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マナはミラベルの首に当てた剣を鞘に収めた。ミラベルが膝から崩れ落ちる。
「はぁ、はぁ」
死んでいたかもしれないという恐怖に耐えるので精いっぱいだった。涙と涎が流れ落ちる。
「分かって頂けましたか? 犠牲を出しながら世界を救うことがいかに恐ろしいことが。私は誰も殺したくないんです。もちろん、あなたのことも」
ミラベルには返す言葉もない。世界の為なら自分の命など惜しくないと思っていた。が、いざ理不尽に命が奪われそうになったとき、今までのすべてを後悔しそうになってしまった。そして、奪われる側に立って初めてその理不尽さに絶望した。
「わ、分かった。マナとやら。お前の好きにするがいい。私は降参だ」
「分かってくれたらそれでいいです」
マナはにっこりとほほ笑んだ。まるで子供に対して『よくできました』と言わんばかりの笑顔だった。ミラベルは理解した。マナは本当に人を殺す気などなくて、単に話し合いに来たのだと言うことを。恐らく守護者たちもその辺りで気絶させられているのだろう。
「ところで、お前の目的な何なのだ? 世界の話を聞いても驚いた様子ではなかったが、騎士団の方でも掴んでいたのか?」
マナが答えてくれるかどうかは賭けだったが、ミラベルはどうしても訊いてみたかった。
「それは……内緒です」
マナは少しもったいぶったが、ちゃんと答えてはくれなかった。ミラベルは自分は突っ込んで訊ける立場ではないことを悟り、それ以上は訊かなかった。ミラベルはそのまま立ち上がろうとした。が、立ち上がると同時に腹部に鈍い痛みを感じた。下を見ると、腹部を貫いた何者かの手が見えた。見覚えのある手だった。痛みに耐えながら振り返ると、その予感が的中していたことを思い知らされた。
「エ、エルト……」
エルトだった。魔族側の協力者として接してきた鬼族の少年。ミラベルは仲間だと思っていたが、この結果を見るとそうではなかったようだ。
エルトは突き刺した手を抜いた。ミラベルの腹部から、大量の血が流れ落ちる。
「ミラベルさん、ごめんね。ここまできたら、あなたはもう用済みです」
「ば、馬鹿な……い、一緒に、せ、世界を救うのではなかった、のか……」
ミラベルは吐血しながらも、エルトに真実を問いただそうとする。
「無駄だよ、ミラベルさん。こいつらは自分たちのことしか考えてないから」
マナが口を挟んできた。エルトはマナをずっと睨み付けている。マナもエルトが出て来てからは臨戦態勢に入っていた。
「マナさん、でしたか。あなた、厄介ですね。僕たちの計画を二度も邪魔してきて」
エルトの注意はもう既にミラベルにはなかった。
「邪魔してるのはどっちよ」
マナはいつでも剣を抜ける態勢のまま答える。
「おっと、マナさん。あなたとやり合うつもりはないんですよ。僕はそんなに長くこちらにはいられないので。そこの、ミラベルさんがしくじってしまったから、後始末に来ただけです」
「後始末? それってミラベルさんを殺すことっていうの?」
ミラベルはまだ息がある。回復魔法を使えばまだ助かるかもしれない状態だ。マナはこれ以上エルトにミラベルを攻撃されないよう神経を尖らす。
「ちがいますよ。口封じはついでです。本当の目的はこっち」
エルトが手に取ったものは分体結界核であった。エルトが手に力を籠めると、そのまま粉々に砕け散ってしまった。
「しまった!」
マナはミラベルに注意を取られて、分体結界核の方に意識が向いてなかったことを悔やんだ。
「それではさようなら、近いうちに我々から堂々と会いに来ますよ」
そう言うとエルトの身体がブレて歪み始めた。
「逃がすかっ!」
マナが抜刀して斬りつけた。が、剣は空を切っただけで手ごたえはなかった。
「……逃がした。あっ、ミラベルさんっ!」
マナはミラベルの元に駆け寄った。マナは回復魔法が得意ではなかったが、少しでも傷を塞ぐことができれば、延命はできると考えた。
「マナ、いい。もう私は駄目だ。自分で分かる」
ミラベルは回復魔法を受けるのは断った。
「そ、そんな……」
「気にするな。私は大勢の人間たちを裏切ってしまった。いつかその罰を受けなければならない。それが少し早まっただけだ」
ミラベルは自分が死ぬと分かり、少し安心したようだった。
「分体結界核のことは心配しなくていい。私がホムの街から持ってきたものを持っている。これを使え」
ミラベルは、自分の服の内側に隠してあった分体結界核を取り出してマナに渡した。
「これをあの台座に置いておけば、結界は維持できるだろう。私の魔力を込めている。脆弱な魔力しか持たないここの守護者でも維持できたのだ。私の魔力なら、しばらくは大丈夫だ」
「……ミラベルさん、ありがとうございます」
「エルトのやつ、私がこれを持っていたことを知らなかったのが誤算だろう。今ごろ悔しがっているぞ。ざまあみやがれ、だ」
ミラベルは少し笑った。
「ざまあみやがれ、ですね」
マナはミラベルに同調して同じように笑う。
「マナ、最後に教えてくれないか。お前は何のために戦っているのかを」
ついさっきは訊けなかった質問だった。死ぬ前に訊いておきたかった。死ぬことになった理由として訊きたかった。それで自分の死を完全に受け入れようと思った。
「ミラベルさん、それはね……」
マナは静かにミラベルに話した。自分の目的を。戦っている理由を。
「そ、そうだったのか。マナよ、安心した。最後に教えてくれてありがとう。わ、私が言えたことではないが、この世界を頼んだぞ」
ミラベルはそう言うと最後の力が抜けていくのを感じた。意識がなくなる直前に見えたのは、マナの顔だった。マナは笑っていた。初めて見た時と同じように、花でも買いに来た少女のように微笑んでいた。その顔を見たミラベルは安心した表情のまま、目を閉じた。




