供出の部屋
銀器の触れ合う乾いた音が、広い厨房に響いていた。
使用人の少女は、磨き上げたティーセットを慎重に盆へ並べ、静かに息を整えた。
給仕へ向かう扉の向こうでは、午後の茶会が始まっている。
視線を落としながら部屋へ入ると、客人たちの穏やかな笑い声がふわりと耳に届いた。
「……無人島に行ったら、何を持っていくかって話、実にくだらないとは思わないか」
話題に出した質問は、あまりにもありきたりな世間話の一つだった。
「そのくだらなさが盛り上がるんじゃないか。こういう話は、答えがないから楽しいんだよ」
「この屋敷も同じようなものじゃないか。どうせ出られないんだし」
一人の男が楽しそうに語ったが、水を差すように現実に引き戻そうとする。
「同じじゃないよ。一人ぼっちじゃないじゃないか」
少女は彼らの話を密かに聞きながらも、盆を持つ手を止めない。
ただ、こぼれ落ちる言葉だけが耳へ静かに染み込んでいく。
「しいて言えば……私は猫かな。あいつがいれば退屈しない」
「なら私は妻かな」
「ずるいな。では私は家族で」
「……無人じゃないじゃないか! この質問に人を持ち出すとは無粋だ」
「では、お前はどうなんだ?」
場の視線が一斉に向く。
少女も思わず、給仕の手をほんのわずかに止めた。
当主が、茶を見つめたまま答えた。
「……俺は……いっそ何も持っていかないかな」
「答えになってないな。連れていきたい誰かもいないのか?」
当主は、やわらかく笑った。
「はは。そんなの、かわいそうじゃないか。わざわざ無人島なんてところに連れていくなんて。猫も、家族も……」
少しだけ目を伏せ、静かに笑った。
「……行くなら、ひとりで行くよ」
静かな断言だった。
客人たちが笑い混じりに反応する横で、少女は盆を持ったまま、その言葉だけを静かに受け取った。
それは、使用人である自分とは無関係なはずの言葉なのに、胸の奥がなぜだか少しだけ熱くなるのを、少女は隠した。
手元のカップからこぼれそうな紅茶の色が、ほんのわずかに揺れていた。
***
鎧の兵隊たちが、カタカタと音を立てて迫ってくる。
その中心に、紫水晶の瞳を持つ男——紫が立っていた。
焔羅は後ずさりしながら、苦笑いを浮かべる。
「……やば、マジやば」
紫は無言のまま、扉の横に貼られた札——《命令レシピ》を一瞥した。
「無理に突破しようとしたら、変な鎧が集まり始めた。このゲームのルールかもな」
淡々とした声。
紫は札に書かれた手順を素早く読み取り、指示通りに動く。
竈に火を灯し、棚から食材を取り出し、指定された順序で並べていく。
機械的な正確さ。
やがて——ガチャリ、と音がして扉が開いた。
焔羅は一瞬、その隙に逃げようとした。
しかし——
「——っ」
首根っこを掴まれる。
紫の手が、容赦なく焔羅の襟を捕らえていた。
「ちょ、待って待って!」
抵抗する暇もなく、焔羅は厨房の中へと引きずり込まれた。
***
どさり。
焔羅は竈の前に投げ飛ばされ、尻もちをついた。
「いってぇ! 紫ちゃん乱暴なんだから!」
腰をさすりながら文句を言うが、紫は表情を変えない。
その手には、古びた手記が握られていた。
わざと見せつけるように、焔羅の目の前に掲げる。
焔羅の目が、一瞬だけ動いた。
「……それ、どこで?」
「ここは、ある使用人の部屋だ。よく給仕を任されていたらしい」
紫は淡々と答えた。
焔羅は軽く笑ってみせる。
「……さっすが紫ちゃん、密偵能力半端ねぇ。まだ1時間もたってないよ? よくこの短時間で調べたねぇ」
「……」
紫は焔羅の表情をじっと見つめる。
焔羅は肩をすくめた。
「一応、褒めてんだけど」
「嫌味だろ」
「ひねくれてるー」
軽口を叩きながらも、焔羅の目は笑っていない。
紫は一歩近づいた。
「……分かってるぞ」
「……なにを」
「お前の部屋は、きっとここだ」
焔羅の顔から、笑みが消えた。
「……なんで」
紫は手記を閉じ、静かに言った。
「お前はきっと、近いけど少し離れたところにいる」
その言葉に、焔羅の呼吸が一瞬止まる。
「大事なものは、少し離した近くに置く。……びびりだからな」
その言葉は、焔羅の胸の奥を容赦なく掴んだ
紫は喉元に手を当て、静かに息を吸った。
「Invoke」
焔羅の目が見開かれる。
——ひっでーやつ。
心の中で毒づきながら、焔羅は暗闇に包まれていった。
***
腐った食物が並べられている食堂は謎に冷え切っていた。光は部屋の中央を見て、わずかに眉を動かした。
「……あれは」
テーブルの中央に、古びた秤が置かれている。
左右の皿は空っぽで、すでにどちらかへ傾いていた。
「……秤?」
兆の声に、光は近づきながら分析するように目を細めた。
「これは天秤です。
左右の重さを一致させないと、扉は開かないようです」
「……何を乗せればいいんだ?」
テーブルには腐ったご馳走が並んでいたが、
どれも形を保っていない。
「……使えませんね。重量としての意味も薄い」
腐った食べ物の匂いに顔を顰めながら、光は言った。
「じゃあ、何を——」
兆が言いかけたとき、光が小さく息をのんだ。
「……なにか書いてあります」
秤の横に、小さな碑文。光は声に出して読む。
「『供出せよ。己の糧を。さすれば道は開かれん』」
「……己の糧?」
光はしばらく黙ったまま考え——
ふ、と視線を落とす。
「……“糧”とは、生きるための基盤……必要なもの」
兆が眉をひそめる。
「飯……じゃないよな?」
「それも糧ですが、ここでは——もっと直接的な意味でしょうね」
光は自分の手を見つめた。うっすらと見える皮膚の下の赤い色。
「……血、です」
「……は?」
「生きるために巡るもの。
生命を維持する“糧”として、最も妥当です」
「妥当……?」
光は迷いなく、手の甲に自分の歯を立てた。
「おい!」
兆が止める間もなく、光は数滴の血を左皿に垂らす。
皿が、コトリとわずかに傾いた。
「……やはり」
光は淡々と呟く。
「兆センパイも、お願いします」
兆も手のひらを噛み、血を垂らした。
右の皿が動くが、バランスはまだ取れない。
「……足りませんね」
「どのくらいだ」
「同じ量を。正確に」
「……めんどくせぇ……」
何度か血を垂らし合い、
やがて——秤がゆっくりと水平へ戻っていく。
ガチャリ、と音がして扉が開いた。
「……開きました」
「ああ……」
兆は自分の手のひらを見た。
血が乾きはじめている。
「……変な謎解きだな」
「ええ。
でも、このダンジョンは“犠牲による通行”が基本なのかもしれません」
光の声は、どこか嬉しそうですらあった。
「……行きましょう」
二人は扉をくぐった。




