1.UCHIDA楽器
俺たち四人が晴れてバンドを結成した翌週の日曜日の午後。俺はナナカとエリがうちの店アナーキーに来るのを待っていた。
バンドを組むことになったその日、自己紹介も兼ねてお互いのことを色々と話す中で、ナナカもエリも南中の出身で、二人の家はどちらも俺の家から徒歩十五分圏内にあることが分かった。それどころか、ナナカの家はうちの店にハチミツを卸してくれている養蜂園だということまで分かった。俺も一度だけ行ったことがある。あのとき養蜂園の前で会ったのがナナカだったのだが、お互いに気が付かなかった。
それを聞いたケイガとエリは呆れていたが、気がつかなかったのだから仕方がない。
ちなみに、エリはケイガが夏休み終わりにやってきた転校生だと気付いていたらしい。気がつかなかったナナカは「口に出さなかったんだから気付いてないのと同じだ」と抗議していた。
とにかく、今二人をカフェで待っているのは、家が近くて集合しやすいからという理由でうちの店が集合場所に選ばれたからだ。ケイガも何かとうちの店に来たがるが、何か惹きつけるようなものでもあるのだろうか。
ちなみにケイガは今日は集合しない。三人で向かう先がケイガの家だからだ。目的は俺のギターとナナカのベースを買うことだ。
この一週間、相変わらず俺はケイガに借りた安物のギターを使っていた。
ナナカのベースもどこかからの借りものだったらしい。ちょうどナナカも自分のベースを買おうと思っていたところで、それなら一緒に買いに行こうという話になった。そして「それなら俺のところに来い」とケイガが言うので詳しく聞くとケイガの家は楽器屋を営んでいるということだった。
俺はこのときまでそのことを知らなかった。思えばケイガについて知らないことばかりだ。
カランッカランッ――
店の扉に取り付けられた鐘が鳴った。「チリン」という鈴の音では弱いと随分前に親父が鐘に付け替えた鐘の音だ。
「こんにちは〜」
最初に姿を見せたのはナナカだった。ナナカだけかと思ったが、よく見るとナナカに隠れるようにしてエリもいた。
「こんにちはぁ」
「こっちこっち。さすが、二人はケイガと違って時間通りだね」
俺はアヤさんに自分の客だと目で合図をして、俺とケイガが勝手に特等席と呼んでいるボックス席に案内する。
「エリはお店の前で待ってたよ。いつからいたんだろうねぇ〜」
ナナカが茶化すように言う。
「わ、わたしもちょうど来たところだったよ。入ろうと思ったらナナカももう着くって連絡くれたから……」
エリは必死に反論する。
「ふぅ〜ん。まぁ、いいけどねぇ〜。エリ、初めて入るお店は一人じゃなかなか入れないから、てっきりぃ〜?」
「もうやめてよ〜」
二人は放っておくとずっと戯れている。これが音楽の話やバンド練習のときになると立場が真逆になるのだから面白い。
「お、なんだエリ。そんなにうちの店が怖いか?親父が聞いたら泣くぞ」
俺もケイガも遠慮なくエリをイジるようになっていた。もちろん、エリに対して本気で害意を持ってるわけではない。そんなことはエリもナナカも十分、分かってくれていた。
「植村くんまで。酷いな〜。ナナカも植村くんもどんなギターとベースがいいか教えてあげないよ。内田くんに教えてもらう?」
エリが言いながら頬を膨らませる。本当に教えてくれないと困るので素直に謝る。ケイガに教わるなんて、なんとなく恐ろしい。エリはすぐに冗談だよと舌を出した。
「それじゃあ、早速だけどケイガのとこ行くか?ナナカ、ちゃんとお金は持って来た?」
「もちろん持って来たよ」
ナナカに聞くとナナカは背中に背負ったリュックをさすりながら頷いた。ナナカは普段のイメージとは違って結構かわいらしい恰好をしていた。
それとは対照的に、エリはトレウラのバンドTシャツにデニムのパンツ。それにヴァンズのスニーカーというボーイッシュないでたちだ。
「そういえば、何も頼まなくてもいいの?せっかく入ったから何か飲みたかったのに」
エリはきっと勇気を出して店に入ったのにもったいないと感じているのだろう。
「ケイガを待たせるとうるさいぞ。うちの店にはいつ来てくれてもいいんだからまた今度にしよう」
そう言うとエリは素直に頷いた。
アヤさんは何か言いたそうだったが、それを無視して俺たちはサッサと店を出てケイガのもとに向かうことにした。
二人には悟られないように細心の注意を払っていたが、俺はかなり緊張していた。女の子と出かけるなんて幼馴染のミズキとしか経験がない。
ケイガが指定した場所は俺たちの住む町から少し離れたところにあった。俺たちの住むエリアが新興住宅地だとすると、昔ながらの下町のような雰囲気だ。
始めて行くエリアだったから少し不安だったが近くまで来るとすぐに分かった。大きな十字路の真ん中でケイガが大きく手を振っていたからだ。
「お~い、こっち、こっち!お前らおせーよ」
ケイガは大声でこちらに向かって叫んでいた。俺たちは周りの目が気になり、恥ずかしいので、駆け足でケイガのもとへ向かった。
「よぉ!遅かったな。ここだ」
もちろん俺たちは時間通りにやってきたから遅いというのは言いがかりだ。
ケイガの指さした先には大きく『UCHIDA楽器』と書かれた看板があった。ガラス越しに店内が見える。それほど広くはない店内にはギターやベース、ドラムなどが所狭しと並んでいた。
「まぁとりあえず入れよ」
ケイガはサッサと店の中へ入っていった。俺たち三人は黙ってそれに従う。
店内にはほとんど人がいなかった。一人、黒い長髪を後ろで束ねた兄ちゃんがいるのが目についた。お店のロゴが入ったエプロンをしているからきっと店員なのだろう。向こうもこちらに気が付くと軽く会釈をした。あまり愛想は良くないようだ。
「あっくん。父さんは今日も外出てるんだよね?こいつら俺のバンドのメンバーなんだけどさ、ギターとベース探してんの。お願いできる?」
あっくんと呼ばれた男は、静かに頷いてこちらに来いと合図をした。
「紹介するわ。うちの店で唯一の従業員のアキヨシくん。俺はあっくんて呼んでんだけど、店にほとんどいない父さんの代わりに実質、店を回してくれてるんだ。こう見えて俺らの三つ上だから十八歳」
紹介を受けてあっくんは「どうも」とまた軽く会釈した。俺たちもそれに応えて「どうも」とか「よろしくお願いします」とかそれぞれ挨拶をした。
あっくんはどうやら無口なようで、無言のままギターが置いてあるスペースに俺たちを案内した。緊張からかあっくんに釣られてか、俺たちも無言になる。
「とりあえず、まずはギターからだな。おい、ケイ。どんなのがいいとかあんの?」
ケイガだけはいつもと同じ調子だった。
「う~ん、正直どれがいいのかとか分かんないんだよね。おすすめとかある?」
俺はケイガではなく、後ろにいるエリに尋ねた。ケイガに訊くと絶対「ノリだ」とか適当なことを言われるに決まってる。ケイガに何か文句を言われるかとも思ったが何も言われなかった。
ケイガもエリの音楽知識やセンスには一目置いているからだろう。突然話を振られてエリは少し驚いた様子だったが、いつもみたいにオドオドはしていない。
「え!?おススメ?そうだなぁ~。内田くんがレスポールだから、レスポール以外で考えてみたら?お揃いがいいっていうなら別だけど。音がどうだっていうのは、きっとわたしたちには細かくは分からないと思うし。それにエフェクターとかアンプである程度好みの音に調整できると思う。って、色々いっぺんに言っても分からないよね。まずは見た目の好みじゃないかな?実はこれ、結構大事だよ」
エリは音楽のことになると饒舌になる。特にトレウラが絡むと手が付けられない。
俺はエリに言われたことを参考に、まずは気に入った見た目のギターを選ぶことにした。ザッと見渡していると壁にぶら下がった一本の赤いギターが目に留まった。悪魔の角のように二本の突起が特徴の変わった形をしたギターだった。
「俺、見た目ならあれがいい。あの悪魔みたいな形のやつ」
「悪魔ぁ~?どれだよ?」
他の三人も俺の指先を目で追う。
「あ~、あれはSGだね。いいんじゃないかな?レスポールとの相性も悪くないと思うし、音もメリハリがあっていい音出すみたいだよ。有名な人だとウィーザーのリヴァース・クオモが使ってるかな。最近は日本のバンドでも使ってる人結構いるよね」
「そうなの?とにかく見た目が気に入った。ねぇ、ケイガ、これ弾いてみてもいいの?」
ケイガに訊く。
「おぅ、いいんじゃないか?あっくん、いいよね?」
ケイガに言われたあっくんは黙ってうなづいて、SGを降ろし、スタンドに立てかけてくれた。
「ピック持ってる?なければこれ使いな。あとチューナー」
あっくんはそう言って俺にピックとチューナーを渡してくれる。思っていたよりも高く優しそうな声だった。
俺はあっくんからピックとチューナーを受け取って、アンプの前に置いてあった椅子に腰かけ、SGを手に取った。いざ構えてみると見た目から想像したよりもだいぶ軽い。
チューニングをしてから、まずはオープンコードで弾いてみる。続けて音を少し歪ませてパワーコードを、その後簡単なフレーズを弾いてみた。
素直にいい音だなと思った。
どこがどういう風にいい音なのか言葉で説明するのは難しいが、今までケイガから借りて弾いていたストラトキャスターやテレキャスターの音よりもパンチがあり、好みの音だった。
「うん、すごくいい音だね。俺、これにするよ」
全く迷うことなく、まさに即決だった。
「え?もう決めたの?」
ナナカが驚く。そういえば店に入ってからナナカは碌にしゃべらずにスマホをいじっていた。
「うん。これ気に入ったもん。音の良し悪しなんか分かんないけど、すごく好きな音だわ」
「まだ一本しか弾いてないのにいいの?他も試してみればいいのに……」
ナナカは心配そうに言う。
「まぁ、こいつには俺がいろんなギター貸してやってたし、それと比べてこれがいいっていうんだからいいんじゃねぇの?」
「本人がそれでいいならいいけどさ。じゃあ、それ買うの?」
肯定しようとしたとき、エリが口を挟んだ。
「待って。買う前に立って弾いてみたほうがいいよ。内田くん、ストラップって借りられる?」
「ん?じゃあそこのやつ使えよ」
ケイガが指したストラップをあっくんが取って渡してくれる。俺には理由が分からなかったが、エリが言うのならと思って、立って弾いてみる。
弾いてみて分かったが、少し弾きにくい。ヘッドの部分が重く、左手でしっかり支えていないと落ちてきてしまうのだ。
「どう?ちゃんと弾ける?」
エリが覗き込むようにして言った。
「ちょっと弾きにくいな。でも、うん、なんとか弾けるし慣れたら問題ないだろ」
すこし弾き方にコツがいるような気がしたが、そこまで大きな問題とは思わなかった。
「うん、それならいいと思うよ。このSGにする?これ、ギブソンだから結構高いと思うけど大丈夫?」
俺はエリに言われて初めて、値段を意識した。値札を見てみると十二万八千円と書いてあった。
「ヤベッ!!気にしてなかったけど、予算オーバーだ。じゃあ、これは無理だから似たような他のやつにしようかな」
半年以上かけてコツコツ貯めたお金は十万だった。三万ほど足りない。
「なんだ?いくら持ってきたんだよ。せっかく気に入ったやつなのに簡単に諦めんな」
ケイガの声だ。
「そんなこと言ったって足りないし、もう少しグレード下げるからいいよ」
「バカか、お前は。ギターはな。愛が一番大事なんだよ。お前はこいつが気に入ったんだろ?なら何が何でもこいつを自分のものにしろ。足りない分は貸しにしておいてやるから、後で返せ」
そんなことケイガが勝手に決めていいのだろうか、と思ったがすさまじい勢いに気圧される。
「けど、お金借りるってことだろ?それなら貯まった時にまた買いに来るよ」
「それじゃあ他のやつが買っちまうかもしれねぇだろ?父さんには俺の方から言っておくからとりあえず今日は十万だけ払って行けって。ね?あっくん、別にいいよね?」
ケイガはあっくんの了承を取ると強引に押し切ってしまった。俺は申し訳ない気持ちと、気に入ったギターが手に入る喜びが入り混じった複雑な感情でどうしていいか分からなかった。
「じゃあ、ギターは決まりだね。次は、君のベース?」
あっくんは俺の気持ちなんかお構いなしに淡々と仕事をこなしていく。
「あ、はい。あたしはもう決めてきてるんです。えっと、これです」
ナナカはあっくんにスマホの画面を向けた。どうやらナナカは、ネットでほしいベースにあたりをつけていたらしい。店に入ってからずっとスマホをいじっていたのも最終確認をしていたのだろう。
「これ!このミュージックマンってやつです」




