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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第十四章 アシュベル家の館

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供出の部屋

 銀器の触れ合う乾いた音が、広い厨房に響いていた。

 使用人の少女は、磨き上げたティーセットを慎重に盆へ並べ、静かに息を整えた。

 給仕へ向かう扉の向こうでは、午後の茶会が始まっている。

 視線を落としながら部屋へ入ると、客人たちの穏やかな笑い声がふわりと耳に届いた。

「……無人島に行ったら、何を持っていくかって話、実にくだらないとは思わないか」

 話題に出した質問は、あまりにもありきたりな世間話の一つだった。

「そのくだらなさが盛り上がるんじゃないか。こういう話は、答えがないから楽しいんだよ」

「この屋敷も同じようなものじゃないか。どうせ出られないんだし」

 一人の男が楽しそうに語ったが、水を差すように現実に引き戻そうとする。

「同じじゃないよ。一人ぼっちじゃないじゃないか」

 少女は彼らの話を密かに聞きながらも、盆を持つ手を止めない。

 ただ、こぼれ落ちる言葉だけが耳へ静かに染み込んでいく。

「しいて言えば……私は猫かな。あいつがいれば退屈しない」

「なら私は妻かな」

「ずるいな。では私は家族で」

「……無人じゃないじゃないか! この質問に人を持ち出すとは無粋だ」

「では、お前はどうなんだ?」

 場の視線が一斉に向く。

 少女も思わず、給仕の手をほんのわずかに止めた。

 当主が、茶を見つめたまま答えた。

「……俺は……いっそ何も持っていかないかな」

「答えになってないな。連れていきたい誰かもいないのか?」

 当主は、やわらかく笑った。

「はは。そんなの、かわいそうじゃないか。わざわざ無人島なんてところに連れていくなんて。猫も、家族も……」

 少しだけ目を伏せ、静かに笑った。

「……行くなら、ひとりで行くよ」

 静かな断言だった。

 客人たちが笑い混じりに反応する横で、少女は盆を持ったまま、その言葉だけを静かに受け取った。

 それは、使用人である自分とは無関係なはずの言葉なのに、胸の奥がなぜだか少しだけ熱くなるのを、少女は隠した。

 手元のカップからこぼれそうな紅茶の色が、ほんのわずかに揺れていた。


***


 鎧の兵隊たちが、カタカタと音を立てて迫ってくる。

 その中心に、紫水晶の瞳を持つ男——紫が立っていた。

 焔羅は後ずさりしながら、苦笑いを浮かべる。

「……やば、マジやば」

 紫は無言のまま、扉の横に貼られた札——《命令レシピ》を一瞥した。

「無理に突破しようとしたら、変な鎧が集まり始めた。このゲームのルールかもな」

 淡々とした声。

 紫は札に書かれた手順を素早く読み取り、指示通りに動く。

 竈に火を灯し、棚から食材を取り出し、指定された順序で並べていく。

 機械的な正確さ。

 やがて——ガチャリ、と音がして扉が開いた。

 焔羅は一瞬、その隙に逃げようとした。

 しかし——

「——っ」

 首根っこを掴まれる。

 紫の手が、容赦なく焔羅の襟を捕らえていた。

「ちょ、待って待って!」

 抵抗する暇もなく、焔羅は厨房の中へと引きずり込まれた。

***

 どさり。

 焔羅は竈の前に投げ飛ばされ、尻もちをついた。

「いってぇ! 紫ちゃん乱暴なんだから!」

 腰をさすりながら文句を言うが、紫は表情を変えない。

 その手には、古びた手記が握られていた。

 わざと見せつけるように、焔羅の目の前に掲げる。

 焔羅の目が、一瞬だけ動いた。

「……それ、どこで?」

「ここは、ある使用人の部屋だ。よく給仕を任されていたらしい」

 紫は淡々と答えた。

 焔羅は軽く笑ってみせる。

「……さっすが紫ちゃん、密偵能力半端ねぇ。まだ1時間もたってないよ? よくこの短時間で調べたねぇ」

「……」

 紫は焔羅の表情をじっと見つめる。

 焔羅は肩をすくめた。

「一応、褒めてんだけど」

「嫌味だろ」

「ひねくれてるー」

 軽口を叩きながらも、焔羅の目は笑っていない。

 紫は一歩近づいた。

「……分かってるぞ」

「……なにを」

「お前の部屋は、きっとここだ」

 焔羅の顔から、笑みが消えた。

「……なんで」

 紫は手記を閉じ、静かに言った。

「お前はきっと、近いけど少し離れたところにいる」

 その言葉に、焔羅の呼吸が一瞬止まる。

「大事なものは、少し離した近くに置く。……びびりだからな」

 その言葉は、焔羅の胸の奥を容赦なく掴んだ

 紫は喉元に手を当て、静かに息を吸った。

「Invoke」

 焔羅の目が見開かれる。

 ——ひっでーやつ。

 心の中で毒づきながら、焔羅は暗闇に包まれていった。


 ***

 腐った食物が並べられている食堂は謎に冷え切っていた。光は部屋の中央を見て、わずかに眉を動かした。

「……あれは」

 テーブルの中央に、古びた秤が置かれている。

 左右の皿は空っぽで、すでにどちらかへ傾いていた。

「……秤?」

 兆の声に、光は近づきながら分析するように目を細めた。

「これは天秤です。

 左右の重さを一致させないと、扉は開かないようです」

「……何を乗せればいいんだ?」

 テーブルには腐ったご馳走が並んでいたが、

 どれも形を保っていない。

「……使えませんね。重量としての意味も薄い」

 腐った食べ物の匂いに顔を顰めながら、光は言った。

「じゃあ、何を——」

 兆が言いかけたとき、光が小さく息をのんだ。

「……なにか書いてあります」

 秤の横に、小さな碑文。光は声に出して読む。

「『供出せよ。己の糧を。さすれば道は開かれん』」

「……己の糧?」

 光はしばらく黙ったまま考え——

 ふ、と視線を落とす。

「……“糧”とは、生きるための基盤……必要なもの」

 兆が眉をひそめる。

「飯……じゃないよな?」

「それも糧ですが、ここでは——もっと直接的な意味でしょうね」

 光は自分の手を見つめた。うっすらと見える皮膚の下の赤い色。

「……血、です」

「……は?」

「生きるために巡るもの。

 生命を維持する“糧”として、最も妥当です」

「妥当……?」

 光は迷いなく、手の甲に自分の歯を立てた。

「おい!」

 兆が止める間もなく、光は数滴の血を左皿に垂らす。

 皿が、コトリとわずかに傾いた。

「……やはり」

 光は淡々と呟く。

「兆センパイも、お願いします」

 兆も手のひらを噛み、血を垂らした。

 右の皿が動くが、バランスはまだ取れない。

「……足りませんね」

「どのくらいだ」

「同じ量を。正確に」

「……めんどくせぇ……」

 何度か血を垂らし合い、

 やがて——秤がゆっくりと水平へ戻っていく。

 ガチャリ、と音がして扉が開いた。

「……開きました」

「ああ……」

 兆は自分の手のひらを見た。

 血が乾きはじめている。

「……変な謎解きだな」

「ええ。

 でも、このダンジョンは“犠牲による通行”が基本なのかもしれません」

 光の声は、どこか嬉しそうですらあった。

「……行きましょう」

 二人は扉をくぐった。


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