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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第十四章 アシュベル家の館

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従の輪

 大広間には、冷たい静寂が満ちていた。

 重厚な椅子が円を描くように並べられ、その中心に当主が座っている。

 その周囲に、膝をついた数人の使用人。

 少女——光の対応キャラも、その列の端にいた。

 彼女の指先は震えているのかすら分からないほど、動かなかった。

「……この館では、"言霊"で主従関係を結ぶ」

 少女は顔を上げない。ただ、呼吸だけがかすかに揺れる。

「お前が、俺の“従”となれば、命令には絶対に従わなければならない。——その代わり、俺はお前を守る。無意味な暴力やひもじい思いをしないで済むように」

 少女のまぶたが、ほんの少しだけ動いた。

 “暴力”も“ひもじさ”も、彼女にとっては当たり前の環境だったからだ。

「……嫌なら、出ていけ。選択肢はお前にある」

「……選択肢?」

 そんなこと、考えたこともなかった。与えられたお粗末な場所で、否定されながら生きる。いや、生きることさえ許されているのか怪しい世界。

「……お前のしたいようにする選択肢だ。お前は自由だ」

「……したい、ように……」

 少女はゆっくりと目を伏せる。

 だが——そんなものはなかった。

 牢屋のような掘っ立て小屋に閉じ込められ、虐げられ、身寄りのない子どもたちと飢えながら生き、そして最後にひとりだけ生き残ってしまった。

 没落貴族の末路。

 親も、兄弟も、村も、全て失った。

 願いなんて、ずっと昔に置いてきた。

「……そんなもの、ない」

 世界は小さく、冷たく、閉じていた。

「……いや、ひとつだけ」

 広間の空気が、微かに張り詰めた。

「……みんなのところに、行きたい」

 死んでしまった子どもたち。

 凍えた兄弟たち。

 飢えで沈んだ幼なじみたち。

 ——自分だけ、生き残ってしまった。

「……選択肢は、お前にあると言ったが」

 その言葉に顔色ひとつ動かさず、当主はゆっくりと立ち上がる。

「……やっぱりやめた」

 少女が顔を上げる。

「お前には決めさせない」

 その声は冷たくもあり、妙に優しくもあった。

「その願いも……もっと後に叶える」

 少女の胸がチクリと痛んだ。

 願いを否定されたのではない。

 “後に”という言葉が、よく分からなかった。

 当主は喉元に手を添え、静かに言葉を紡ぐ。

「“お前は、俺の従となれ”」

 瞬間——

 少女の喉が熱を帯び、光の輪が首元に浮かび上がった。

 淡く、しかし逃れられぬ力を宿した輪。

「……これは」

「“印”だ。お前が従である証。——そして、俺が許可を与えるまで、お前はそのたった一つの願いすら叶えられない」

 その言葉には皮肉も嘲笑もなく、ただ静かな事実があった。

「残念だったな」

 冷たい言葉とは裏腹に、男の表情は悲しそうで、それでいて温かい顔だった。

 その顔が、なんという感情なのか。

 少女——リュミナは知らなかった。

 ***

 厨房の扉が、きしりと音を立てて閉まった。

 宣言空間が解けた余波が、廊下に薄く残っている。

 焔羅の首元には——淡い光の輪が、まだかすかに脈打っていた。

 まるで禁句そのものが、皮膚に残響しているように。

 焔羅は壁に手をつき、荒い息を整えていた。

 普段の軽さがどこにもない。

 紫は無言で、その背中を見つめていた。

「……行くぞ」

 返事はない。ただ目を細め不機嫌な顔を返してきた。

「……焔羅」

 その名を呼ぶと、焔羅はゆっくり顔を上げた。  声は低く、ひどく荒れていた。

「……聞こえてるよ。あー、まじ最悪」

 やっと返ってきた言葉には棘があった。

いつもの挑発とも軽口とも違う、刺すような重さ。

 焔羅は紫の半歩後ろを、引きずられるように歩く。どうやら、対話に負けると相手に否応なく従わざるを得ないらしい。

「……この先に階段がある。まだ上の階は探索していない」

 沈黙。

「……聞いてるか」

「へーへー、聞いてますー」

 返事だけが軽い。

 しかし表情は笑っていない。

 焔羅がふいに、首元の光の輪へ手を伸ばした。

 触れた瞬間、輪はかすかに明滅する。

 紫はその動きに気づき、足を止めた。

「……外したいのか」

 焔羅は答えない。

 紫が歩み寄り、指を伸ばす。

「外すぞ」

 その直前——

「……やめろ」

 鋭い声。

 弾かれたような拒絶。

 紫の手が空中で止まる。

「……自分でつけたくせに、今さら気にすんなよ」

 それは焔羅の毒気に満ちた声だったが、かすかに震えていた。

 怒りと、羞恥と、もっと別の何かが混ざった震え。

 焔羅は紫を避けるように横を通り、先へ歩き出す。

「……早く行こうぜ、紫ちゃん」

 そう言う背中は、ひどく乱れていた。

 紫はしばらく黙って見つめ、

 ようやく歩き出す。

 ——不機嫌だ。

 いや、違う。

 これは——怒っている。

 自分に、紫に、そしてあの言葉に。


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