雪の下のルール
朝の雪は止み、木々の枝に残った氷が陽に反射していた。
館の前の地面に、ノーラはしゃがみ込み、木の枝で円を描いた。
その周囲には六人が立っている。近くの任務先からそのまま向かってきたキサラギ、焔羅、アサヒ、兆、そして光。吐く息が白く揺れた。
「――では、ここからルールを説明します」
ノーラは枝の先で地面に文字と線を引いていく。冷えた空気の中に、さらさらと土を掻く音だけが響いた。
「“言霊ゲーム”は、もともと村で流行っていたテーブルゲームで、ある一族――アシュベル家の物語をクリアしていく形式になっています。
登場人物にはそれぞれ“役割”、“守るべき部屋”、“秘密”が与えられます。
このダンジョンは、機構的な謎とキャラの秘密という二重構造で成り立っていて、部屋を突破するにはその両方を解く必要があります」
ノーラの淡々とした声音に合わせて、地面には館のような図が描かれていく。
「守るべき部屋で“秘密の言葉”が暴かれると、その人は暴いた相手の支配下に置かれます。そうなると、相手に従い、情報を渡し、主のクリアを手伝わなければなりません」
「秘密のヒントは館のあちこちに隠されています。
また、1対1で『宣言(Invoke)』することで心理戦を発生させることも可能です。
宣言した側が“攻め”、相手は“守り”」
地面には「攻め側=宣言者」「守り側=相手」と書かれる。
「攻め側は質問や命令が可能です。守り側は“セーフワード”を使えば拒否できます。
セーフワードは二種類――」
ノーラは枝の先で、単語を並べた。
Stop:対話そのものを中断(守り側が小ダメージ)
Break:共倒れ(お互いに大ダメージ)
「守り側が不利じゃね?」
焔羅は顎に手を添えて眉をひそめた。
「守り側は、押されすぎて嘘をつくとペナルティがあります。でも精神的に安定していれば、嘘をついても問題ありません。一見、攻め側が有利に見えますが……本当の主導権は守り側が持っているんです」
兆は無表情のままだが、おそらく頭が追いついていない。
ノーラは苦笑して続ける。
「現実世界でも、いろんな“リード側”がありますよね。雇用関係だったり、親子関係だったり、兄弟関係だったり……学校での先輩後輩だったり。
これは、それを表しているものかなと思っています」
ノーラは小さく息をつき、穏やかに微笑んだ。
「“主従”といっても、どちらが偉いということではありません。
何にもなしに、自分のやりたいことに人をつき合わせることはできない。
主は従える人のケアをしなければ、関係は成立しないんです。
それはお金かもしれないし、でもお金を渡すだけでは横暴だし――
精神的な揺らぎを支えてあげることも、ひとつのケアなんです」
枝の先が「主」と「従」の二文字を結んだ。
一瞬の静けさのあと、後ろから声が飛ぶ。
「だってよ、キサラギ」
焔羅の茶化すような声。
「給料あげてほしいな、キサラギ」
「もっと飲みに連れてってほしいなぁ、キサラギ」
「休みがもっと欲しいです、キサラギさん」
焔羅の軽口に紫と光も乗っかる。
キサラギは眉間を押さえながら短く吐き出した。
「……うるせぇな」
笑い声がいくつかこぼれ、緊張がほぐれる。
ノーラも思わず口元を和らげた。
「そして――」
枝の先で、今度は“主従”の間に小さな稲妻のような線を描く。
「主従関係に“揺らぎ”が生じたとき、下剋上が発生します」
光が目を丸くした。
「揺らぎ?」
「はい。主が従に対して、ケアを怠ったり、二人の関係性にほころびが生じた時、従が主に宣言ができるようになります。勝てば、役割が入れ替わります」
ノーラの声に、場の空気が静まる。
「それはまた、血気盛んな制度だねぇ、。雇われる側なら、そのままのが楽な気がするけどねぇ、俺は」
めんどくさそうに焔羅が言う。
「確かにそれもまた選択かもしれません。でもこのダンジョンでは、それを選ぶとクリアから遠ざかります。全員がそれなりに真剣に向き合わなければ、ゲームは強制中断されるんです」
「でも、兆センパイとか参加させたら、ゲーム中断されちゃうんじゃないんですか?馬鹿だし」
「え」
光の発言に対して、兆は初めて短い言葉を発した。
「向き合い方の問題だと思います。頭の良し悪しは勝敗には関係するかもしれませんがゲームの中断理由にはならない。――いかに“自分なりに”ゲームに、人に、向き合うかが大事です」
レイが小さく呟いた。
「……つまり、考えることを放棄したらだめ、ってことか」
ノーラは頷き、枝を置いた。
まるで、それ以上言えば“言ってはいけない領域”に触れてしまうような気がしたからだ。
同時に、冷たい風が館の扉を揺らした。
薄暗い入口の奥で、微かな光が瞬く。
誰もが無意識に、隣に立つ誰かを一瞥する。
このゲームでは、勝負のたびに“主”と“従”が入れ替わる。
けれど、それがいつ、誰の間で起きるのかは――まだ誰にもわからない。
焔羅は肩を鳴らし、面倒くさそうに笑った。
「……まあ、やるしかねぇってことか」
その声にアサヒが小さく頷く。光は指先で髪を整え、兆は無言のまま空を見上げた。
キサラギだけがノーラの図をじっと見下ろしていた。
「――で、その“観測者”ってのは、お前なんだな」
ノーラは静かに頷いた。
「はい。私は見届けるだけです。……できる限り、公平に」
彼女の声に、誰も返事をしなかった。
地面に描かれた円の中心が、雪に覆われていく。
吹きつける風がそれを消し、跡だけが残った。
その向こう、黒い館の扉が低く軋む。
誰ともなく、一歩を踏み出した。




