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狼の鳴き声が次第に大きくなってくる。いや、狼ではない。狼の魔物だ。確実に距離を詰めてきている。何匹に囲まれているのか。ルベルは耳を澄ますが、足音だけでは判断が難しい。かろうじて分かる範囲で、最低でも五匹はいる。
「ルベルー。七匹もいるよー。楽しみだねー」
「げっ、そんなにいるんですか?」
マナは耳が異常に良い。ルベルも耳に関しては相当自信があったが、マナのそれと比べたらかなり劣る。現にルベルは今魔物の数を聞き違えた。マナの方が正確なのである。それにしても魔物に囲まれているというのに、マナにはまったく緊張感がない。
「先輩と一緒にいると、ホント、どんどん自分に自信を無くしてしまいますよ」
「何言ってるのよ。その温存している魔力を使えばいいじゃない? こないだも隊長の前だからって使わなかったでしょ」
「い、いや、あれは隊長が強過ぎて使う暇がなかったんですよ」
ルベルは嘘を言っていない。あの時。ホムの街が魔物の群れに襲撃されて、ターク隊長の救援に向かった時、ルベルは既に魔法の詠唱を始めていた。直後にタークが大暴れして、その魔物を倒してしまったから、使うことがなかっただけだ。
「で? 先輩。僕の魔法で何をしたらいいですか?」
「うーん、全員眠らせてくれたら最高かな」
「はぁっ、眠らせてって……分かりましたよ」
そうくると思っていた。マナは魔物を殺さない。無力化して結界の外へ追い返す。それは魔物が可愛くて仕方がないという異常な性癖によるものだ。だが長い間一緒に組んできたルベルは知っている。マナはそれをずっと実行し続けていることを。それをするのがどれだけ難しかを。魔物を殺す方が何倍も楽なのである。
ルベルは手に魔力を込める。魔法の発動は体内で練り上げた魔力を放出する行為だ。練り上げた魔力をどう出現させるかは、それぞれの術者に委ねられる。もちろんどれだけの魔力を練られるかも、個人の資質によるものが大きい。
ルベルは魔力を自分の立っている地面に向けて放つ。空気中を無理やり伝播させるより効率がいい。眠らせる程度の威力に留めるとすれば、魔力の微調整が必要だ。伝達応答が良い土魔法が最適なのだ。
「いきます! グランド・ホール!」
「ふぅー、かっこいいー」
「ちょ、茶化さないで下さいっ」
ルベルから放たれた魔法で、マナとルベルの周りの地面が急にえぐられて、大きな円周状の穴が空いた。魔物たちは突如出現した穴に対応できず、次々と落下していった。
「ふぅっ、どうでしたか? 先輩」
「うん、凄いね。魔法でこんなことも出来るんだ。……でも、惜しいっ!」
二人の背後から二体の魔物が襲いかかって来た。ルベルの魔法に反応できた個体が二体もいた。ルベルは咄嗟のことで反応が遅れてしまう。すると、マナが一体の攻撃を素早くかわし、そのままルベルに襲いかかっていた魔物の首を蹴り飛ばした。蹴り飛ばされた魔物は、倒れたまま沈黙した。もう一体の魔物が最後の力を振り絞って、マナに襲いかかる。
「もう、その攻撃はさっきかわされたでしょ。見切られてるのが分かんないかな」
マナは、上へ飛んで攻撃をかわした。そして自身の落下の勢いを踵に乗せて、魔物の後頭部へ振り下ろす。『ギャンッ』と呻き声が聞こえたのを最後に、その魔物も沈黙してしまった。
「ふぅ、これにて一件落着」
「今さらですが、その台詞、なんなんっすか……」
「そんなことよりもルベルっ!」
急にマナがルベルに向かって人差し指を立てる。
「やっぱり80点かな。ほらっ、穴の中の魔物たちはまだ元気みたいだよ」
穴の中からは魔物の吠える声が響いてきている。もう少し穴が浅かったら、全員飛び出してきて襲われていた。
「はい、でも一瞬で眠らせるなんて、できないですよ……これが僕の限界です」
「いや、発想の問題でしょ。手頃な岩を首の後ろに程よくぶつけるとか、風魔法で少し呼吸を苦しくするとか。魔物はあれだけ全力で走ってるんだから、少し息止めただけで、酸欠になってすぐに倒れてくれるよ」
確かに、マナの発想は間違っていない。たが、通常であれば火炎魔法を広範囲に撒き散らして、殺してしまうのが定石だ。殺傷能力の高い魔法が使える方が優秀なのである。
「ルベルは魔力が多いことにかこつけて、魔力の練り方が雑なの。もっと繊細な調整ができるようになれば、もっと強くなれるよ」
「そ、そうですか……」
急に真面目に指導してくるものだから、ルベルは照れてしまう。戦闘に対して才能の塊であるマナの言葉だけに、腑に落ちる面があるからだ。
ルベルはふと、何かの気配を感じた。魔物の生き残りかだろうか。いや、殺気を感じない。誰かに監視されている。少し離れたところから見られているような。
「先輩。気づきましたか? ……あれっ? 先輩?」
さっきまで横にいたはずのマナがいなくなっていた。嫌な予感が全身を駆け巡る。ルベルは魔法で地面の砂をかき集め、小さな針を作る。少し離れたろころから気配を感じる。ルベルは神経を集中させる。
「自分の耳を信じろ。集中……。よしっ、そこだっ!」
ルベルは背後の僅かな呼吸の乱れを感じ取って、針を投げつけた。
「きゃんっ」
可愛い声をあげて、木の上から人間が落ちてきた。
「ん? あの制服は、もしかして……?」
落ちたところに駆け寄ってよく見ると、その者は騎士団の制服を着ていた。




