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だが、同時にこの作戦を良しとしない者達が暗躍するようになった。彼らは独自にもっと早く人間領を制圧する方法を考え、動き始めた。なぜなら魔王の書簡には『なぜ武力で攻めてはいけないか』が書かれていなかったからだ。彼らは『強硬派』と呼ばれた。当然、魔族内でその動きを知られる訳にはいかない。彼らは隠密で行動する必要があった。その強硬派の先兵となって動いていたのはエルトだった。エルトは『人間領制圧作戦』を立案したエラルの弟であった。
エラルと比べると、魔力に関しては遜色ないが、身体能力では大きく劣っていたため、常に兄に対して劣等感を持ちながら生きていた。その反発からきたのか、己の従来の性格からきたのかは分からないが、エルトはエラルに反して強硬派を鼓舞、指揮するようになった。
「エルト、話がある」
そう言いながら本人の有無も確認せず、エラルがエルトの自室に入ってくる。エルトの緊張感が一気に高まった。それもそのはず。つい先日人間領から転移魔法で戻ってきたばかりだったからだ。同時に侵入させていた部下のサリュやラーカイルからの詳しい報告をまだ受けていなかった。エラルに先に情報を掴まれていればかなりまずい。前回のホムの街での襲撃では、ワーグマース一人が暴走したことにして何とか誤魔化せたが、今回はまだ事の顛末を聞いていないからこそ、深く追求されたときには答えようがない。もし自分が強硬派であることがバレてしまえば死をも覚悟しなければならない。
「何だい、兄さん。部屋に入るときは一言声を掛けてよね」
エラルは平静を装い、寝台から起き上がり、いつもの弟を演じた。
「そんなことを言わないでくれ、エラル。用がないとお前の部屋に入ることもできないのか?」
エラルは上機嫌だった。エルトは油断してはいけないと思い、さらに身を引き締めた。
「何言ってるんだよ。兄さんならいつでも歓迎するよ。でもほら、いきなり入って来られたら心の準備ができてなくてびっくりするからさ」
これは本心である。エラルはエルトの部屋に入ってくるときは、いつもいきなり扉を開けて入ってくる。少しは考えて欲しいと思いながらも、エルトは半分は諦めている。が、主張はしておかないと、どんどん歯止めが利かなくなってしまって余計に厄介なのだ。
「そうだったね。でも扉を開けた時のエルトのびっくりする顔が見たくてね、つい」
そう言って、エルトの横のゼロ距離の位置に座る。当然体が密着しているためエラルの体温が直に伝わってくる。エルトは先程とは別の意味で身を引き締めた。
「兄さん、近いよ。離れて。兄弟って言ってもそれはやり過ぎ」
あくまでかわいい弟の素振りのまま両手でエラルを引き離す。
「おお、可愛い弟よ。昔は一緒に添い寝させてくれてたのに最近はやけに冷たいじゃないか」
エラルは弟のエルトを溺愛していた。溺愛と言ってもただの溺愛ではなく、エルトにとっては度を越していると感じる程であった。とは言え、エラルのエルトへの盲目愛があるが故に、エルトの強硬派としての動きが悟られずに済んでいると、エルトは考えている。一方的には拒否できないところが辛いところであった。あくまでエラルから見て『可愛い弟』を演じることが重要なのであった。
「と、ところで兄さん、話って何?」
咄嗟に話題を変えて、変な雰囲気を塗り替えようと試みる。
「ふむ、そう言えば忘れていた」
エラルは椅子を引っ張り出してきて、エルトの隣ではなく向かいに腰かけた。その様子をみてエルトは一安心した。だが次の瞬間エラルが放った一言でその安心は吹き飛んだ。
「また、人間領に無理やり侵入した輩が現れた」
エラルの視線がエルトに突き刺さる。エルトはエラルの視線を逸らさなかった。いや逸らすことができなかった。逸らしてしまえば、やましいことがあることを勘ぐられてしまう。エルトは背中に嫌な汗を感じながらその視線に耐えた。
「それ、前にもなかったっけ? 今度は誰なの?」
あくまで白を切る。まったく興味がないとそれはそれで不自然だからだ。エルトとしては第三者としての立場を維持しなければならない。時間にしてはほんの一瞬だが、エルトにはとてつもなく長い時間が経過しているように思えた。エラルはエルトと違い、上背があり、体躯も良い。いざぶつかり合えば、勝てる自信が微塵もない。そんな相手に睨まれては生きた心地がしないのだ。
「まだお前の耳には入ってなかったか。サリュだ」
知っている。エルトが送り込んだのだからサリュだと知っていた。だが、サリュが今どんな状態かは分からない。
「サリュが? 意外ですね。彼女はもっと冷静だと思っていましたが」
当たり障りのないよう答えてエラルの出方をみる。エルトは自分の心臓の音が伝わっているのではないかと思うくらい、心臓の鼓動を抑えきれなかった。
「ああ、そうだ。あのサリュがだ。そしてラーカイルのやつとその軍団を連れてだ」
エラルがそう言うのであれば二人は無事なのだろう。人間の領域騎士団を始末してくれていればいいのだが。
「だが、サリュとラーカイルが人間領に取り残されていた魔族を一人連れ帰ってきたのだ」
「なんですって!」
エルトにも想定外の驚きであった。人間領の中に魔族が紛れ込んでいたということが意味することを考えると、さすがに驚きを隠し切れない。
「それは、まさか……」
「そうだ。そいつは『候補者』だ。スラマ村に住まわせていた。スラマ村は魔力の低い魔族の街だった。結界の中に入り込んで人間として暮らしていたが、人間たちに急襲されて焼かれた。だがその中の子供が人間に引き取られて騎士団員になっていた」
エルトはエラルの話を遮らず、目線で先を促す。
「当時、ラーカイルはその時救援に行こうと躍起になっていた。だがそれは叶わなかった。だから、彼女がその生き残りだと知って連れ帰らねばと思ったようだ。彼女が『候補者』だと疑うこともなく、な」
エラルの話はまだ終わらない。エルトは状況を把握するために黙って聞き続ける。
「俺は悩んだ。『候補者』のことは一部にしか知られていない。ラーカイルはそれを知らないだろう。知っていたとしても端切れ程度の知識だろう。彼は魔族の生き残りを連れて帰ってきた。それでサリュが自分の命の代わりに二人を救ってやって欲しいと嘆願してきてな」
エルトは話が見えてきた。エラルは要するに話を聞いて欲しいだけなのだ。エラルは鬼族だが冷徹ではない。サリュもラーカイルも許したのだろう。そして『候補者』についてはとりあえず匿うことにしたのだろう。その処置をするのと周りを納得させるのに疲れてこの部屋に来たのだ。エルトはエラルの話を聞くだけで、サリュたちの状況が同時に飲み込めた。彼らはとりあえず無事であればまた話を聞きに行けばいい。エルトは少し肩の力が抜けた。
「それで? 兄さん、その愚痴はいつまで続くのですか?」
「いかんいかん。つい。話始めると止まらなくてな。それで、大事なことを言いに来たのであった」
話はこれで終わりかと思っていたエルトが訝しむ。
「その『候補者』の彼女を、お前が面倒を見て欲しいのだ」
最後の最後に一番めんどくさいことを言う兄にエルトは悪態を付きかけた。が、辛うじて我慢できた。




