現した。もちろん、こんなものは本物の達人から見ればお笑い種だろうが、この場だけ凌げるだけの技術が手に入ればそれでいい。
「―――五つ。悪くない」
そして、五体目の魔神へ拳を叩きつけると同時に、私は己の手加減が完成したと理解した。
私が振るった拳は、魔神の魔力障壁を貫きはしたものの、魔神自体は意識を飛ばす程度の威力に収めている。後は、これを陽介の結界にも応用すればいいだけ。
「残りは、後『一人』だけでいい」
足元だけ魔力による最大強化。
雷の速度で魔神たちの間を縫うように動き、陽介の下へと肉薄。卵の殻をノックするような気分で、打撃を一つ。
「ぐっ! まさか、ここまで適応力が――」
「さぁ、家出息子はお帰りの時間だ」
丁寧に重ねられた結界を破壊。
足元に敷かれたトラップの魔法陣も踏み砕いて。
私は陽介の意識を奪うべく、手加減状態でその頭を揺らし、意識を奪おうと動く。
「七十二の魔神たちよ――――今だ!」
だが、一歩踏み込んだ瞬間、私は唐突に水中に放り込まれたような不具合を感じた。まるで、突然呼吸が奪われたかのような違和感。いくら力を込めても、まるで力が湧き上がってこない。どれだけ外部から魔力を奪おうとしても、意味を為さない。水中で肺呼吸をしようとする愚者の如く、私の肉体は全身鉛の如き停滞を得た。
いや、違う。これは本来の私の肉体だ。魔力強化を抜きにした、私自身の力だ。ということは、つまり…………ああ、なるほど。大量の魔神を召喚したのは戦力強化をするためじゃない。ただの起点だ。魔法陣に記す呪文代わりにするために、配置したに過ぎない。
本命は、手加減した状態で私が陽介の下に踏み込んだ、その瞬間だったというわけか。
「君は強い。とても強い。彼の大山ですら、今の君に勝てるかどうかわからない。でもね? 僕は術者だよ? 戦士じゃない。強い相手と真っ向勝負するなんて御免さ。昔から、神様も悪魔も、強い奴は全部罠に嵌めて、弱らせてから殺すに限る」
陽介は混乱する私に対して、懐から取り出した黒い塊――自動式拳銃を取り出した。
本来ならば、低位の魔物一体すら殺せぬ小口径の火器。
けれども、魔力による強化ができない現状であるのならば、きっと、少女一人殺すのには十分すぎる装備だろう。
「さぁ、イレギュラーよ。魔力が枯渇した空間で、一人の少女のようにあっけなく死ね」
そして、陽介の指がトリガーに触れて。
ぱぁんと、乾いた銃声が一つ。瓦礫が散らばる、がらんどうの街に響いた。
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魔力が枯渇した空間を作り上げるのは、とても困難であることを陽介は知っている。
何故ならば、これは本来、超級の術者が数人がかりでようやく展開できる結界なのだから。いくら魔神を七十二体使役していようとも、術者は陽介一人。その負担は絶え間なく、戦いを始めた当初から陽介を襲っていた。顔色が悪く見えたのも、人形が壊されることによるフィードバックだけが原因ではない。全て、この瞬間を狙っていたが故の負担だった。
戦いの最中、思考速度を上げる権能。
数秒先の未来を予測する権能。
その他、数多の権能を複合させることは、天才術者である陽介にとっても簡単ではない。その上、魔神による魔力吸収能力を応用し、一種の真空空間を作り出すという作業も、非常に頭が痛くなる精緻な物だ。陽介が易々と手加減状態の照子に近づかれたのも、あっさりと結界を壊されたのも、それが狙いということもあるが、この不調によるハンデが原因だろう。
その上、この空間では術師である陽介はほとんど魔術を使えない。だからこそ、その状況でも照子を圧倒するため、拳銃という手段を選んだ。
「拳銃か。いいね、意表を突く攻撃だ。実際、私も驚いたよ」
だというのに、陽介は拳銃による初弾を外してしまっていた。
その理由は二つ。一つは陽介の習熟不足。術者である陽介は、元々火器の扱いが得意ではない。この時のために何度か練習はしたが、それでも、実戦レベルには程遠い。
そして、もう一つの理由は単純。
「でも、驚いたぐらいで鈍るような戦いをしてきたつもりはないよ」
天宮照子は、魔力強化が無い状態でも強い。少なくとも、銃口の動きから銃弾の位置を見切って、回避が可能な程度には。
「くそっ、だったら――」
「遅い」
意識を切り換えて、フルオートの銃弾をばら撒こうとする陽介。
しかし、それよりも早く照子は動き、拳銃を蹴り上げて、陽介の手元から弾き飛ばす。一瞬の、けれども的確な判断によってなされた動きに、淀みは無い。それは、力任せの雑な動きではなく、洗練されている。何故ならば、つい先ほど達人の動きを細胞一つ一つにまでしみこませたが故に。
そもそも、一年にも満たない退魔師の経歴では異様過ぎるほどに、照子は強敵との戦いを経験して来ている。最初からずっと、相手を圧倒してきたわけでもない。時には苦戦し、時には敵に逃げられるという、敗北に近しい経験だってある。
だからこそ、互いに魔力を使用不可という状態であっても、照子が陽介よりも弱いということにはならない。
「後ね、芦屋陽介。君に忠告を一つ。確かに、君の結界は素晴らしい。この空間では、私自身が魔力を生み出すのは難しいよ。周囲を分解して、魔力にして吸収するのも困難だ。でもね、 君さぁ、私を馬鹿だと思っているだろう?」
加えて、この戦いに於いて陽介が犯した致命的とも言えるミスが一つ。
「芦屋由来の結界で、私を無力化できると本当に思っていたのかい?」
天宮照子という存在の本質を間違っていたこと。
そう、照子は化物だ。怪物だ。宇宙怪獣の如き理不尽な存在だ。けれども、それだけではない。異能にその身を任せるだけの愚者ではない。
当然、その異能が使用不可になった場合――例えば、何らかの理由で魔力を封じられた際の対抗策を用意していないわけがない。それが、相方である彩月も知る、芦屋の奥義ならば尚更だ。
「この結界の弱点は、結構ある。コストが高いこと。扱う術者を起点としなければいけないこと。外部とは遮断されていて、外部からの物理攻撃を通せないこと。そして何より」
だから、照子は当然の如くポケットから『それ』を取り出す。
今まで散々狩った魔神の魔結晶、その一つ。機関のエージェントから、補給として貸与された装備を取り出して、使用する。
「加工済みの魔結晶などに蓄えられた魔力は、完全に奪えない。それが、魔神クラスが落とした魔結晶ならば、この空間内の使用にも耐えられる…………体外に対する魔力の放出ではなく、体内に向けられた魔力の強化ならば、魔力の真空化でも、完全に無力化できない」
強化された照子の肉体は、音速を軽々と超える。
魔力真空下にある空間だろうとも、軽々と。陽介の目で捉えられぬ動きで移動し、この結界の中核を担う箇所――地下数メートルに埋め込まれた、特殊な宝玉を『地盤ごと』踏み砕く。
「か、あぁ――」
「――人は学ぶし、道具も使うのだよ、芦屋陽介」
七十二体全ての連携によって成立していた術式が、力任せに砕かれた。その反動により、陽介は瞬き一つ分、意識が飛んで。
「リースだったのならば、こんな作戦は取らなかっただろうに」
陽介の同志を賞賛する言葉を最後に、その意識は戻ることなく、完全に暗転した。
これにより、『人形師』芦屋陽介は完全に無力化され、侵色同盟に残る幹部は二体。
そして、未だに影も踏ませぬ、盟主という存在だけだった。




