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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第十四章 アシュベル家の館

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半分だけ開いた扉

 翌朝、雪は少しだけ弱まっていた。

 吐く息が白い道を流れ、遠くの森の奥に館の影が見える。

 その前で、ひとりの男がタバコをふかしながら座り込んでいた。

 手には買い物袋。どうやら町から戻ってきたらしい。

 年の頃は三十前後、外套の裾には街の埃がついている。

「……あんたら、ダンジョンに挑むのか」

 声は低く、少し掠れていた。

 レイが警戒を滲ませながらも頷く。

「調査のために。村の方ですか?」

「生まれも育ちも、そうだ。けど、もう出た。今は外の町にいる」

 男は肩をすくめ、煙を吐き出した。

「親の様子見で帰ってきただけだ。……ここには、ずっとはいられねぇ」

 言葉のあとに、雪の粒が音もなく落ちた。

 ノーラが小さく問いかける。

「どうしてですか?」

 男は目を細め、煙を見送った。

「村のやつらは悪いやつじゃない……でも、息が詰まるんだよ」

 雪を蹴りながら、男は館の方を見やる。

「……俺も昔、一度だけ入ったことがある」

 その言葉に、三人は一瞬息をのんだ。

「……どうだったんですか?」

 レイの問いに、男は少し笑って、静かに言った。

「……クリアできなかったよ」

 煙が風に散り、残り火が雪の上に落ちた。

「地元の仲間たちと挑んだんだけどな。みんな途中で黙った。

 “もう考えたくない”って言ってさ。……俺も、結局同じだった」

 レイの胸の奥で、何かがひりついた。

 ノーラは本を抱きしめ、視線を落とす。

「最初のうちは、考えないことが怖かった。でも、なにを言っても、誰も聞いちゃくれない。……それが一番、堪えたな」

 吹雪の音が一瞬止む。

 男の吐く息が白く滲む。

「まぁ……もう関係ねぇけどよ」

 かすかに笑って、男は煙草を雪に押しつける。

「あんたらの、昨日の酒場でのやりとり見てたよ――クリアできるといいな」

 そう言い残し、男はゆっくりと村の方へ歩き出した。

 雪の中に、その足跡だけが残る。


***

 館の前に立つと、風が止んだ。

 雪は細かく降り続いているのに、ここだけは不自然な静けさがあった。

 崩れた石段。凍りついた扉。

 近づくたびに、胸の奥で何かが圧し掛かるような感覚がした。

「……ここが、ダンジョン」

 ノーラが呟く。

 レイは頷き、手袋越しに扉の縁をなぞった。

 氷の下に、何か文字のような刻印が見える。

「数式……?」

「いえ、たぶん詩文です。『問う者、答える者、記す者、護る者、導く者――欠ければ道は閉ざされる』」

 ノーラの声は、雪の静寂に吸い込まれるように消えた。

 紫が扉を押す。

 低い音を立てて、重たい空気が流れ出る。

 薄暗い内部には、無数の数字と線が刻まれていた。

 まるで壁そのものが、誰かの思考を記録しているかのようだった。

 足を踏み入れると、床の模様が淡く光る。

 五つの円が描かれ、それぞれに小さな文が刻まれている。

『防ぐ者は前に、導く者は後ろに。記す者は中に、問う者と答える者は隣り合う。それが道を開く。』

「……位置の指定?」

 レイが目を細める。

 ノーラは壁を見ながら、静かに計算を始めた。

「多人数前提……。少なくとも五人が同時に動かないと、全ての条件が満たされません」

「つまり、三人じゃ……」

「扉が完全には開かない、ということです」

 沈黙が落ちた。

 紫は足元の円を踏み、扉に手をかけた。

「試してみるか」

 レイとノーラもそれぞれ別の円に立つ。

 淡い光が走り、壁面の文字が動き出す。

 数式が変化し、円が震える。

 しかし途中で、光が途切れた。

 ごう、と風が吹き抜け、扉が半分だけ開いたところで止まる。

 奥の闇が、まるで覗き返すように静止している。

「……足りない」

 ノーラの声が震えていた。

「あと少なくとも二人分の“役割”が埋まっていない。導く者と、護る者……」

 紫は扉の隙間から覗き込み、眉をひそめた。

「――五人以上の役割が同時に必要、か」

「多ければ多いほどクリアが容易になるように設計されています」

「……考えたな、そのシスター」

 レイは小さく呟く。

 その声にノーラは微かに反応したが、何も言わなかった。

 扉の奥から、風が吹き抜けた。

 冷たいはずの空気に、なぜか熱のような感触があった。

 それは、まるで誰かの思考の余韻が、まだここに残っているかのようだった。

 扉は半分だけ開いたまま、重く止まった。

 その隙間から吹き抜ける風は、人の息のように温かく、湿っていた。

 奥には、幾何学的な光の紋様がゆらめいている。

「……奇妙だな。普通の罠とは違う」

 紫が扉を押してみたが、それ以上は動かない。

 ノーラが壁際の彫り込みを指でなぞった。

 その表面には、子供が描いたような単純な模様――地図と駒、そして言葉の断片が刻まれていた。

「これ……」

 彼女は小さく息を呑んだ。

「“言霊ゲーム”の盤面に、似ています」

 レイが覗き込み、眉を寄せる。

「まさか、あの子たちの遊びが……」

「いえ、“遊び”ではなかったのかもしれません」

 ノーラはポケットから昼間のルールブックを取り出した。

 表紙に描かれている模様が、壁の紋様とぴたりと一致している。

「……まさか」

 レイが息をのむ。

「これ、村に伝わる“遊び”そのものが……ダンジョンの構造を模している?」

「逆、かもしれません」

 ノーラは指で紙を撫でながら答えた。

「このダンジョンが、村の日常の“形”を作った。――それを人々は遊びとして受け継いできたのかも」

 雪の音が途切れ、空気が張り詰める。

 ノーラは静かに本を開いた。

 ページの奥、細かな注釈の部分に小さく文字が刻まれている。

『※この物語の全容を読んだ者は、プレイヤーとして参加することはできません。

  以後、あなたはゲームマスターとして観測者の役割を担うことになります。』

 ノーラの瞳が、ほんのわずかに揺れた。

「……そう、ですか」

 かすれた声でつぶやき、ページを閉じる。

 レイがその表情の変化に気づく。

「どうしたの?」

「……いえ、少しだけ、立場を失っただけです」

 ノーラは笑ってみせたが、その笑みは少し歪んでいた。

「読んでしまったんです。ルールブックを。本当は“知らないまま進む”ことが、このゲームの第一条件でした」

「つまり、もう一緒には……?」

「はい。私はもう、プレイヤーではなくなりました。外から、見届ける側です」

 雪が静かに降り積もる音だけが響く。

 ノーラは本を胸に抱きしめたまま、微かに息を吐く。

「……まるで、人生みたいですね」

「人生?」

「ええ。 知りすぎたら、もう“中”には戻れない」

 その言葉に、レイは何も言えなかった。

 ただ、降り続ける雪の向こうで、館の闇がゆっくりと口を開けていくのを見つめていた。



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