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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第十四章 アシュベル家の館

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夢の配役


 廊下はやけに長く、踏むたびに床板の音が遅れて返ってくる。

 兆は首をかしげながら歩き、気づけば広いホールへと抜けていた。

 ダンジョンに入ってすぐ光に包まれ、気づけば古びた屋敷のとある一室で目を覚ました。どうやら全員別の場所に飛ばされたらしい。兆はゲームのルールも定かではないまま、とりあえず体を動かすことにした。

 鼻をくすぐるのは、古い紙と鉄の匂い。

 正面には重厚な扉が一つ。

 扉の前には、なぜか秤が置かれていた。

 ——何を量れと言うのか。

 兆が秤に近づいた瞬間、扉がひとりでに軋みを上げ、ゆっくりと開き始めた。

 兆は反射的に構える。

 扉の向こうには、淡い明るい金色の髪を揺らした光が立っていた。

「……お前か」

 兆の声に、光は表情を変えずに視線を向けた。両手をひらひらと揺らしながら、敵意がないことを示す。

「待ってください」

 光は扉の縁に片手を添えたまま、息を整えるように言った。

「一旦、手を組みましょう」

 兆は目を細める。

「不用心じゃないか。仲間を作るのは」

「仲間じゃありません」

 光は静かに訂正した。

「一旦手を組むだけです。

 ここは……一人では、解析できない」

 その声音があまりに無機質で、嘘の響きがない。

 兆はほんの一瞬だけ迷った。

 光は食えない女だ。頭も切れる。心理戦で勝ち目がないことは理解している。今回のダンジョンでは圧倒的「不利だって考えてます?」


 自分の思考に光の言葉が重なった。

「確かに私はセンパイより賢いし、そのうえ可愛いので、そう思うのも無理はないと思います」

今可愛いは関係あるか? 俺にそんなことで張り合って何になるんだ、と頭に浮かんだ。

「センパイ馬鹿だなぁ、ほら、私のペースにのせられてる」

 やわらかいようなどす黒いような声音で光は言葉を続ける。

「でも私だけだと、力が足りなさすぎる。表の仕組みをクリアできる自信がありません。お互いに苦手なとこ、補いあいませんか? ね?」

 光は秤を指さしながら、静かに笑った。

 くるくると円を描く指先を見つめる。

 ——その瞬間だった。

 視界が揺れる。

 光の立つ位置と、暗がりの奥の空気が、別の景色に重なった。

 床のきしみも、光の気配も、一瞬だけ遠のく。

***

 冷たい風が吹いた夜から、男はなぜか礼拝堂に顔を見せるようになった。

 まるで教えも聞くつもりもない癖にだ。

 シスターはそんな彼を無視して、机の向こうで本を開いていた。本来ならば通報案件のこの男をすぐそばに置いた状態で。

 数式が並ぶノート。

 物語が綴られた手記。

 アシュベル家に伝わる、古い記録。

 男はただ黙って座り、たまに問いかけた。

「……それ、なんて書いてあるんだ」

「数式です。水の流れを計算しているんです」

「……なんで」

「村が、沈んでいくから」

 短い会話。

 それでも、男の目にはいつも微かな光があった。

 それが“興味”なのか、“寂しさを埋めるもの”なのか、

 シスター自身にも判断がつかなかった。

「……なんで」

「小さなゆがみがあるんです。誰も気にも留めない歪み。それがどんどん広がっていく」

 子供のような男の問いかけに、シスターは律義に、丁寧に言葉を重ねる。

「やべぇじゃん」

「……でもだいぶ先のことです。私たちが死んだあとの遠い話。だから、こんなのは」

 静かに目を細めながら、ノートに指を滑らせる。

「……でも、やべぇだろ」

 男の言葉に、シスターの手に力が入る。鋭利なノートの縁がシスターの指を切り裂いた。指先に伝う赤い液体。

「あー、何してんだよ」

 シスターの細い腕をつかみ、男は指の赤いしずくを舐めとる。さらにシスターの手に力が入る。

 倫理観の通じないこの男は、人食いの一族なのだ。

 他愛のない会話ですっかり忘れていた。

 そんなシスターの表情に気づいた男は、静かに眉を下げて笑った。

「……怖い?」

 瞼の裏に、礼拝堂の古い十字架が揺れた。

***

「……センパイ?」

 光の声で我に返る。

 扉の向こうから漂う空気は、食堂のものではなかった。

 空腹を誘う香りではなく、計算しつくされた静けさ。

「……わかった。 一旦だけだ」


 秤はわずかに揺れ、何かを求めている。小さな声で光の「……ちょれー」という声が聞こえたが、兆は素知らぬ顔で横を通り、扉の中へ足を踏み入れた。

 まるで、自分の知らない記憶の続きを追うように。


***

 閃光とともに調査隊メンバーが消えていったダンジョンの前で、ノーラはボード盤のような石板と向かい合っていた。

 目を閉じては、石板の駒をゆっくりと動かしていく。

「兆さんは心理戦を避ける傾向がある。……思考力はありませんが、直感が強いので、無意識には理解していそうですね」

 ダンジョンの仕組みのせいだろうか。

 目を閉じると、各メンバーの会話や思考が、断片的に頭へ流れ込んでくる。

「……兆さんは、びっくりするほど、この役にぴったりですね」

***

 気分の悪い夢から醒め、キサラギは薄暗い廊下を歩いていた。

 きっと今のは、自分に”割り当てられた役”の過去だ。

 胸糞が悪いほど自分と親和性のある夢だった。

 足取りに重さが滲む。

 苛立ちを紛らわせるようにタバコに手を伸ばしたが、匂いでバレる可能性を考えて結局火はつけない。そのまま歩き続け、気づけば厨房へと続く小さな扉の前に立っていた。

 扉には古びた札が打ち付けられている。

 ——《命令レシピ》。

 読んだ瞬間、胸の奥に微かな違和感が走った。

 札に指先で触れると、何かが沈んだような音がする。

 この食材保管庫に、何か”鍵”がある——そう踏んだキサラギが扉を押そうとした、まさにその時。

「——Invoke」

 背後から、低い呼気のような声が落ちてきた。

 命令の響きを持つ、焔羅の声だ。

 キサラギはわずかに眉を動かしただけで、振り返らずに言う。

「……いきなりだな。不躾すぎる」

「いつも指示されてばっかだから、たまにはいいんじゃない?」

 軽く笑う、いつもの調子。

「……ちょっと構ってよ、キサラギ」

 目の下に刺青を携えた男。



 ——焔羅だった。


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