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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第十二章 前勇者ととある少年のお話

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銃声の隣で

 湿った廊下を歩かされる。

 案内役の隊員は一言も発さず、ただ寮の一番奥――人気のない棟へとキサラギを連れて行った。

 辿り着いたのは、古びた扉の前。

 ノックもなく乱暴に開けられた先から、強い薬品の匂いが鼻を刺した。

 散乱した紙束と、本と、未整理の瓶。

 机には解剖図や数式の書きなぐられた羊皮紙が積み上がり、窓は半分以上が黒布で覆われている。

 その部屋の中央――椅子に座る一人の男。

 髪は無造作に伸び、目の下に濃い影を落とし、指先には乾いた薬液の痕がこびりついている。

 英雄だと聞いていた。疫病から人を救った「勇者」だと。

 けれど目の前の人物からは、光のかけらも感じられなかった。

 ――鋭い眼差し。

 まるで、触れれば切り裂かれる刃物のような冷たさ。

「……なんだそのチビ」

 低い声が部屋の奥から響く。

 顔を上げた男――前勇者は、淡々と、キサラギを見もしないまま吐き捨てた。


***


 執務室の空気はいつも以上に重かった。

 机の上には今までの任務記録が山のように積まれ、紫の名で異様な量埋められていた。

 レイはそれをめくりながら、思わず小さく息をのむ。

(……こんな短期間で、これだけ)

 紫の任務処理の速さ。数字の羅列だけで、その有能さが嫌でも伝わってきた。

「……で、紫は?」

 書類から顔を上げたキサラギの声は短く荒い。

「まだ熱下がらないね。まぁ、あんだけ毒吸っちゃってこのくらいで済んでるの奇跡だけどね」

 焔羅が肩をすくめながら答える。

 まだ顔色は悪く、包帯の巻かれた腕をだらりと下げていた。

「お前もう動けるだろ。ガキといってこい」

「え、パワハラ? 転職しよっかな」

 包帯のまかれた腕をわざとらしく痛がり、軽口を叩く焔羅に、キサラギは舌打ちを返す。

 視線を横に向けると、壁際で報告書を整理していた光が冷たい声で告げた。

「無理です。解析班は既に手一杯。人員は割けません」

 その声音に揺らぎは一切ない。

「……チッ」

 キサラギは不快げに顔をしかめた。

 アサヒと兆は別任務、ニアも不在。残っているのは――。

 キサラギの視線が、自然とレイに落ちた。

 数秒の沈黙。

 その間に、居心地の悪さがじわじわと広がる。

「……ガキの面倒なんざごめんだ」

 吐き捨てるように言うキサラギ。

 キサラギは下の面倒を見るのが苦手だった。

 必要なときには指導するが、付きっ切りで見てやることはない。

 ましてやレイに対しては一層嫌な気持ちが芽生えていた。


 レイはわずかに眉を寄せたが、反論はしなかった。

 静かに書類を抱え直し、ただ次の指示を待っている。

(……そういうとこが、気に食わねぇんだ)

 心の中で悪態をつきながらも、キサラギは言葉を飲み込む。

 きっちり応じる。相手の毒も理解したふりをして何でも呑み込む。子供らしさを置き去りにして。

 だが、その上、妙に強い責任感のせいで引かない時がある。何にも力などないくせに。

 弟のアサヒと組んだ方がまだ幾分かキサラギは釣り合いが取れる。

 その気配を察してか、焔羅がわざとらしく口を開いた。

「いいじゃんいいじゃん。たまには二人で行ってきなよ。キサラギが拾ってきたんだし」

「……拾ってねぇ。勝手についてきただけだ」

 吐き捨てるように言うキサラギ。

 レイは少し気まずそうにする。

 だが、その指先は資料をしっかりと握りしめていた。キサラギから目をそらさずに。

 その表情さえも、キサラギは苛立った。

 だが、今は他に人員がいない。

 嫌悪と諦めの狭間で、キサラギは煙を吐くように短く言った。

「……チッ。行くぞ」


***

 崩れかけた施設の内部は、湿気と薬品の匂いが混じり合い、息を吸うだけで喉が焼けるようだった。

 床には折れた管や拘束具が散乱し、壁には無残に取り付けられた鉄枠が並んでいる。

 その中から、かすかな呻き声が漏れていた。

 制圧済みの研究施設――。今回の任務は、その後処理だった。

 残された装置や毒の残骸を調査し、必要なら破壊する。

 そして、もう“戻れないものたち”を処分すること。

 レイは思わず足を止めた。

 光の届かない片隅に、痩せ細った実験体が身を丸めていた。

 その顔には、まだ“人間だった痕跡”が残っている。

 荒い呼吸、震える指先、かすかにこちらを求める視線。

 拳が、ぎゅっと握りしめられる。

(……生きてる。まだ……)

 助けたい。そう思うより先に、体が硬直した。

 今まで目の当たりにしてきたのは“まだ間に合うかもしれない”状況ばかりだった。

 だが、ここにあるのは――手遅れになった者たちの群れ。

 もうどうにもできない現実だった。

 その隣を、靴音が迷いなく通り過ぎる。

 キサラギだ。

 彼は銃を抜き、ほんの一瞬で引き金を絞った。

 乾いた音と共に、呻きは途絶える。

 レイは息を呑んだ。

 目の前で人の姿をしたものが倒れ、ただ静寂だけが残る。

 その一瞬の動揺を見逃さず、キサラギが冷ややかに言い放った。

「……怖かったらそこで見てろ、坊ちゃん」

 言葉は刃のように鋭く、レイの胸に突き刺さった。


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