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ランクルの執務室。ここはランクルが唯一、自分だけの時間を過ごすことができる場所だ。だが、今は一人ではない。部下のアンフィスと、あまり歓迎したくない客人が二人もいた。マナとルベルである。
「まったく。お前は相変わらず大馬鹿野郎だな、マナ」
「いやー、ランクルも相変わらず怒りっぽいね」
「おい、怒りっぽいのはお前限定だ。俺は王宮騎士団ではいつも冷静沈着な印象を維持している」
「ププッ、ランクルが冷静沈着って。笑いしか起きないんですけど」
「やっぱり殺す! あの時檻の中で遠慮せず止めを刺しておくべきだった」
「ランクルさんってば優しーい。あんな狭い檻の中でわざわざ避けやすいように顔を突いてくるんだもん。お腹か胸あたりを薙ぎ払われていたら私でも避けられないよ」
「お、落ち着いて下さい。ランクルさん。先輩も煽らないで下さいよ。せっかく助けてもらったのに」
ルベルが今にもマナに襲い掛かろうとするランクルを羽交い絞めにした。
「無礼者! ランクル様、先程からこのクソ女の言動は許容できません。私が斬り殺しても構わないでしょうか」
今度はランクルの部下であるアンフィスが剣を構えた。
「アンフィス、止めておけ。お前ではマナには勝てない」
ランクルがアンフィスを制する。ルベルもランクルの体から力が抜けたのを確認して、離れて様子を伺う。
「どうしてですか? ランクル様、私も王宮騎士団の精鋭の一人です。こんな下賤な小娘ごときに遅れをとることはございません」
「うん、まあ君は強いが、まあ何と言うか、このマナと言う女は規格外なのだ。なんせ騎士団の入団試験で上官十名を一瞬で倒してしまったのだからな」
「なっ、それはまさか、この女があの有名な『変態女魔剣士』ですか?」
アンフィスは驚きを隠し切れない。騎士団の入団試験では上官との実技試験がある。通常であれば上官には敵わないが、一撃でも入れることができれば、それで合格にするのが慣例だ。だが、マナは一人を難なく倒した後、その場にいた上官全員をほぼ一撃で倒してしまったという伝説を残している。騎士団の間では有名な話だ。
「いやーなんか有名人になっていて恥ずかしいな」
「先輩、何てことをやらかしたんですか!」
「いやーそれほどでも、あるかなー」
マナは後頭部を自分で撫でながら、場違いに照れている。
ランクルは執務室までマナとルベルを連れて行き、ゆっくりとこれまでの経緯やホムの街やヘイアンの街で起こった事件の話を聞こうとしていた。が、思いがけず話が別の方向に向かってしまったため、ランクルは軌道修正をすべく気持ちを切り替える。
「ところでだ、マナ」
「ん? なーに?」
「お前は、そのふざけた態度を変える気はないんだな?」
「何でよー、私たち友達でしょ? 仲良くしようよ」
「だから、ここでは私はお前の上官だ。一応王宮騎士団の副団長なんだ。周りの目もある。少しくらいは気を使ってくれ」
「ふーん、めんどくさいからやだ」
「き、貴様ー!」
「ランクルさん、落ち着いて下さい。また最初に戻ってしまいましたよ」
ルベルがランクルを羽交い絞めにして動きを抑える。
「ランクル様、やはり私は我慢なりません。私に斬らせて下さい」
今度はアンフィスが本気で斬りかかろうとする。
「ところでアンフィスさんって綺麗だよね。あっ、もしかしてランクルの恋人だったりして」
「なっ、馬鹿にするな。ランクル様のことは、尊敬こそすれ、そのような感情など、い、抱いている、ものか」
アンフィスはそう言いながら何か歯切れが悪い。耳までが真っ赤になっている。
「あっ、もしかして図星? ランクルもやるねー。こんな美人さんを落とすなんて」
「だー、先輩、もう止めて下さい。アンフィスさんを止める人がここにはいないんですから」
アンフィスは耳を真っ赤にしたまま、プルプルと震えている。恥ずかしいのと怒りの感情が交じり合い、今彼女は心の底から意を決した。
「斬るっ!」
そのまま鞘から剣を抜いた。居合でそのままマナに斬りかかる。剣の軌道は真っすぐマナの首を捉えていた。だが、あと拳一つ分の距離のところでアンフィスの剣が止まった。マナが自らの剣を抜き、寸でのところで止めていた。
「なにっ、この距離からの居合を止めただと」
「ふう、いい剣筋だね。油断してたら危なかったかも。でも私よりちょっと遅かったね」
次の瞬間、アンフィスの剣鞘の固定具が切れ落ちた。アンフィスにら何が起こったか分からなかったが、どうやらマナが斬ったようだと理解した。マナは、抜いた剣でアンフィスの剣鞘の固定具を斬ったあと、アンフィスの剣を止めたのだ。
「あの一瞬で……。見えなかった」
アンフィスは呆気にとられながらも、これだけの違いを見せつけられて改めて冷静になった。剣を仕舞い、背筋を伸ばしてマナに向き合う。
「大変失礼をいたしました。私の負けです。実戦でしたら私の首が落ちていました」
アンフィスが深く頭を下げた。
「いいよいいよ。でもすごい剣筋だったよ。魔力なしでここまでできるってすごいと思う。私は魔力使ってたからちょっとズルしてたかも」
「えっ? 今の動きは魔力によるものなのですか?」
「そう。でもこの使い方は特殊だから内緒だよ」
マナはそう言って人差し指を口の前に立てる。
「何が内緒ですか。ターク隊長から盗んだ身体強化でしょうに」
ルベルが横槍を入れる。
「あー、今いいところだったのに全部台無しになっちゃったじゃない。スケベルベルの癖に。アンフィスさん、気を付けてね。あの男、私の部屋に二回も無断で侵入して……」
「あー! はい、ごめんなさい。僕が悪かったです。マナ様、許して下さい」
ルベルは、颯爽と自らの額を何の躊躇もなく床に擦り付けた。
「まあ、そこまで言うなら許そう」
マナは極めて尊大な態度でルベルを許した。ルベルが床から顔を上げて、チラッとアンフィスの方を見た。アンフィスはルベルと目が合った瞬間、汚物でも見るような目つきで睨んできた。ルベルはもう既に名誉挽回できない状態になってしまったことを理解した。




