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『ロックミュージック研究会』  作者: たうゆの
8曲目 Welcome To Our Festival
69/87

2.病室

 翌日には、課題曲のレコーディングを控えていた。ロミ研メンバーには、事情を知らせた方が良かったのかもしれない。だけど俺はミズキに「みんなには言わないでくれ」と伝えた。


 言ってどうなる? という思いがあった。

 言ったところで母さんの容態は変わらない。変わるのはみんなの目に映る俺だけだ。「可哀想なケイ」「気の毒なケイ」ロミ研のメンバーからそんな風に思われたくなかった。もちろん、あの四人が俺をそんな哀れみの目で見ると本気で思っていたわけではない。だけど、少なからず気を使うだろうと思った。

 あの四人とはそういう関係になりたくなかった。そうなる可能性があることは極力したくなかった。そうなってしまったら、もう二度と修復はできない。そうならないためには明日、素知らぬ顔でレコーディングに臨まなければならない。


 不意に、昔去って行った友達の顔を思い出す。

 思い出すのはどれも腫れ物に触るように媚びた顔と、隠しきれない敵意だ。そいつらとだって楽しい思い出がたくさんあったはずなのに、もううまく思い出すことができない。

 きっと、彼らに悪気はなかったのだと思う。優しく接してくれる彼らを俺が勝手に哀れむなと突き放したのだ。優しさをそのまま受け止めることができなかった。受け入れてしまったら、何故か母さんの病気が二度と治らない気がしていた。

 その結果、俺は一人になった。


「ケイがみんなに言いたくないっていうなら強制はしないけど、本当に大丈夫なの?」


 ミズキはなおも心配そうに言った。

 俺が黙ってうなずくとミズキはしばらくの間、疑いの目を向けていたが、一度「ふぅ~~~」と深く大きく息を吐き、のけ反るようにして顔を上げた。


「それなら私はもう何も言わない。そのかわり、ケイが自分で決めたことなんだから責任持ちなさいよ。それから本当にダメになりそうだったら、その時は誰かにちゃんと言うこと。私じゃなくても良いから。ロミ研のみんなにでもアヤさんにでもちゃんと言うの。分かった?」


「分かったよ。ミズキ、ありがとう」


 短く礼を言うとミズキは照れくさいのか、顔を背けて「どういたしまして」と言った。


 翌日のレコーディングには、予定どおり参加した。母さんのことが気がかりで、いつもどおりに振舞えたか、何事もなかったように振舞えたかは分からない。もしかしたら、ナナカあたりには感づかれたかもしれない。実際ナナカには「何かあったの?」と訊かれた。もちろんとっさに誤魔化した。うまくいったか分からないが、ナナカはそれ以上詮索してこなかった。


 レコーディングの次の日も予定どおり、母さんの病院に行った。

 月に二、三回のペースで見舞いに行っている総合病院。だけど、母さんが倒れてしまったことで、見舞いの意味がいつもとは大きく変わってしまった。

 病院には親父の車で向かった。親父はいつも車で病院に向かう。家からはさほど離れていないのに車で向かうのは、少しでも早く病院に着きたいという親父の意志のせいかもしれない。

 病院に着くと、アヤさんが俺たちを待っていた。アヤさんの旦那さんとその子供も一緒だった。


「ケイくんおはよう!!」


 アヤさんの子供は、マリちゃんという。幼稚園に通う可愛らしい女の子だ。そのマリちゃんが元気よく挨拶をしてくれた。


「おはようマリちゃん」


 挨拶を返すとマリちゃんは嬉しそうに笑った。


「あれからサオリの容態はどう?」


 嬉しそうにはしゃぐマリちゃんとは対照的に、アヤさんが神妙な声で親父に訊いた。サオリというのは母さんの名前だ。


「少し落ち着いてる。山は越えたっていうから、昨日は家に帰ったよ」


 親父は、母さんが倒れた日から二日間続けて病院に泊まっていた。着替えを取る用事などがあったのだろう。昨日は家に帰ってきていた。帰ってきた親父とは、ほとんど話さなかった。


「そう。それなら少しは安心していいのかな?」


 親父とアヤさんの話を俺は黙って聞いていた。親父に「倒れた」と聞かされたほかは、母さんの容態を聞いていない。親父の「山は越えた」という言葉を聞いて少し安心する。

 はしゃいでいたマリちゃんは、親父とアヤさんの会話の雰囲気と俺のテンションのせいで静かになっていた。頭の良い子だから状況をなんとなくだけど、察したのかもしれない。


 アヤさんの旦那さん、ヒロシさんは何も言葉を発することなく神妙な顔で、時折マリちゃんの動きを見張るように目で追っていた。ヒロシさんは親父や母さんの直接の知り合いというわけではないが、アヤさんと結婚したことをきっかけに交流している。アヤさんがカフェに立つことにも理解を示してくれていて、俺も親父もすごく助かっている。

 そんなヒロシさんも母さんを心配して、アヤさんが「一人で行くから」というのを制して来てくれたのだという。寡黙な人なのであまり多くを話さないが「大勢で押しかけてごめん」と一言だけ謝っていた。


「安心していいのかは分からない。医者はハッキリと言わないけど、あまり良くないのかもしれない」


 ドクンと心臓が一度強く鳴る。あまり良くないんじゃ困る。


「そう……。今日、先生から詳しい説明があるんでしょ?」


「あぁ。十時からだ。そんな説明があること自体、あまり良くない証拠なんじゃないかと思う」


 親父は苦しげに言葉を吐き出す。この場に誰もいなかったら、きっと泣いているのだろう。必死に涙を堪えているような声だ。下手に喋ると泣いてしまうから、俺とも話さなかったのかもしれない。


「そんなこと言わないの! きっと大丈夫だから」


「そうだな。えぇと、十時まではまだ時間があるな。サオリの様子でも見に行くか」


 親父は自分に言い聞かせるように呟いた。

 医者から説明があるなど聞かされていない。前回、母さんが倒れた時にそんな説明などあっただろうか。前回との違いを見つけると俺も親父と同様、いちいち不安になる。前回は俺がまだ子供だったから、教えてもらえなかっただけだと自分に言い聞かせる。


「そうだね。じゃあ、私たちも少しだけ顔出して行くよ」


 病室に着くと母さんはベッドに体を起こして座っていた。俺たちがドアを開けて病室に入ると、開け放たれた窓から入る風が母さんの髪の毛を静かに揺らす。無造作におろした長い髪がフワリと舞い上がった。母さんは、ゆっくりとした仕草で舞い上がった髪の毛を押さえた。

 母さんは拍子抜けするほどいつも通りだった。ベッドに縛りつけるように体から伸びた数本の管に気がつかなければ、つい一昨日倒れたというのが嘘なんじゃないかと思えただろう。


「あら、いらっしゃい。みんなして来てくれたのね」


 母さんはいつもと同じように微笑みながら優しく言った。


「心配かけちゃってごめんね。でも、もう大丈夫だから」


 大丈夫なわけがないのはその場の誰もが分かっていたが、誰もそれを口にしなかった。まるで誰かにそうすることを命じられているかのように、みんないつも通りに振る舞った。親父だけがいつもと違って無口だった。


「なんだ。元気そうじゃない。全く、心配かけて」


 アヤさんが言った。


「ごめん、ごめん。アヤ、いつもありがとうね。喫茶店、今もしょっちゅう行ってくれてるんでしょ?」


「しょっちゅうなんてもんじゃないわよ。もうほとんど毎日なんだから。早く元気になってもらわないと困るわ」


 母さんとアヤさんは幼馴染らしく遠慮のない言葉を交わした。アヤさんの苦情は、本心ではない。もちろんそれを母さんも分かっている。


「ごめんって。この人にもアヤに迷惑だから、病院なんか来てないでちゃんと喫茶店やりなさいって言ってるんだけどね。ね? あなた」


 母さんに話を振られた親父はそれでも黙っていた。親父が黙っているのでその先が続かない。誰も口を開かないまましばらく時間が流れる。

 沈黙を破るように一度強く風が吹き込んだ。それを合図に母さんが話題を変える。


「そういえば、ケイ。高校はどう? 友達はできた?」


 母さんは俺に友達がいなかったことを知っている。おそらくその理由も。


「ん? あぁ。まぁ」


 我ながら、もっとマシな答えがあっただろうと思う。中途半端な俺の返事を補足するようにアヤさんが続けた。


「ケイくん、ちゃんとお友達できたみたいよ。この前、喫茶店に連れて来たもの。可愛らしい女の子のお友達までいるのよ。隅におけないわね」


「あら、そうなの? まったく、ケイは何も教えてくれないんだから」


「ロックミュージック研究会って言ったかしら? 部活もやってるんだよね?」


 アヤさんにそう言われた俺は曖昧に頷く。


「ロックミュージック研究会。部活? 良いわねぇ〜。青春って感じね。うまくやってるならいいの」


 母さんは静かにそう言って、長い髪をいじった。

 少しの間、他愛もない雑談をしていると不意に病室のドアが開いた。看護師だった。


「お邪魔しちゃって、すみません。植村さん、そろそろ先生からご説明をするお時間ですので、ご一緒によろしいですか?」


 心底申し訳なさそうな表情で看護師は言った。


「あぁ、もう時間か。それじゃあ、行ってくるよ。すまんが、アヤ。一緒に来てくれるか? 看護師さん。構いませんよね?」


「えぇと……。ご親族の方じゃないと……」


「この人は親族も同然です。なんとかお願いできませんか?」


「分かりました。先生にお話ししてみます」


 親父は、一人で話を聞くのが怖かったのかもしれない。アヤさんと一緒に話を聞くことを望んだ。

 なんで俺じゃないんだと思ったが、口には出さなかった。口に出さなかったのは、いざ「それならお前も来い」と言われるのが、怖かったからだ。俺も医者の話を聞くのが怖かった。

 親父とアヤさんは、看護師と連れ立って病室から出て行ってしまった。

 病室には俺とマリちゃん、それからヒロシさんが残った。マリちゃんは少し不安そうにキョロキョロと俺や母さんの顔を見比べていた。

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