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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第十四章 アシュベル家の館

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観測者の夜

 研究室の窓から、やわらかな光が射していた。

 長期休みに入ったこの時期、研究棟には人の気配がほとんどない。

 ノーラはいつも通り、ひとり机に向かっていた。

 授業もないこの時間は、誰にも邪魔されずに考えを掘り下げられる。

 実家に帰る気も起きなかった。帰っても、何を話せばいいのかわからないからだ。

 静かな部屋の中で、紙の音だけが響いていた。

 ――扉がノックされる音がした。

 顔を上げると、年配の教授が立っていた。

 手には、ノーラが提出した論文の束。ページをめくる指が一瞬止まる。

「……これを書いたのは君か?」

 低く驚いた声。

「この考察、すばらしいよ。とても面白い」

 胸の奥がじんと熱くなった。

 それは、生まれて初めて“私”に向けられた賛辞だった。

 誰にも理解されず、要領も悪く、何をしても遅れていた自分が――

 たった一度だけ、人並みに認められた瞬間。

 そのときノーラは静かに思った。

 ――これが、私の唯一“人並みにできること”だった。

***

『――つまり、ダンジョン攻略に人手がいる、というわけですね?』

 雪の灯りが乱反射し、白い光が室内を淡く照らしていた。

 三人は、光の声が響く通信端末に目を向ける。

「はい。街で流行っている“言霊ゲーム”が、そのままダンジョンの構造になっているようです。

 私は調査のために物語部分まで読んでしまったので、観測者の役しかできません。

 少なくとも、あと三人以上は必要になります」

 ノーラは厚手のノートを閉じ、静かに伝えた。

 紫が腕を組み、ぶっきらぼうに言葉を継ぐ。

「多ければ多いほど、クリアには近い。……できるだけ人を寄こしてくれ」

『了解です。ちょうど兆センパイの定期検診が終わったところなので、二人で向かいます。それと――近くで任務中のキサラギさんたちにも連絡しておきますね』

 通信が切れると、室内に再び静けさが戻った。

 外では、雪がさらさらと降り続いている。


***

 みんなが寝静まった後だった。

 窓の外には、音もなく雪が降り続いている。

 机の上のランプだけが、小さく部屋を照らしていた。

 ノーラはページを指でなぞりながら、“観測者としてのルール”をもう一度読み返していた。

 ――この物語の結末を、知っている。

 まだ誰も知らないことを、ひとりだけ知っている。

 それなのに、なにもできない。

 その背中に、静かな足音が近づいた。

「……眠れないんですか?」

 ノーラが顔を上げる。

 扉の陰に、レイが立っていた。

「今日は驚かないんだね」

「はは……なんとなく、来るかなって思って。ちょこっと待ってました」

「……なんか、行動バレてるみたいで恥ずかしいな」

「レイくんという人を、学び中ですから」

 なんでもない会話に、短い沈黙が混じる。

 レイの視線が、机の上のルールブックに落ちた。

「また読んでたの?」

「……未練がましくも、少し離れがたくて」

「……」

「ダメですね。深くは言えませんが、物語に感情移入してしまうんです。

 でも私は、もう“なんとかする権利”を失ってしまった」

 ノーラは苦く笑い、両手で本を包み込む。

「昔から要領が悪くて、なにもできないんです、私。

 せっかく人並みにできることがあったのに、それすら叶わなくなってしまった」

 レイは、ノーラを見つめていた。

 言葉をかけようとして、かけられなかった。

「……シスターの気持ちが、痛いほどわかるんです。

 もう彼女にとって遅いかもしれないけど……どうか、どうにか……」

 その声は震えて、最後は雪の音に消えた。

 ランプの灯がわずかに揺れる。

ノーラは喉元に手を当てる。

 細い首の皮膚から、かすかに漏れる淡い光。

 まるで呪いのような、痛みを孕むその感覚。

 レイの目には、ノーラの姿がゆっくりと別の誰かに重なっていく。

 アサヒの影。紫の背中。ニアの横顔。

 かわるがわる、誰かの痛みが彼女に重なって見えた。

 ――ああ、だめだ。この思いを、淘汰してはいけない。

 窓の外では、雪がまだ降り続いていた。

 静かな白の中で、ノーラの喉の光だけが、かすかに瞬いていた。

「ノーラ、俺ーー」

 ランプの光が、机の上の本の金文字を照らした。


***

「楽しくないなら、早くやめたほうがいいわ」

 熱くなる喉元を抑えながら、うずくまるノーラに、母は言った。

 冬の台所。湯気の立つやかんの音が、妙に遠くに聞こえた。

「……楽しいとか楽しくないとか、そういうのじゃないんだよ、これは。やらなきゃいけないの」

 自分が生きるために、そうでなきゃ生きられないようなもので。まるでガンのような。

「やらなきゃいけないとか、そうふうに思うなら、やらないほうがいいに決まってるわ」

 違う。違うのに。どうにも伝わらない。

 奪わないでほしい。誰にも唯一のものを。

 熱い感覚を、現実感を、リアリティを、みんな本当は知っているはずなのに。

 それを口にした瞬間、誰もが目をそらす。

「あー……はは……」

 ノーラはあきらめたような乾いた声を、熱い喉から吐き出した。

 台所の灯りが、少し遅れて消えた。

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