39
「それで、向こうの要求は何だ?」
王が想定外の発言をしたことに、アンリもランクルも驚いた。
「父上、要求とは何ですか? 魔物が何か要求してくることなどあり得ないでしょう?」
「ヘンリル王、アンリ様のおっしゃる通りです。なぜ、そのようなことを……」
すると、急報を伝えに来た騎士団員が意を決したように立ち上がった。
「はっ、既にデンジャの街は魔物たちの手に落ちており、結界は無くなっているようです。魔物の代表は『エルト』と名乗っているとのことです」
「なんだとっ!」
ランクルとアンリが同時に声を上げた。
「魔物を統率する者がいるのか?」
「えっ、いえ、私はそう聞いております。何者かまでは不明です」
「それで」
今度は王が口を開いた。
「それで、国民たちは皆無事なのか?」
「はっ、騎士団員は皆殺されてしまいましたが、街の住人には手を掛けていないようです」
アンリとランクルは少しずつ状況が飲み込めて来た。
「それで、もう一度問う。向こうの要求は何だ?」
「はっ、『この報を聞いたら、一日以内にすべての結界を解け。さもなくばデンジャの街の住人たちの命はない』と」
「そうか。分かった。下ってよい」
「はっ」
騎士団員は敬礼をしてその場を立ち去った。この場に沈黙が流れた。
「さて、ここにいる者だけでいいかな。この局面に対してどう対応する?」
ヘンリルは二人の子供であるセントル、アンリ、そしてその場にいたランクルに問いかけた。誰も最初に口を開きたがらないこの状況で、まるで日常会話をするかのような落ち着いた声が響いた。
「ここは、デンジャの街を捨てましょう」
「なっ、何を言って……。お兄様!」
セントルであった。まるで部屋の片隅に落ちている紙きれを捨てるかの心持ちで、一つの街を捨てると言った。それを聞いてアンリが反射的に反応した。
「お兄様、冗談を言っている場合ではありません。国民を見捨てると言うのですか?」
セントルは、それでも感情を動かすことなく平淡だった。
「アンリ、お前こそ何を言っている。この選択肢以外に何があると言うのだ。既にデンジャの街の分体結界核は壊されているのだろう? そして街は魔物に占領されている。だとしたら今から街を取り戻すことは不可能だ。幸い王宮結界はまだ堅牢だ。魔物がそこから入ってこれないのが何よりの証拠と言える。であれば、王宮結界内の安全は確保されている。最小限の被害で最大限の安全を確保するには、デンジャの街を捨てる他ないだろう」
まるで勉強をしたくない子供をあやすような口調でアンリをなだめる。
「た、確かに理屈ではそうかも知れません。だが、我々王族が民を見捨てたとあっては、他の民が黙っていますまい。ましてや、ホムやヘイアンのように同じ分体結界で守られた街の民はどう思うでしょう。民の心が離れたとあっては王族の権威は地に落ちましょう」
「ふむ。アンリ、では問う。お前ならデンジャの街をどうするというのだ?」
アンリもセントルの言っていることは頭では理解できる。が、それでは許せなかった。国民から『戦女神』と呼ばれ、すくなくとも敬意を向けられている身としては、このままデンジャの街を見捨てる訳にはいかなかった。例え、中身の伴わない飾りの称号であっても、その称号に恥じぬ働きをしなければ、その名をつけてくれた者達に報いなければならないと考えていた。
「どうした? アンリ。お前の意見を聞かせてくれ」
アンリは自分で答えを出せないでいた。頭はデンジャの街を捨てろと言っている。だが、そうしてはならない。報いなければ。王族として国民に報いなければ。
そして、アンリの心は決まりかけていた。
「それとも、お前が討伐隊の先頭に立ち、名の通り『女神』となるか?」
アンリはハッとなった。目の前が開けたような目が覚めたようなら心地になった。自分が先頭に立たなければならない。それが王族としての務めだ。
「はい、兄上。私が討伐隊を指揮し、見事国民の期待に応えてみせましょう」
アンリは兄の言葉に覆いかぶさるように答えた。それにより、自らが先陣を切って魔物たちの討伐に行かなければならないことが決まった。
「アンリ、よく言った。お前こそ、王族の鏡だ」
セントルの口の端が一瞬だけ上がったのをランクルは見逃さなかった。セントルは実の妹を嵌めたのだ。まるで吐き捨てるように国民を切る発言をして、アンリを焚きつけ、討伐隊に加わらせる。そこでアンリが討ち死にすれば、それ以上戦果を広げないようデンジャの街を切り捨てる口実ができる上に、民意を失うこともない。
急報を受けて、王の話を聞いてすぐだった。考える時間など皆無だったはずである。セントルはその一瞬の間に妹を嵌めて、王族の権威を守る算段をつけ、それを実行したのだった。アンリはそこまでの頭が回らなかった。気が付いたら自分が討伐隊の指揮を任されることになっていた。
「それではアンリ、行け。討伐隊を指揮してデンジャの街を救ってこい」
「はっ。兄上。確かに承りました。ただ、一つだけよろしいでしょうか?」
「何だ? 言ってみろ」
「討伐隊は勇者選抜に応募してきた者も連れて行っていいでしょうか? 彼らの中には領域騎士団員も多数おります。戦力としてはこの上ないものになるかと」
「ああ、いいだろう。許可する。恐らく今回の勇者選抜は今戦っている二人のどちらかになるだろうからな。それと、討伐隊にはぺリルを連れていけ。さっき奥に引っ込んで休んでいるだろうから、少しは体力も戻っているだろう。ランクル、お前は引き続き王の警護を頼む」
セントルはテキパキと指示を出す。アンリは早速と言わんばかりに出て行った。
「父上、出過ぎだ真似をしました。これでよかったでしょうか?」
それを聞いた王は、小さなため息をついたが、概ね満足していた。
「よい、正式にはまだだが、実質の王位はお前が持っておる。お前のやりたいようにせよ」
「そのお心遣い、感謝申し上げます。本件、以後は私にお任せを」
そう言って片膝をついて頭を下げるセントルの表情まではランクルには読み取れなかった。また、当初から魔物が率いて来ることが分かっていたかのような王の態度にも引っかかるものがあったが、目の前の窮地のことで頭が一杯になったため、一旦忘れることにした。




