囚われる、囚われている
アウデスと主従を結んでから、リュミナは時折、胸の奥がざわつくような感覚に襲われるようになった。
命令を受けたい。
それを叶えたい。
褒められたい。
触れられたい。
そのどれもが自分の意思ではないようで、なのに確かに体の芯から湧き上がってくる。
(……どうして。どうして、こんな……)
息が苦しくなるほどの焦燥。
まるで喉の奥に見えない手が触れているような感覚。
リュミナは耐えきれず、アウデスの部屋の扉を叩いた。
「ア、アウデスさま……っ、アウデスさま……わた、わたし……」
言葉にならない声。
泣きそうでもあり、求めているようでもあった。
扉の奥で足音がして——
すぐにアウデスは、すべてを理解したように、優しい声音で言った。
「……“おいで”」
その瞬間、焦燥は嘘のようにすっと引き、胸に温かなものが広がった。
足が勝手に動き、リュミナはアウデスの前に歩み寄る。
アウデスは、命令を出すときだけはいつもより口調が柔らかくなる。
声が優しく、触れたら壊れそうなほど静かで。
「……“隣に座って”」
言われたとおりに椅子へ腰を下ろすと、アウデスの手がそっとリュミナの頭へ触れた。
指先が髪を梳く。
温かく、安らぎを与える動き。
リュミナは身体の力が抜け、目を細めた。
恍惚という言葉が似合うほどの表情になっていた。
(……あぁ、これが……)
命令に従い、触れられ、肯定されるたび——胸の奥が満たされていく。
失われた家族も、飢えた日々も、凍えた夜も、すべて遠い影になった。
けれど、その対照のように——
アウデスの顔は悲しげで、申し訳なさそうだった。
リュミナはその表情を見て、胸の奥にふっと熱が灯る。
(……言うことを聞いてるのは私なのに)
奇妙だった。
本来はこちらが従っている側なのに、胸の奥ではなぜか——
“世界が自分の思い通りになっているような感覚”が芽生えていた。
(アウデスさまは……責任に押しつぶされているのでしょう)
誰かが酷い目に遭わないように、
自分のもとに従者を集めているのだろう。
(悲しい選択しかできない私みたいな人間に……全部、預けさせて、安心させようとしているのでしょう)
そう思うと、さらに胸が温かくなった。
優しいばかりに、
私が死なないように、近くに置いてくれるアウデスさま。
私が何を喜ぶかを考えて、頭を撫でてくださるアウデスさま。
アウデスさま。
アウデスさま。
アウデスさま。
アウデスさま。
アウデスさま。
アウデスさま。
アウデスさま。
アウデスさま。
アウデスさま。
アウデスさま——。
(……アウデスさまは、わたしに囚われている)
ふと、そう思った。
歪んでいるのは自分だと分かっている。
けれど、その自覚でさえ甘い快楽のように広がった。
リュミナの唇は、ゆっくりと、小さな弧を描いた。
***
石の階段を降りるたび、湿った空気がまとわりついてくる。
兆と光は、暗い地下通路を慎重に歩いていた。
「……どこに向かってるんだ、俺たち」
「表のダンジョンばっかりクリアしてても仕方ありませんので。裏のダンジョンも同時進行で攻略しようかと」
光はランタンの光を前に掲げ、軽い調子で言う。表のダンジョンをクリア数と裏のダンジョンの重要な手掛かりもドロップするようで、先ほど手記と手術用のメスのようなものを手に入れた。しかしそれが何に付随するのか、関連するものを探さないといけない。
「地下って、“大事なもの”ありそうじゃないですか」
兆は返事をせず、ただ前を歩く光の後頭部を見つめた。
ひとつ扉を開ける。
何もない部屋。
次の扉。
古い棚。
その次。
壊れた実験器具。
そんなふうに探索を進めながら、ふと兆が口を開いた。
「……なんで、俺と組もうとしたんだ」
「たまたまいたので」
光は即答したが、その声はどこか軽すぎた。
(……建前ですが)
光には、兆を選んだ理由があった。
兆は“石を持たない”のに、異常な身体能力を持っている。
幼い頃に受けた拷問の痕跡、頑丈すぎる骨。
技術部の健診では“例の一族”のデータに近すぎて、医師たちがざわついたこともある。
光はそれを知っていた。
その一族がこの村にいたことを。
(ノーラさんもルールブック読んで物語を全部知ってるから参加できない……。私も同じように“アウト”になるかと思ったけど……ギリ入れたし、まぁセーフ?)
そして、もうひとつ。
(——兆さんは、宣言しない)
兆は優しくてシンプル。
“やめてほしい”と言えば、きっと「そうか、じゃあやめる」と言うタイプ。
本当に止まる。
本当に信じる。
だから安全。
光は自分の思考にうっすら笑みを浮かべながら言った。
「私は兆さんを信用シテルンデスヨネー」
「……? そうか?」
(ほら、嫌味にすら気づかない)
光は心の中で肩をすくめた。
だが、兆は急に立ち止まり、思いもよらない質問を投げた。
「……お前、健診のとき……たまに自分の血も抜いてるだろ。なんでだ」
光は驚いて目を瞬く。
「気づいてたんですか。自分のと比べて、兆さんの血に違いがあるか見てるんですよ」
「あぁ……。いや、俺は別にいいんだが……その、自分のを大量に抜く時があるだろ。あれ、びっくりする」
兆は少し言葉を探すように眉を寄せた。
「倒れたりしたら……困るし」
「……心配してるんですか? 優しいですね」
光はまた笑った。
(ほら。底抜けに優しい馬鹿。こういうところが、“安全性”なんですよ)
そう——確信していた。
「……俺が優しく見えるのか?」
兆の声は暗い地下に沈んでいく。
「はい? 優しいですよー、兆さんは」
「……そうか」
兆は喉元へ手を当てた。
光の笑顔が一瞬、固まる。
「Invoke」
宣言が落ちた瞬間、世界が震えた。
光の心臓が、一拍遅れて脈を打った。
“絶対に使わない”と思っていた男の口から発せられた、その一言。
光の背筋に冷えたものが滑り落ちた。




