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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第十四章 アシュベル家の館

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沈む村

 調査隊は雪道を抜け、村の大きな飲み屋に入った。昼だというのに客が多く、火鉢の赤に頬を染めた年配の女たちが、酒を片手に談笑している。

「……楽しんでいるところすまない。今、村で起きている天変地異の原因を調べている。何か知らないか」

 紫は臆することなく声をかけた。焔の明かりに白い横顔が浮かぶ。女たちは一瞬、目を丸くし、その視線が吸い寄せられる――紫の気配は女性にも効くらしい。

「そういやぁ、今年はまた家がひとつ沈んじまったねぇ」

 ひとりが思い出したように言う。それを皮切りに、声が連なる。

「そうそう、でもまあ住めるとこはまだ残ってるし。なんとかなるよ」

「水路が歪んでるって言うけどさ、昔からちょっとずつ動いてたしねぇ」

「時代よねぇ。今日明日のことじゃないし」

「不便はあるけど、生きてりゃ慣れるもんよ」

 笑いが火鉢のぱちりという音に混じる。雪に軋む家々よりも、ここでは盃の温もりのほうが現実らしい。

「……でも、このままじゃ村そのものが沈むかもしれない。 どうにかしなきゃ――」

 堪えきれず、レイが口を挟んだ。拳は袖の中で固くなる。

 女たちは一斉にこちらを振り返り、あやすように笑う。

「若いねぇ、そんなに焦っても仕方ないさ」

「人は死ぬ時は死ぬ。心配してもどうにもならんよ」

「まあまあ、お茶でも飲んで落ち着きなさいな」

 言葉が喉で途切れ、レイは絶句した。

 沈みゆく土の気配と、のんきな笑い声。

 その二つの温度差だけが、胸をきつく締めつけた。

 そんな話をしていると、すぐ横から諍いの声が上がった。

「お前なぁ、報告が足りないんだよ! 熱意ってもんが感じられん!」

 店主らしい大柄の男が、若い従業員を怒鳴りつけている。

「……前に言いましたけど」

 若者は小さな声で反論する。

「聞いた覚えはないな!」と店主が遮る。

若者は短く、あー、と声を漏らすと、口をつぐんだ。その様子に店主は深くため息をついた。

「……もう、いい、裏で欠品確認でもしてこい」

若者は、短く返事をするとキッチンに消えていった。

「最近の若いのはダメだな、何言ってるかほんとに分からんですわ」

 店主はカウンターの近くの常連客に話しかける。

「最近の子はぼーっと突っ立てるだけだよなぁ」

 酒が入り赤ら顔の男は、酒の肴を待っていたかのように返した。

「まぁ、でもどこまで成長させてやれるかだけ考えながらやってますよ」

「偉いなぁ」

「だめなやつはほんとに駄目ですわ、でもうちで働いて一つでも上達してくれたら思います」「最近の子は道徳心もないから、伝わるといいな」

「ほんとですね、学校でも数学とか国語とかなんかいらんですわ、道徳さえやっとけばいい「ほんとに、それが正解ですわ、マスターみたいな教師がいればいいのにねぇ」


 笑い混じりのやりとりに、キッチンへの扉の隙間から見える若者は顔を伏せて、さらに奥に下がっていくのが見える。

 ノーラは堪えきれず口を開いた。

「……お言葉ですが、そもそも“何がダメだった”のか、具体的に説明していただけますか?」

 不意を突かれ、店主と常連は口ごもる。ノーラは続けた。

「彼が伝えたかどうかは確証がありません。あなたが聞いていなかったかも確証がありません」

 二人は顔を見合わせ、言葉を失った。だがノーラは止まらなかった。

「それに、国語や数学は不要ではありません。古典や物語を読むことで、人は他者の生き方に触れ、知恵や民族性を知ることができます。数学の思考は“なぜそうなるのか”を考える手がかりになり、答えが一つではない問題に立ち向かう視点を与えます。あなたたちの言う“道徳”を守るための基盤にだってなるんです」

 熱を帯びた言葉に、周囲がしんと静まる。だが店主は、にやりと笑った。

「きっと勉強ばっかりしてきたんだな。君も若いし、年を取ったらわかるよ」

「……三十です。若くもありません」

 ノーラは即座に返す。

「子供を産んだら、また変わるかもなぁ」

「まぁ、女、子供にはわからんか」

 常連が笑い混じりに言い、場の空気は再び緩んだ。

 ノーラは一瞬目を伏せ、「……あー……はは」と困ったように笑った。

 ――伝わらない。

 その絶望の影が、揺らめく火鉢の炎に映っていた。

 そのとき、レイが低く声を落とした。

「……お前らのどこに道徳があるんだ」

 酒場のざわめきが止まる。

 レイは椅子の背から身を起こし、店主と常連を鋭く見据えた。

「女とか若いとか、子供とか。理由にもならない理由で軽んじて、話を聞かない――そんな奴のどこに道徳があるんだって言ってるんだ」

 店主と常連は顔を見合わせ、ざわついた。

「なんだと?」

「外から来た奴が偉そうに」

 だがレイは止まらない。

「自分の欲しい答えしか聞かず、相手の言葉を考えない。それはただの暴力だ」

 場が凍りつく。

 ノーラは言葉を失い、唇をかすかに震わせた。

「……」

 火鉢の炎がぱちりと弾ける音だけが、静まり返った空気に響いていた。

 数秒の静寂ののち、店主と常連の顔が赤くなる。

「外から来た小僧が……!」

「調子に乗るな!」

 怒号が飛ぶ。椅子が軋んだ。

 その瞬間、紫がすっと立ち上がった。

 剣は抜かない。ただ鞘ごと机に叩きつける。

 鋭い金属音が酒場に響き、全員の声が止まった。

 紫は表情ひとつ変えずに告げる。

「――この辺の天変地異の調査をしている。何か知っていることはあるか」

 店主は怯むように一歩下がりながらも声を張る。

「お、俺たちはまだ話をしてるんだ!」

 常連も怒鳴る。

「女はすっこんでろ!」

 しかし紫の視線が彼らを射抜いた瞬間、再び場は凍りついた。

 紫がゆるやかに立ち上がった、その刹那――。

 床板を踏む音さえなく、彼の影が揺れた。

 気づけば、剣先が店主の喉元に突きつけられていた。

 冷たい金属の感触が皮膚に届く寸前。店主の喉が、ごくりと鳴った。

 紫の目は笑っていなかった。

「……少し手持ち無沙汰で、身体が動いてしまった」

 低く淡々とした声に、店内が凍りつく。

 ざわめきは広がったが、誰ひとりとして口を開けなかった。

 店主の顔は血の気を失っていた。

「……お、俺の死んだ親父が言ってた……。あのダンジョンができてからだって……」

 常連も青ざめ、かすれ声で続ける。

「変なシスターがいた……子どもに妙な“ゲーム”を教えてたんだ……言葉遊びみたいな……」

「趣味で数学とか小難しいこと考えるのが好きなやつでな」店主が震える唇で吐き出す。

「……多分、道楽だったんだろうが……」

 紫はそれ以上追及せず、剣を静かに鞘へ収めた。

「助かった」

 レイとノーラの肩を軽く抱え込み、耳元で低くささやく。

「……ああいう馬鹿と話すのは時間の無駄だ。行こう」

 二人は言葉を失ったまま、紫の導きに従った。

 背後には、凍りついた空気と、誰も笑わない酒場だけが残った。


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