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『ロックミュージック研究会』  作者: たうゆの
6曲目 I'd Do Anything
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7.夏フェス

 梅雨がすっかり明けて、初夏の激しい日差しが容赦なく肌を焼く。わたしは、夏が嫌いだ。サウナのように蒸し蒸しとした湿度も、汗で肌や髪がべたべたになってしまうことも、日に焼けて肌が真っ赤になって痛くなってしまうことも大嫌いだ。


 でも唯一、好きなことがある。

 夏フェスだ。


 小学生の時にパパに連れて行ってもらって以来、わたしは夏フェスの虜になった。思えばわたしが本格的にドラムを始めようと思ったのも、音楽が好きで好きでたまらなくなったのもその時の夏フェスがきっかけだった。

 その夏フェスに今年はロミ研メンバーの四人と一緒に来ていた。五年前にパパと一緒に来たのと同じ夏フェスだ。


 ロミ研のみんなで夏フェスに行こうと提案したのはわたしだ。こんな大掛かりな……と言ったら大袈裟かもしれないけど、イベントを誰かに提案したのは初めてだった。遠山さんとやりあったあの日、ナナカをもう一度バンドに、そして音楽に引き戻す方法としてわたしが提案したのが夏フェスだった。


 わたしは、遠山さんとの一件以来、金曜日以外はロミ研の部室に顔を出していた。けれどナナカは文化祭ライブ以来、一度も部室に顔を出していない。


 きっとナナカの中の音楽に対する恐怖心が、許容できないところに達してしまったのだと思う。ナナカの恐怖心は、あの文化祭ライブから落選したことで、音楽と接することを拒否させるほどに膨れ上がってしまったのだ。情熱を失ってしまったのかもしれない。


 ナナカはロミ研のメンバーの誰よりも責任感が強い。その責任感が音楽に対する恐怖心として、しばしばナナカに襲い掛かっていたことをわたしは知っていた。バンドを組んだ当初から薄々は感じていた。知っていて、感じていて何もしてあげなかった。

 ここまで深刻な事態になるとは予想していなかった。


 幸いにもわたしは音楽を怖いと思ったことはない。音楽はいつもわたしに優しく寄り添ってくれる。わたしが怖かったのは、わたし以外の他人だ。

 小学生の頃は、今よりもずっと内気で人とほとんど話すことができなかった。そんなわたしを見かねてパパは夏フェスに連れ出してくれた。当時は、なぜ暑い中わざわざ屋外で音楽を聞かなければならないのかと不満ばかりだった。そんなわたしの価値観はたった一日で、いや、ほんの数秒で変わってしまった。


 あの日のオープニングアクトがトレウラだった。


 今わたしがこうして友達を作って、おしゃべりをして、一緒に夏フェスに来られるほど他人に対する恐怖心を克服できているのは、トレウラと出会わせてくれた夏フェスのおかげだった。それなら、ナナカも夏フェスで音楽に対する恐怖心を克服できるのではないかと考えた。


 でも、わたしがこの提案をした時、植村くんも内田くんも懐疑的だった。音楽に恐怖心を持っているかもしれないと言う意見には賛成してくれたのだが、それを音楽で解決できるとは思えないと言われた。もっともだと思う。

 だけど、わたしには根拠のない自信があった。ナナカは絶対に音楽が好きだ。その気持ちがあるならどんな恐怖心も、たとえそれが音楽に対するものであっても必ず音楽で克服できるとわたしは信じている。


 隣を歩くナナカをチラリと盗み見る。背筋を伸ばして真っ直ぐに前を見て歩くナナカは、一見すると知り合った頃から何も変わりがない。いつも通りに思える。

 けれど、今日ここにナナカを連れてくるのは一筋縄ではいかなかった。

 わたしが「夏休みにロミ研のみんなで夏フェスに行こう」と声をかけたのは遠山さんとの一件があった次の月曜日の朝だった。ナナカははっきりと嫌とは言わないけど、歯切れの悪い返事をしていた。いつもハキハキとしているナナカには珍しいことで、すぐに気乗りしないのだと分かった。それでもわたしはしつこく誘い続けた。けれど、ナナカが首を縦に振ったのはわたしのしつこい勧誘の成果ではなかった。


 きっかけは、植村くんだった。


 一週間ほど誘い続けても一向に前向きに検討してくれないナナカに手を焼いたわたしは、ある日の放課後の練習前にロミ研メンバーに相談を持ち掛けた。状況を伝えると、意外だと思うメンバーは一人もおらず、むしろ予想どおりだという反応だった。

 自信満々で「ナナカは音楽が好きだから大丈夫」と啖呵を切った手前恥ずかしく、また悔しかった。でも、そんなことよりもまたナナカと一緒にみんなでバンドをやりたいという気持ちが強かった。「どうすればいいかな?」と意見を求めると「俺に任せて」と植村くんは迷いなく言った。


 その翌日の午後、植村くんはナナカを連れてロミ研の部室にやってきた。どんな方法でナナカに首を縦に振らせたのかは教えてくれなかったが、わたしたちはその日のうちにチケットの予約をした。


 夏フェス自体は三日間開催されていたが、わたしたちが住む街からは少し遠い。送り迎えはわたしのパパがしてくれるが、三日とも行くとなると泊まりがけになる。ホテル代がかかってしまい、自分のお小遣いでは賄えそうにない。チケット代だけでもそれなりに高額だ。だからどれか一日に絞って行くことになった。

 どの日に行くかはメンバー内で意見が割れた。

 それぞれが観たいと思うバンドやアーティストの出演日がバラバラだったからだ。わたしとユリハ会長は意見がピッタリ合ったのだが、植村くん、内田くんとは行きたいと思う日が違った。

 しばらく、白熱した議論を交わしていたのだが、議論が落ち着いた頃、ナナカが置いてけぼりになっていることに気がついた。けれど、ナナカは不機嫌になったり落ち込んだりする様子はなかった。


 わたしが「ごめん、ナナカ。つい、熱くなっちゃって」と謝ると笑いながら「いいよ、いいよ。あたしはどの日でも構わないから。ていうかケイの言った通りだったよ」と言って笑った。あんな風に笑うナナカを久しぶりに見たような気がした。

 植村くんの言った通りとはなんだろう?と気になって、口に出そうとしたが「それじゃあナナカに決めてもらおう」という声に掻き消されてしまった。機会を失ってしまって、今もまだ気にはなっているけど訊けずにいる。


「うーん、本当にあたしはいつでもいいんだけど……。それじゃあ、ケイが行きたいって言ってる日にしようかな。最終的には、ケイの誘いに乗ったわけだし」


 そう言って、わたしに笑いかけた。表情に「ごめんね」という気持ちが見えた。


 ユリハ会長からも内田くんからも特に不満は出なかった。もちろんわたしも不満はない。当然だ。

 みんなお気に入りのバンドはいるけど、一番の目的はナナカに戻ってきてもらうことだから。ナナカが戻ってきてさえくれれば、どんなタイムテーブルだって楽しめる。


 そんな経緯でナナカを夏フェスに連れ出すことには成功したけど、その日以降もナナカは相変わらずロミ研には顔を出さなかった。


 わたしたちは、夏フェス会場でどう行動するか、何も計画を立てていなかった。ロミ研メンバーの中で夏フェスに参加した経験があるのはわたしとユリハ会長だけ。

 男の子二人は、初めての夏フェスにいつになく興奮していた。メインの目的を忘れたわけではないだろうけど、少し心配になる。


「なぁなぁ、まずは何したらいいんだ?」


 内田くんはキョロキョロと辺りを見回したり、入り口でもらった会場内の地図とタイムテーブルが書かれたパンフレットを凝視したりしている。会場に入った瞬間からずっとこの調子だ。

 植村くんは内田くんほど落ち着かない素振りを見せてはいないけど、どこか上の空で話を聞いていない時があるように感じる。もっとも、ここ最近の植村くんはこんな感じの時がよくあるから夏フェスの効果なのかは分からない。

 わたしも何度か来ているとは言え、やっぱり興奮せずにはいられなかった。ユリハ会長も同じように見えた。結局、いつも通りなのはナナカだけだった。だから、ナナカがわたしたちロミ研の舵を切る。


「とりあえず、一番最初にやってるのはこのクローバーステージじゃない?だからここに行ってみるのはどう?ほかに同じ時間にやってるバンドはないみたいだしさ」


 クローバーステージとは四つ用意されているステージのうちの一つだ。ステージは大きい順に、スペードステージ、ハートステージ、クローバーステージ、ダイヤステージと名付けられていた。クローバーステージのトップバッターはパンフレットによると『コンテスト優勝バンド』らしい。


「いいねいいね!俺早くライブ見てぇし、なんでもいいんだけど、コンテスト優勝バンドってなんだ?」


 内田くんが興奮気味に言った。


「この夏フェスに出られる権利をかけてアマチュアバンドの大会が先週までやってて、その大会の優勝バンドだな」


 わたしやユリハ会長よりも先に植村くんが答える。


「なるほど。まぁ、なんでもいいか。じゃあクローバーステージ行くぞ」


「そうだね。アマチュアとは言ってもプロとアマの境目なんて曖昧だし、大会を勝ち抜くようなバンドだからきっと上手いんじゃないかな?」


 わたしも同調する。ユリハ会長も特に反対ではないようなので、わたしたちはクローバーステージに向かうことにした。

 クローバーステージは最大収容人数3000人ほどのこのフェスの中では小さなステージだ。それでもアマチュアがやるにはかなり大きなステージだと思う。最初のバンドこそアマチュア代表とされているが、その後に登場するのはみんなプロのバンドだから当たり前といえば当たり前だ。


 わたしたちが到着したときにはまばらではあるが、既に観客がトップバッターの登場を待っていた。最前列には、バンドのコアなファンだと思われる人たちが陣取っている。その人たちの着ているTシャツに見覚えがあった。

 ほどなくして、大きな音とともにスクリーンに大きくバンド名が映し出された。

 そこには、黒地にピンクの派手なフォントで『Pinky & Black』と書いてあった。リサさんがボーカルを務めるバンドの名前だ。「まさか……」という思いと「リサさんなら!!」という思いが同時に沸き起こる。


「ピンキーアンドブラックって、リサさんのバンドだよね!?」


 ナナカが困惑したような声で誰にとなく言った。


「だな。まさか同じバンド名なだけってこともねぇだろうし、ユリハ会長何か聞いてないの?」


 内田くんも興奮と困惑が入り混じったような声をしていた。


「聞いてない。なにも……」


 ユリハ会長はそう言ったきり黙ってしまう。


 大きな歓声にかき消されてはっきりとは聞き取れなかったけど、植村くんが「リサさんのバンドで間違いないよ」と言ったような気がした。


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