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アンリは王宮結界の城門の上から状況を整理していた。魔族と戦うために、騎士団と勇者選抜の応募者たちで王宮結界の外へ出てみたが、魔族の群れはいなかった。西の要所、分体結界を置いたデンジャの街が魔族に制圧されたと聞いたため、魔族の大群が待ち構えていると思っていたが、違った。
待ち構えていたのは、たった二人の魔族だった。確かに彼らは待っていたのだろう。人間たちがデンジャの街を救うためにここまでやってくることを。考えたくはないが、恐らく彼らからすると人間たちを相手するのはたやすいことなのだろう。それを裏付けるかのように、その二人はまずはガンマを軽々と倒した。ガンマは決して弱くはなかった。王宮騎士団に入れても実力では見劣りしない。そのガンマがあっさりとやられてしまった。
その後、ルベルという魔法使いらしき者が善戦しているが、あとからやってきたもう一人の魔族、先程までいた二人よりも上位の魔族には敵わないだろう。
魔族と人間との力の差は歴然だった。結界の力がないと、人間は簡単に魔族に制圧されてしまうのだろう。結界の力がなければ、人間などとうの昔に滅んでいたのだろう。そのことに思い至ったアンリは絶望的になりかけた。そして魔族が人間領を狙っている理由にも心当たりがあった。勇者選抜が始まる前日、父であり王であるヘンリルから聞かされた言葉だ。
人間は結界の力で守られているが、その結界はこの大地から魔力を吸わないと維持できないという事実。この結界によって守られている自分たち人間は、そこまでして守られる価値があるのだろうか。あの言葉を聞いてから、ずっと考え続けてきたことだった。まだその答えが出せていない。でも今自分の心が挫けてしまっては駄目だと言い聞かせた。なぜなら、王族は民を見捨てないからだ。自分が持つ唯一と言っていい。その存在価値を示さないとここにいる意味がない。生きている意味がない。例え魔族に蹂躙されるとしても、諦める訳にはいかない。
結界のこと、人間の価値など既にどうでもよかった。アンリは自らの存在理由を示すために立ち上がらなければと思った。王族であり、国を治める立場として、国民を守る立場として、その意志を行動で示さなければならないと思った。
「そこの魔族ども!」
アンリは声を上げていた。精一杯。魔族に向けて。
「何だ? あの女は」
エルトがその声を聞いて、アンリの方を睨む。
「私は、アーセック王国王女のアンリである。この国を預かる者の代表として話がしたい。そなたたちの力は十分に理解した。このままでは我々は無駄に命を捨てることとなるだろう。そこで提案する。この王族である私の首を差し出す。その代わりとして、そこにいる騎士たち、国民の命は保証して頂けないだろうか」
アンリは必死に叫んだ。自分の命で多くの命が救われるなら、自分の命は惜しくない。そう思って必死に訴えた。
「ふん、何だお前。王族だったのか」
エルトが体中から魔力を発散してアンリを威嚇した。アンリは一瞬死を覚悟した。何かに貫かれたような恐怖が体を突き抜けた。と、その瞬きをした一瞬、目の前にエルトが現れた。アンリは恐怖で動けなかった。そして、エルトの手によって頭を掴まれるとそのまま意識を失ってしまった。
「王族は使える。お前は連れて行かせてもらう」
アンリはエルトに抱えられてしまった。アンリの横に控えていた守護者が腰を抜かして倒れていた。そこへサリュとラーカイルも側にやってきたため、恐怖のあまり泡を吹いて失神してしまった。
「サリュ、ラーカイル。そろそろのようだ。この女も連れて行くぞ」
「エルト様。私は構いませんが、ベティレの身体がもつでしょうか?」
「なあに、気にすることはない。あいつは死を覚悟してこの仕事を引き受けたのだ。体の限界まで耐えてくれるさ」
エルトが首から下げている石が、赤く光り始めた。
「おっと、本当にそろそろだな。転移魔法を使うぞ。僕に掴まっていろ」
「はっ」
エルトが魔法の詠唱を始めた。するとエルト、アンリ、サリュ、ラーカイルの四人がうっすらと発光し始めた。
「よし、準備はいいな。行くぞ」
エルトがそう言った瞬間であった。
「そうはさせるかよっ!」
ルベルが渾身の力を込めて、エルトに飛び込んでいった。ルベルは魔装棍にありったけの魔力を注ぎ込み、魔装棍の先端から、瞬時に突風を発生させ、その反動の力で飛んで来た。魔装棍の勢いに押されて体よりも魔装棍が、エルトに迫って行く。
魔装棍は魔力の力を増幅させるだけでなく、その流れを制御することに長けている武器である。その武器にルベルの高い魔力の風魔法が発されたことにより、とてつもない速さが生まれた。その速さに乗ってルベルと魔装棍はエルトを捉えた。
エルトはルベルには気づいてはいなかった。ルベルはこの不意打ちは成功したと思っていた。このまま魔装棍をエルトに突き刺せる。そう思った。
が、エルトが気づく前にサリュが気が付いていた。サリュがエルトから離れてルベルの攻撃を体を張って止めた。
「がはっ!」
ルベルの魔法の力でサリュの左半身が吹き飛んだ。だが、勢いを止めるのには十分だった。それに気が付いたエルトはルベルをかわして、右手でルベルの腹を貫いた。
「ぐっ!」
腹をえぐられ、ルベルはうめき声すら満足にあげられなかった。サリュは薄れゆく意識の中で、エルトの無事を確認し、そのまま倒れた。
「いきなり邪魔しに入って来るとはな」
エルトの転移魔法の詠唱は既に完成していた。今度は代わりにルベルの身体が薄く発光し始めた。その光は次第に強くなり、眩しい光を放つようになった。そこでようやく騎士団長のぺリルが城門の上に辿りついたが、既に遅かった。その光の中には誰も見当たらず、その光はやがて大気の中に静かに散っていった。




