従の輪
大広間には、冷たい静寂が満ちていた。
重厚な椅子が円を描くように並べられ、その中心に当主が座っている。
その周囲に、膝をついた数人の使用人。
少女——光の対応キャラも、その列の端にいた。
彼女の指先は震えているのかすら分からないほど、動かなかった。
「……この館では、"言霊"で主従関係を結ぶ」
少女は顔を上げない。ただ、呼吸だけがかすかに揺れる。
「お前が、俺の“従”となれば、命令には絶対に従わなければならない。——その代わり、俺はお前を守る。無意味な暴力やひもじい思いをしないで済むように」
少女のまぶたが、ほんの少しだけ動いた。
“暴力”も“ひもじさ”も、彼女にとっては当たり前の環境だったからだ。
「……嫌なら、出ていけ。選択肢はお前にある」
「……選択肢?」
そんなこと、考えたこともなかった。与えられたお粗末な場所で、否定されながら生きる。いや、生きることさえ許されているのか怪しい世界。
「……お前のしたいようにする選択肢だ。お前は自由だ」
「……したい、ように……」
少女はゆっくりと目を伏せる。
だが——そんなものはなかった。
牢屋のような掘っ立て小屋に閉じ込められ、虐げられ、身寄りのない子どもたちと飢えながら生き、そして最後にひとりだけ生き残ってしまった。
没落貴族の末路。
親も、兄弟も、村も、全て失った。
願いなんて、ずっと昔に置いてきた。
「……そんなもの、ない」
世界は小さく、冷たく、閉じていた。
「……いや、ひとつだけ」
広間の空気が、微かに張り詰めた。
「……みんなのところに、行きたい」
死んでしまった子どもたち。
凍えた兄弟たち。
飢えで沈んだ幼なじみたち。
——自分だけ、生き残ってしまった。
「……選択肢は、お前にあると言ったが」
その言葉に顔色ひとつ動かさず、当主はゆっくりと立ち上がる。
「……やっぱりやめた」
少女が顔を上げる。
「お前には決めさせない」
その声は冷たくもあり、妙に優しくもあった。
「その願いも……もっと後に叶える」
少女の胸がチクリと痛んだ。
願いを否定されたのではない。
“後に”という言葉が、よく分からなかった。
当主は喉元に手を添え、静かに言葉を紡ぐ。
「“お前は、俺の従となれ”」
瞬間——
少女の喉が熱を帯び、光の輪が首元に浮かび上がった。
淡く、しかし逃れられぬ力を宿した輪。
「……これは」
「“印”だ。お前が従である証。——そして、俺が許可を与えるまで、お前はそのたった一つの願いすら叶えられない」
その言葉には皮肉も嘲笑もなく、ただ静かな事実があった。
「残念だったな」
冷たい言葉とは裏腹に、男の表情は悲しそうで、それでいて温かい顔だった。
その顔が、なんという感情なのか。
少女——リュミナは知らなかった。
***
厨房の扉が、きしりと音を立てて閉まった。
宣言空間が解けた余波が、廊下に薄く残っている。
焔羅の首元には——淡い光の輪が、まだかすかに脈打っていた。
まるで禁句そのものが、皮膚に残響しているように。
焔羅は壁に手をつき、荒い息を整えていた。
普段の軽さがどこにもない。
紫は無言で、その背中を見つめていた。
「……行くぞ」
返事はない。ただ目を細め不機嫌な顔を返してきた。
「……焔羅」
その名を呼ぶと、焔羅はゆっくり顔を上げた。 声は低く、ひどく荒れていた。
「……聞こえてるよ。あー、まじ最悪」
やっと返ってきた言葉には棘があった。
いつもの挑発とも軽口とも違う、刺すような重さ。
焔羅は紫の半歩後ろを、引きずられるように歩く。どうやら、対話に負けると相手に否応なく従わざるを得ないらしい。
「……この先に階段がある。まだ上の階は探索していない」
沈黙。
「……聞いてるか」
「へーへー、聞いてますー」
返事だけが軽い。
しかし表情は笑っていない。
焔羅がふいに、首元の光の輪へ手を伸ばした。
触れた瞬間、輪はかすかに明滅する。
紫はその動きに気づき、足を止めた。
「……外したいのか」
焔羅は答えない。
紫が歩み寄り、指を伸ばす。
「外すぞ」
その直前——
「……やめろ」
鋭い声。
弾かれたような拒絶。
紫の手が空中で止まる。
「……自分でつけたくせに、今さら気にすんなよ」
それは焔羅の毒気に満ちた声だったが、かすかに震えていた。
怒りと、羞恥と、もっと別の何かが混ざった震え。
焔羅は紫を避けるように横を通り、先へ歩き出す。
「……早く行こうぜ、紫ちゃん」
そう言う背中は、ひどく乱れていた。
紫はしばらく黙って見つめ、
ようやく歩き出す。
——不機嫌だ。
いや、違う。
これは——怒っている。
自分に、紫に、そしてあの言葉に。




