宣言空間
長い舞台のような映像から目が覚めるまで、少し時間がかかった。
誰かの人生を横取りしたような、胸の奥がざわつく夢だった。
木々の隙間から差し込む光が、瞼を焼いた。眩しさに目を開けると、そこは庭園だった。 石畳の道、枯れかけた噴水、色の抜けた草花。
どこにも風が吹いていないのに、木々だけが揺れている。
アサヒは大きな木にもたれかかり、しばらくぼんやり座っていた。
夢の残り香がどうにも消えない。胸が熱い。喉元にまだ視線のような感触があった。
——そのとき。
「……おねがい」
背をあずける木の後ろから、声がした。
近くでも遠くでもない。
まるで耳のすぐ裏で、でもどこか別の世界から聞こえてくるような声だった。
幼いようで、大人びてもいて、泣きそうなようで、必死で堪えているようでもあった。
アサヒははっとして顔を上げた。
ダンジョンは始まっている。
本来なら警戒すべき、慎重になるべき場面。
それなのに。
その"お願い"の響きだけで、胸の奥の警戒心がすとんと消えてしまった。
「……どうしたの?」
アサヒは声のした方に顔を向けることもなく、答えた。
足元に映った声の主の影がふわりと揺れた。
繊細なように見えて、強い佇まい。
抱えている腕の細さが、妙に幼く見えた。
なんとなく、居心地の良さを感じる雰囲気に、アサヒは静かに目を閉じて次の言葉を待った。
「おねがいが、あるんだ」
その人影は近づいては来なかった。
ただ、ぎゅっと拳を握りしめながら、言った
***
光が吸い込まれるように消え、厨房前の廊下が深い暗闇に包まれる。
足元の感触すら曖昧になるほどの闇。
それでも焔羅だけは笑った。
「へぇ……こんな感じになるんだな」
ゲームを楽しむかのような楽しげな声音。
キサラギは暗闇の中で気配を探りながら、小さく息を吐いた。
「……お前、楽しそうだな」
「こんなん楽しまないと損でしょ? だから構ってよって言ってんじゃん?」
「構うも何も、もう宣言したんだろ」
「そうそう。だから、これから"質問タイム"」
焔羅は軽い足取りでキサラギの横に回り込んだ。
相変わらずの軽口。だが、目だけは笑っていない。
——空気が、変わった。
静かに、だが確実に。
廊下の空気が濃くなり、二人を包み込む。
キサラギは眉をひそめた。
「……これが、"宣言空間"か」
「みたいだねぇ。外から誰も入ってこれない。今、この世界には俺とキサラギしかいないってわけ」
焔羅は扉に背を預け、腕を組んだ。
「で、ルール。攻め側——つまり俺は、キサラギに質問できる。守り側のキサラギは、答えるか拒否するかを選べる」
「拒否できるなら、有利じゃないか」
「まあね。でも——」
焔羅の目が細まる。
「拒否にも代償がある。"Stop"って言えば会話は終わるけど、守り側にダメージ。"Break"って言えば共倒れ。どっちもきつい」
キサラギは黙って聞いている。
「あと、精神的に不安定だと、嘘をついたらペナルティ。ペナルティがどんなのかわかんないけど、多分肉体的に負荷がかかるのかなぁ」
「……つまり、心理的に追い詰めれば勝ちってことか」
焔羅はにやりと笑った。
「——キサラギ、お前さ」
一瞬の間。
「なんで、いつもそんな疲れた顔してんの?」
キサラギの目が、わずかに動いた。
「……質問の意図がわからん」
「いや、純粋に気になってさ。いつも眉間にシワ寄せて、タバコ吸って、誰かに指示出して。で、一人になると——」
焔羅は少し声を落とした。
「なんか、すげー暗い顔してんだよね」
キサラギは答えなかった。
ただ、視線を扉のあった方へ向ける。
「……答える義務はないんだろ」
「あるよ。拒否すれば代償。嘘つけばペナルティ。黙ってても、時間切れでダメージ」
焔羅の声に、わずかな棘が混じる。
「つまり——何かしら、反応しなきゃいけないってこと」
沈黙が落ちた。
キサラギの指先が、わずかに震える。
——このゲームは、逃げ場がない。
「みちゃったんだよね、ここにくるキサラギ、廊下でずぅーっとイライラしてんの。俺が後つけてんのさえ気づかないくらいさぁ」
キサラギは静かに目を細めた。
つまりこいつは——俺の守るべき部屋の場所を知っている可能性があるということ。
「…まどろっこしいやつだな、イライラくらいする、お前もみたんだろ。変な夢」
「あ、だめだめ。今は俺のターンだから」
その瞬間、唇が重くなる。どうやら、対話中は相手に従わなければいけないらしい。
「……キサラギのそういう、自分の気持ちにぐらぐらさせられるところ。ほんと弱点だなぁ」
焔羅が軽口を叩きながら、キサラギを煽った。その時だった。
轟音。
真っ暗な世界が揺れ、警報音が鳴り響いた。
「は?なになになに」
焔羅は動揺しながらあたりを見渡す。
キサラギは唇をほんの少し上げてた。
「——さっきの質問の答えだけどな、焔羅」
キサラギは動揺する焔羅に近づき、肩に手をおいた。キサラギはタバコを吸うときのように肺に空気を流す。
「俺はお前みたい心乱されるヤツがいねぇから、一人でイライラしながら、タバコ吸ってんだよ」
肩に置いた手に力を込め、焔羅を後ろへ突き飛ばす。
「——stop」
その言葉と共に暗闇が溶け、景色が廊下に戻る。
違ったのはそう——扉の仕組みを無視し、力任せに突破しようとするムラサキの獣がいたこと。そして、そのイレギュラーな行動に鎧の兵隊が反応し、乱入していた。
「……あとは、まかせた」
その言葉と共に、キサラギはすでに廊下の遠くのほうにいた。
「……くそ、やられた。キサラギのやろう」
たくさんの鎧の兵隊の中心にいる紫水晶の瞳が焔羅をとらえた。
焔羅は心の中で俺ってばいつもこんなだよね、とひとりごちた。




