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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第九章 ゼフェリカの黙示録

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忘れられない男

 控室はやけに静かだった。

 正確には、紫の膝の揺れる音と、大剣が床にめり込む音だけ響いている。

 紫から出ている黒い殺気は、謎に焔羅に向いている。

「…どうしよう、試合も心配だけど、今この状況も怖いよ」

 アサヒが小声でレイに言う。助けを求めるかのような声にレイは兆のほうに視線を向ける。この中で一番紫に近い人間は兆だったからだ。

 レイの視線に気づいてか兆はすぐに目をそらした。汗が滝のように流れている。

(…こいつ…)

 少しレイは恨み節を兆に向ける。

 そんな中でもレイはしっかりと試合の様子を見ていた。

 キサラギの視線。焔羅の手元。

 ほんの一瞬――焔羅の人差し指が、地面を“カツン”と弾く。

「…きっと大丈夫、紫もわかってるでしょ」

 レイの言葉が、控室に静かに落ちた。


***

 キサラギの銃声と共にファーニスは再び、攻撃を始めた。

 避けつつも、必死に銃を構え、狙う。しかし、それも無意味なものであった。

 放たれた弾丸は、仲間のはずの焔羅が銃で重ねるように狙われ、すべて弾かれた。

 膝をついたままの焔羅の表情からは、あらゆる迷いが消えている――ように、見えた。

 まるで完全に術に屈した人間のような所作。

 ゆっくりと、低い位置から、静かにキサラギに銃口を向ける焔羅。 

 仕切りに、焔羅は手遊びをするかのように、拳銃をくるりと回転させる。

 キサラギは目を細め、焔羅を見る。

 地面をはじいていた方の手の親指を小さく反らすように立てる仕草を見せる。


 そんな様子を満足そうに眺めるミィナ。

(完全に、落ちたわね)

 ミィナはさらなる術式を編み直す。

 甘い香りが、より濃く、焔羅の意識に染み込んでいく――

 まるで秘め事かのように近づくミィナは焔羅の手を取り、そっと自分の頬にあてがった。

 金色の髪に隠れた耳元には、小さな宝石のような魔導具が光を帯びている。

 術式の発信点――そう確信できるほど、微かに波動が揺れていた。


「もう、大丈夫よ。つらい記憶も、痛い思いも、ぜんぶ……消してあげる」


 最後のとどめを刺すかのように、ミィナは優しく告げる。

 焔羅は目を細め、耳元の灯を見つめた。

 まるで視界を覆うかのように、ミィナの前に立ちはだかる焔羅。

(……なんだ、この違和感)

 控室のレイが、思わず、凝視する。

 キサラギの銃の射線上、その中央に焔羅が立っていた。

 視線を遮り、角度を崩し、わずかに“ずらす”。

 焔羅の鋭い熱い目線に、思わずミィナも恍惚な笑みを浮かべた。

(あぁ、素敵)

 そうミィナが思った瞬間だった。

  焔羅の手が、そっとミィナの髪をかき分け、魔導具に触れた指先が、ほんのわずかにそれを“弾いた”。


「…外すなよ、キサラギ」


 言葉と同時に、鋭い銃声が響き、魔導具が撃ち抜かれた。

「……え?」

 呆然とするミィナ。

 焔羅の背後に立っていたキサラギの銃口が、煙を上げていた。

 直後、ファーニスの鎧が床に叩きつけられる音が会場に響いた。


***

「…なに、そうやって、みんなに手合わせして回ってんの?」

 もうすでに焔羅に吹っ飛ばされたレイを上から覗き込む。

「…味方から知れって言ってたし」

 眉間にしわを寄せるレイの額を煽るようにつつく焔羅。

「なに、最近の子ってまじめー」

 ほんの少しイラついたが、レイはそれを抑え、身体を起こす。

「…焔羅は次鋒でキサラギと出てもらおうと思って」

 その言葉に焔羅は目を細める。

「…へぇ、なんで」

 あえて試すようなような口ぶりに、レイは少し言葉を詰まらせる。

「…多分次鋒は精神系の攻撃のやつが来ると思う、焔羅は、その、そういうの強いと思う。アウローラの時にいろいろ教えてくれたのも焔羅だし」

「レイくんは、そういうのだめだめだもんねぇ」

 大きく笑いながら、焔羅は何回もレイの背中をたたく。

 バツの悪そうな顔をしながら文句を言わないレイに焔羅は続ける。

「あー…じゃあ、いいこと先輩が教えてあげるよ」

 床に指をあて、コンと音を鳴らす。

「これ、調査隊のみんなが共有する合図、”潜入調査”しまーす」

 そして、次に銃を取り出し、くるりと回す。

「”迎撃準備”してくださーい」

 次に剣を取り出し、剣もくるりと宙に投げ、一回転させる。

「剣の場合は、これで。“戦闘開始”の意味もある」

 今度は、静かに、レイだけに見せるように親指を小さくそらす。

「”弱点発見”」

 レイは真剣にその仕草を見つめる。

「使い方、見せてあげるし、覚えるんだよ?」

 焔羅は、不敵な笑みを浮かべる。

「ちゃんとレイくんも使えるように、ね」


***

 ミィナの魔力が、音もなく崩れはじめる。

 “メロメロ”だった観客席の空気も、ゆっくりと現実へ引き戻されていった。

 ファーニスの身体に細かなヒビが走り、

 キサラギの剣が、その一瞬の隙を逃さず振り抜かれる。

 甲高い音とともに、ファーニスの鎧が砕け、膝をついた。

 どうやらミィナ本人には、戦闘力はほとんどなかったらしい。

 崩れ落ちるように座り込んだ彼女が、ぽつりと呟く。

「……どうして、記憶が……」

「なんでもなにも、俺、あの時のことは絶対に忘れねぇから」

 その目に、一瞬だけ過去の紫との出会いがよぎる。

 強烈で、鮮烈で、今もなお焼きついて離れない記憶。

 焔羅は無言で武器を構え、意識を落とすための一撃を入れようとした――その時だった。

 ――ピピッ。

 ベンチにいるキサラギとレイの耳元で、小さな通信音が鳴る。

 『こちら光。緊急連絡』

 毒気を含んだいつもの声ではない。淡々として、それでいて緊張を孕んだ調子。

 『セレナの位置が、狙撃手にマークされています。南東の観客席上段から魔力反応。複数、他にも動きあり』

 キサラギの表情が一瞬で鋭くなる。レイも即座に立ち上がった。

「……護衛は?」

『行方不明。現在、私が単独で対応中ですが――この試合に勝ったら、何をしてくるか分かりません』

 キサラギは観客席へ視線を向け、数人の不審な気配を目視で捉える。

 一方で焔羅は、そんなふたりの視線を追ってため息を漏らした。

「あー、もう。はいはい、わかった、降参降参〜」

 武器を下ろす焔羅。静まり返る会場。

「ラ、ラウ=ミディア国の……勝利!!」

 アナウンスが響き渡っても、ミィナには届いていない。

 その場に呆然と座り、ぽつりとこぼした。

「……なんで……みんな、ミィナのこと……好きになるはずなのに」

 その声に、先ほどまでの妖艶さはなかった。

 まるで迷子になった子どものように、震えている。

 どうやらミィナは、勝ちより大事なことだったらしい。

 焔羅はそんな彼女の手を取り、立ち上がらせる。

  ミィナは思わずその手を握り返し、顔を上げた――が、そこにあったのは冷えたような鋭い目だった。

 記憶を踏みにじられた怒りが、確かにそこにあった。

 その視線に、ミィナの背筋が一瞬ぞわりと凍った。


「俺、こう見えてさ……他人に優しくできないんだよ。だから、あんたも――そういう相手、探しな?」

 そう言い残し、そのまま立ち去ろうとしたその背中に――

「お待ちになって!」

 か細い声が、すがるように響いた。

 ミィナは震える手で、焔羅の背にしがみつくようにすがる。

 振り返る焔羅に、彼女は必死の声を向けた。

「……お名前を……お名前を教えてくださいませんか?」

 潤んだ瞳の奥に、はっきりとハートの光が浮かんでいた。

「……え……?」

 呆けたような焔羅の声が漏れたちょうどその時――

 控室から、「ゴオオン……!」と大剣が振り下ろされる重たい音が響き渡った。


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