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キジトラ柄の猫

 妻が昼間捨てた猫が、

 死んだ筈の片耳の欠けたのが、息子の革靴の上に座っていたのだという。

 これは怖い。

 さすがに聖も聞いていて背筋がブルッとした。

「それで、今度は、どうされたんですか?」


「捕まえました」

 男は再現するように両手で、何かを掴む動作をする。


「逃げなかったんだ」

「そうです。アイツは動かなかった。座ったままの格好で全身を震わせていました」


「それから、どうしたんですか」

 気味悪さに首でも絞めたか?

 ……いや、そうではなかった。


「掴んで、外に出て……捨てました。ここです」

 男はスマホを出して触り、地図を聖に見せる。


「捨てたのは、家から北に三百八十メートル上がったところにある、給水塔のフェンスのところです」

 とても重大な事であるかのように。

「とっさに思いついたんです。給水塔のフェンスの中に、投げ入れようって。二メートル近い高さだ。出てこれないだろうって……そうしなかったのは、ちっちゃい声でミャアと鳴いたからです」

 普通の、弱っている猫を抱いている気分に不意になってしまった。

 乱暴な行為に間際で、ストップがかかった。

 彼は、フェンスの横の草むらに、そっと猫を置いてきた。


 来た道を走って戻った男の耳に、妻の叫び声が聞こえた。

 何事かと慌てて家の中に駆け込むと、

 台所で喚く妻の指さす先に、

 猫が座っていた。


「猫が玄関に居たことも、主人が給水塔まで捨てに行った事も、私は知らなかったんです。台所で、玄関が開く音が聞こえたから、主人やと思って行きました。でも、誰も居なかった。気のせいやと思って台所に戻ったら、テーブルの下に、座ってたんです」


 ひえー、と叫びそうになるのを聖は堪えた。


「家族を怖がらせたくなくて、黙って捨ててきたんだ。ところが、給水塔から帰ってきたら、居るじゃないか。歩けない猫がなんで俺より先に家に戻ってきてるのか。玄関は閉めていったし、窓も開けていない。一体、どこから家の中に入ったんでしょうか」


彼らの話が事実なら、猫は瞬間移動したことになる。


「それは……同じ猫だったんですか?」

「はい。間違いありません。焦げ茶で虎のような模様のある、同じ猫です」

 と男が答える。

 猫の柄はキジトラ。日本にいる野良猫の中で一番多い柄だ。

 聖は、

 何となく、まだアリスの剥製を触っている双子を見てしまう。

 妙に静かで黙って佇んでいる。

 あの子たちが、やっぱり怪しい。

 悪質ないたずらじゃないのか?

 中学生男子二人、力を合わせて、おなじキジトラ猫を二三匹捕獲して、片耳をハサミで切り、両親に同じ猫だと錯覚させて……見かけによらず、かなり邪悪な息子たちかも。


「息子は違います。部屋で寝ていました」

 と男は聖の疑いのまなざしに気づいて庇う。

 妻も深く頷く。


「それで、テーブルの下にいた猫をどうしたんですか」

 今度こそ殺したのか?


「車で、遠くへ捨てに行きました」

 男はまたスマホの地図を見せる。

 大きな川の、河原の拡大図。

「ここですわ、ここに埋めたんです、まちがいありません」

 柔らかい関西弁で妻が言う。

 夫婦二人で猫を生き埋めにしたらしい。


「深く埋めたんや、ないんです。川へ流すのは残酷な気がして、河原で穴を掘って、その中に置いて、上に小石と草を並べただけです」

 ……川に流した、と確か言っていた。が、この時は川には行ったが、流さず埋めた。

 じゃあ、まだ続きがあるんだ。


「また、家に帰ってきたんですか?」


「しばらくは何事も有りませんでした。私たちは、一旦は忘れてたんです。それが、四日前に、家の前にいたんです」

 

 四日前、

 五月十日の火曜日のことだ。

 男が早朝、家を出ると、

 キジトラ柄で、片耳が半分欠けている猫が、

 家の前の道路で死んでいた。

 内蔵が飛び出し平たくなって、べったりアスファルトに張り付いていたという。


「車に轢かれた?」

 死骸の様子から、死因は特定できる。

 双子の仕業にちがいないという推理が揺らぐ。

 猫を道路に貼り付けるのは可能だろうが、それを車に轢かせるのは難しい。

 猫が交通事故に遭いやすいのは、飛び出してくるからで、路上に横たわる猫を、普通は轢かない。轢きたくない。


「役所に、電話したら、すぐ来てくれはったんです。ああいう死骸は生ゴミと一緒に焼却する筈、ですよね」

 涙で潤んだ妻の目が大きく見開かれ、まっすぐに聖を見つめる。

 自分が味わった真の恐怖は、これからだというように。


「昨日の夜です、風呂場にね、また、おったんです」

 妻の目から大きな涙がこぼれ落ちた。


 浴室の扉を開けたのが午後六時。

 キジトラ柄で片耳が欠けた猫は、浴槽の中に座っていた。

 妻は恐怖と驚きで発狂しそうになったにちがいない。


「混乱した頭に、漂白剤と酸性の洗剤を混ぜ合わせたら、有毒ガスが発生する、自殺できると、何故かそれが頭に浮かんで……二つの洗剤を浴槽に流して、蓋を閉めました。そうしといて、主人の帰りを待ったんです」

 懺悔のように涙ながらに語る。


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