最終話 本当の夫婦になるふたり
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その日の晩、アリスは王城の一室にいた。
ベッドの上で、うとうととまどろみを楽しんでいた。
久しぶりの風呂がよかったのか。
それとも数日ぶりにおなか一杯になるまで食事をしたのがよかったのか。
はたまた極上のマットレスと寝具がいいのか。
とろんとした眠気が自然にやってきて、非常に心地よい。
また、眠りに落ちる寸前をふよふよと漂うこの感じもよかった。
室内にはアリスしかおらず、当然物音などなにもないのだが、耳をすませば窓の外からかすかに風の音がしたり、鳥の鳴き声が聞こえたり。
そんなすべてが心を穏やかにしてくれる。
アリスがゆっくりと、深く息を吸い込んだ時。
コンコンコン、と。
静かにノックが聞こえてきた。
「……はい」
まだ寝ころんだまま返事をする。
「俺だ」
低く耳触りのよい声。カレアムだ。
アリスはもぞもぞと上半身を起こし、ベッドサイドにもたれたままの姿勢で「どうぞ」と応じた。
「起こしたか?」
「ぼんやりしていただけなので」
アリスは笑ったがカレアムは申し訳なさそうな顔をする。
だがアリスこそカレアムの服装を見て一気に目が覚めた。
彼はまだきちんとした服装をしており、詰襟のホックさえ外していない。
きっと彼は、アリスがのんびり風呂に入ったり、ゆっくり食事を堪能していた時も、聴取を受けたり陛下からの質問に答えていたりしたのかもしれない。
それなのに自分はぼんやりのんびり過ごしすぎた。
「あの、公爵……」
上着、脱ぎます? と言いかけて立ち上がろうとしたのだが、カレアムに制された。
ついで、彼はベッドの脇にドスンと座り、襟を緩める。
「ゆっくりしてるところに申し訳なかったな。少しでも様子を知りたくて……」
「いや、私は公爵のおかげで夕飯もお風呂も!」
あわあわして言うと、カレアムはようやく目元を緩めた。
「そうか、ならよかった」
「あ……あの、それで陛下は? というかそうだ! 公爵都の! 屋敷のみんなはどうなんですか⁉ シシリーさんとか!」
「安心しろ。みな、無事で君の帰りを待ちわびている」
「そ……そうですか」
ほっとして肩の力が抜けた。
「スー・ミラの訪問をいち早く知らせてくれたおかげで、こちらも動きやすかった。使用人たちの報告も的確でな。すぐに王都に向けて行軍していたら、途中で元近衛兵たちに出会ったんだ」
「行軍⁉」
アリスは目を丸くするが、カレアムはしれっとした顔で頷く。
「妻が奪われたのだ。当然だろう」
「いや……でも、反逆罪を疑われても知りませんよ⁉」
「非は明らかだろう。それに反逆罪だなどとそしりを受ければ、真っ向から受けて立つ。うちの軍備をなめるな」
「そ……そうですか」
なんとなくこの人が兄と仲良くやるわけが分かる気がしてきた。
「元近衛兵たちが詳細に知らせてくれたおかげで、王都ではなくまっすぐに君のもとへ行けたのもよかった。それとあれだ」
「なんです?」
「街道の整備状況も確認できたしな」
「整備状況?」
アリスが尋ねると、カレアムはくすりと笑った。
「セディナが王都民に浄化ツアーとかを呼び掛けていただろう?」
「ええ。魔石の」
「それを口実として王都への街道を整備していったのだ。うちのカネで」
「……それが?」
「もともと王太子は公爵都に対していろいろと思うところがあるようだからな。いつか恐ろしく素早く行軍して王都を包囲し、二度とたてつこうと思わないようにしてやろう、と思っていた」
「だからあんなに早く私のところに来れたんですか⁉」
「だが逆に王都からもこちらに素早く進軍できることがバレた。陛下も気づいておられる。今後、ところどころ関所をつくる予定だ」
なんとまあ、とアリスはカレアムを見る。
王都でのんびり暮らしている王族とはまた違った感覚をお持ちの方らしい。
だがそれが良い刺激になればあの王太子も変わるのではないだろうか。
「あ。それで王太子殿下の処罰は……」
「蟄居だ。身分についてはまだ詮議中ではある。だが、スー・ミラとの婚約については反故になった」
「は⁉ また⁉ え! でも運命の相手……!」
「その運命の相手にそそのかされてこんなことをした、と。悪いのはスー・ミラだと兄君は言い張っている」
「さいてー……。私、本当にあの人と結婚しなくてよかった」
顔をしかめて思わず言うと、カレアムはちょっと驚いたような顔をしてから噴き出して笑った。
「そうだな」
「公爵と結婚して正解でした」
「ああ、そうだ」
カレアムは頷くと、アリスに向かって両腕を伸ばした。
「本当に無事でなによりだ」
そう言って今度は緩く抱きしめてくれる。
「急いできてくれたんですか?」
素直に身を預けながらアリスは尋ねる。
「もちろんだ」
「心配した?」
「ああ」
カレアムはアリスの首に顔を近づけるようにして抱きなおすから、アリスはくすぐったくて少し笑った。
「もう会えないかと思った。君は違うのか?」
「私? 全然。だって公爵が助けに来てくれるってわかってましたから」
アリスはカレアムの背中に手を回し、軍服をぎゅっと握った。
「実際こうやって助けに来てくれました。誇るべき私の夫です」
「夫か」
カレアムがアリスの耳たぶにキスを落とす。「くすぐったい」とアリスは笑ったが、カレアムがその腕をほどくことはない。
「そういえば俺が出て行く前にした約束、覚えているか?」
「約束?」
抱きしめられたまま、アリスはカレアムを見上げる。彼の黒瑪瑙のような瞳は穏やかに自分を見つめていた。
「帰ってきたら……」
「あ……」
アリスは声を漏らす。
そうだ。
帰ってきたら本当の夫婦になろうと彼は言ったのだ。
不意にカレアムが顔を寄せて来た。
唇が触れ合う刹那、彼は尋ねた。
「約束を守ってもいいだろうか?」
もちろんとアリスがうなずくと同時にカレアムの唇が重なった。
その晩。
二人は正式な夫婦となった。
ずっとずっと。
互いを愛し続ける夫婦でい続けた。
これはのちのことになるが。
彼らは歴史に遺る偉業をいくつか行っている。
セディナ家と共同で行った新規海路の開発。魔石を使用した医療についての制度拡充。同じく魔石を使った上下水道の完全整備。
最も有名どころといわれれば。
アリスを救うために役立った街道。
それは今なお残り、首都への主要交通路として使用されている。
了




