表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第十四章 アシュベル家の館

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

193/193

声の残響

 雪の積もるダンジョンの前で、ノーラは石板に向かっていた。

 駒を動かし、記録を取る。

 メンバーたちの会話が断片的に流れ込んでくる。

「兆さんは、地下牢で子どもを選んだ。躊躇いはあったけれど、自分の手で鎖を外した……」

 ペンを走らせる。

「光さんは、兆さんを"安全"と見做していた。でも——」

 その時だった。

 視界が、ぐらりと揺れた。

「……っ」

 ノーラは石板の縁を掴む。

 めまい。

 いや、これは——

 世界が、別の景色に塗り替わっていく。

***

 瞬きをした瞬間——

 目の前の廊下が、別の風景に書き換わる。

 古びた木の机が整然と並び、

 黒板の前には誰もいない。

 なのに、席には生徒たちの“影”が座っていた。

 チョークの粉の匂い。

 教科書をめくる紙の音。

 ……実在した記憶の“手触り”だけが鮮やかに残っている。

 ノーラは息を呑んだ。

(……なぜ? 私には、対応キャラがいないはず……)

 子どもたちは無言で座っている。

 顔は見えない。

 ただ、黒板には問題が書かれていた。

『正解は……どれだと思う?』

 声が響く。

 子どもたちの影がざわざわと動き、

 いくつかの選択肢を奪い合うように手を伸ばす。

「Aだよ」「違う、B!」「先生はCが好きなんだよ!」

 ノーラは小さく首を振る。


「……違う。答えは、もっと——」

 その瞬間。

 子どもの一人が、ゆっくりとノーラを指差した。

『忘れないで』

 ノーラの喉が、じわりと熱を帯びた。

 息ができない。

 喉元に、見えない手が触れているような感覚。

「……っ、ぁ……」

 ノーラは喉を押さえ、その場に膝をついた。

***

 教室で、子どもたちに教える教師の声が響いていた。

 語学の授業が始まっている。

 だが、教室の隅で——

 一人の少女が、ずっと数式を解き続けていた。

 ノーラだった。

 問題集のページをめくり、鉛筆を走らせる。

 先の授業で出された問題が、どうしても気になって仕方がない。

 解けるまで、次に進めない。

 教師の声が遠くで聞こえる。

「先生、なんで勉強しなきゃいけないの?」

 子どもの一人が、退屈そうに手を上げた。

「……大事なことだからよー。みんな席座ってー」

 教師の声には疲れが滲んでいる。

「つまんない」

「そう言わずに、ね」

 教師は溜息をつき、教室を見回した。

 そして——隅で問題集に向かうノーラに気づく。

「ほら、ノーラさんも算数の授業は終わりよ?」

 ノーラは聞いていない。

 鉛筆の音だけが、カリカリと響く。

「ノーラさん? 聞いてる?」

 反応がない。

 教師の声が、少しだけ鋭くなる。

「……ノーラさん!!!」

 びくり、と肩が跳ねた。

 ノーラは顔を上げ、きょとんとした目で教師を見る。

「……え?」

 教師は深く息を吐いた。

 疲れと、諦めと、ほんの少しの苛立ちが混ざった溜息。

「……もういいわ。好きにしなさい」

 その言葉に、ノーラは小さく頷き——

 また、問題集に目を落とした。

 周囲の子どもたちが、ひそひそと笑う声が聞こえた。

 でも、ノーラには聞こえなかった。

 ただ、数式だけが世界の全てだった。

***

 ノーラは石板の前で、荒い息を吐いていた。

 喉の熱は、ゆっくりと引いていく。

 手が震えている。

 石板の駒が、一つ倒れていた。

 流れ込んだのは、アシュベル家の記憶でもなんでもない。私自身の記憶。

 なのに不意によぎった。

「……私にも、"部屋"がある……?」

 小さく呟く。

 だが、答えは返ってこない。

 ただ、雪の音だけが静かに降り続けていた。

***

 真っ暗な闇の中。

 暗闇の外の鉄柵が軋む。

 冷たい金属音の向こうに、かすかな嘘の匂いが漂っていた。

「……アサヒ。さっきから妙だぞ」

 キサラギは立ち止まり、アサヒの顔をのぞき込む。

「妙……ですか?」

「柵に触れると“どうなるか”を、ずっと言おうとしない」

 アサヒは肩を揺らし、小さく目を伏せた。

「い、いや……言ってるんですけど……その……“びっくりするだけ”って……」

「びっくりじゃ済まない。痛い。危険だ。傷も——」

 キサラギが言いかけた瞬間、

 アサヒの表情がびくり、と強張った。

 キサラギは確信した。

「傷、だ。……その反応。なぜだ?」

「い、いえ……別に……」

 アサヒは首を横に振るが、顔は青ざめている。

「じゃあ訊く。柵に触れたら“痛む”のか?」

「……それは……」

「“危険”なんだな?」

「そ、それも……その……」

「じゃあ——“傷つく”?」

 その瞬間、アサヒは反射的に口を押さえた。

 喉の奥で何かが暴れたような反応。

(……なんなんだこの違和感……いや、あいつの“嘘の不器用さ”か……?)

 キサラギは一歩近づく。

「アサヒ。お前、何を言いたくない?」

 詰めるような言い方にアサヒは目線をそらす。

「アサヒ、お前が今、避けた言葉……“傷つく”だ」

「ち、違います……」

「じゃあ言ってみせろ。

 柵に触れると——“傷つく”のか?」

 言わせようとするキサラギ。

「アサヒ。言え」

「……だめ、です……」

「なぜ?」

「……言ったら……キサラギさんが……」

 そこで言葉を切る。

 キサラギの眉が動く。

「俺が……どうする?」

「……怒る?嫌な気持ち?になるかもしれないから……」

 震えてるのに強い言葉。

(……なるほど、そういうことか)

 キサラギの胸が締め付けられた。

 キサラギは深く息を吸った。アサヒが避けているアサヒらしい言葉。

「……”傷つけたくない”」

 アサヒは喉を抑えながら、膝をつく。おそらく対話の作用で喉が焼けるのか。

「————」

 顔を伏せ見つめる黒い床に小さな声で言葉を吐き捨てる。しかし、その言葉はキサラギには届かなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ