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マナの悲痛な叫びを気にも留めず、エルトは自らの右手にくっついてきたルベルの体を放り投げた。ルベルが部屋の壁に叩きつけられる。そして、肩に抱えたアンリを床に置いた。
「ルベルっ!」
マナが必死でルベルの元へ駆けつける。ルベルの傷は重傷だった。腹の大きな傷から流れる血が止まらない。マナが何度呼びかけても一向に反応がない。このままでは死んでしまう。そう思って今度は回復魔法をかける。が、マナは元々回復魔法が得意ではない。軽傷であれば、治癒することができるがルベルの傷にはほとんど効果がなかった。
「そんなっ……。なんでっ! どうしてっ。なんで回復魔法をもっとちゃんと訓練しなかったのよ……」
悔しさのあまり床に手を叩きつけるマナの肩を叩いたのはアンフィスだった。
「しっかりして下さい! この者の治癒は私がします。なだから……」
「治せるんですかっ? アンフィスさん! ルベルを治せるんですか?」
アンフィスに乗り掛かるように肩を掴み返してマナが問い詰める。
「落ち着いて下さい! ここまでの重傷ですからどこまでできるか分かりませんが、やれるだけはやってみます」
「やってみなければ分からないじゃ駄目だよ! このままじゃルベルが死んじゃう。絶対何とかしてよ! ねぇ、絶対何とかするって言って!」
マナがアンフィスの肩を揺らして泣き崩れそうになる。アンフィスは取り乱したマナの両頬を両手で強く叩いた。パッーンと弾けるような音が鳴り、マナの動きが一旦止まった。
「いい加減にして下さい。あなたがしっかりしなくてどうするんですか? 今魔族がここまで来てるんです! あなたが食い止めて下さい。あなたしかできないでしょう!」
そして、アンフィスは一呼吸置いた。
「ランクル様も重傷なんです! だけどっ、意識を失う前に『俺のことよりあの魔法使いを治せ』って命令されたんです。ランクル様も早く治さないと危ないかも知れないのに。それだけこの人を助けることを優先されたんです。だから私は全力でこの人を治します! あなたは、そこにいる魔族を何とかして下さい!」
アンフィスの目には涙が溢れそうになっていた。ランクルの方を見ず、マナだけを見ていた。マナはランクルの方へ視線を向けた。ランクルも重傷だった。意識もない。アンフィスは上司であるランクルを置いてこっちに来てくれたのだと分かった。アンフィスの強い意思を理解した。
マナは立ち上がった。そしてルベルではなく現れた魔族の方を向いた。
「アンフィスさん、取り乱してごめんなさい。ルベルのことは頼んだわ」
マナはアンフィスに告げた。ルベルではなく、魔族たちの方を見ながら。
「任せて下さい。その代わり、あの魔族達のことは頼みましたよ」
「はい、任せて下さい」
周囲の発光が収まり始めた頃、エルトが動き始めた。
「ラーカイル、あれが王宮結界の核か?」
「はい、エルト様。恐らくそうでありましょう」
「よし、行くぞ」
エルトが王宮結界の核へ向かって歩き始めた。
「待て」
エルト達の前に剣を差し出して、立ちはだかる者がいた。
「貴様、何のつもりだ?」
エルトは怒気を含んだ声を出した。
「ライカ! 貴様、どういうことだ!?」
ライカはそれでもなお、そのまま二人の前に立ちはだかる。
「エルト様、何でこんなところにおられるのですか? もう少しで私が勇者になれるところだったのですが」
「ふん、お前の考えていることはお見通しだ。俺たちの計画の邪魔はさせない。どけ」
それでもライカは剣を納めなかった。
「どういう意味だ? ライカ、貴様は助けて貰った恩を忘れたのか?」
「覚えております。ですが、私が勇者になるのを邪魔しないでもらいたいのです」
「矛盾しているぞ。ふん、まあいい。ラーカイル、お前が相手しろ」
「はい、かしこまりました。エルト様」
ライカの前に激しい炎の斬撃が向かってきた。ライカは咄嗟にその斬撃を受け止める。
「くっ!」
が、十分に受け止められると思っていたのに、大きく体を後方へ飛ばされてしまった。
「お、お前。こ、こんな力があるなんて……」
「ふん、こないだまではお前のレベルに合わせて戦っていただけのことだ。勘違いするな」
ライカは再び剣を構えた。
「そうか、お前も私のことを勘違いしているぞ。本気を出してやるからかかってこい。すぐに楽にしてやる」
「それはこっちのセリフだ。生ぬるい人間の世界で生きてきた間抜けとの違いを見せてやろう」
ライカとラーカイルが戦いを始めようとするのを尻目に、エルトは王宮結界の核へ向かって歩みを進めていた。もう少しで念願であった結界を破壊することができる。長かった戦いに終止符が打たれる。エルトにそんな郷愁にも似た思いがよぎったとき、今まで感じたことのない殺気を感じた。
音もなく一筋の風がエルトの前を通り過ぎた。エルトにも早過ぎて視認することが出来なかった。風は一瞬で通り過ぎていったが、最初に感じた殺気だけはまだ残っていた。右手に鈍い痛みを感じた。下を見ると、右手の肘から先が切断されていた。痛みが全身に走り、やっと斬られたのだと認識できた。
「ぐっ、な、何があった……」
エルトは右腕を強く握りしめて痛みを堪える。
「あなたの相手は私だよ!」
「な、何だと」




