31 刻印の女
A61の逃走は1日もたなかった。
抗いようのない強い力の男たちに、あっという間に車に放り込まれ、手足をガムテープでぐるぐる巻きにされた。
面識のない男たちだったから、半澤組ではない。
「でかした。リュウジさんもお喜びになるだろう。」
連れてこられたビルの中で、手足を縛られたA61を軽々と片手で担ぎ上げた男は配下らしい男たちにそう言った。
すると、ここは噂に聞いた龍神城。
健次が恐れていた龍神帮の本拠地。
なぜ龍神帮が?
A61にとっては恐怖よりもその疑問の方が大きかった。
「捕まえてきました。」
そう言ってA61を床に放り出し、その男はすぐ傍でひざまずいた。
A61が首を曲げてその先を見ると、そこに男が立っている。
全裸だ。
しかしその肉体は鋼でできた彫像のようで、あの義父の薄汚さとは似ても似つかぬ、むしろ神々しささえ感じるようなものだった。
その男の顔には、A61と同じ『X』の刻印が‥‥。
「ご苦労。下がっていい。」
その男は、地の底から響くような声で言った。
「はっ!」と畏まって、配下の男が下がる。
下がりぎわにその男が、憐れむような視線をちらりと自分に向けていったのがA61にはひどく印象に残った。
+ + +
「龍神城に連れていかれた?」
目撃したという良郎の報告を聞いた剛田は、ふと顔を曇らせた。
半澤組は今、形の上では龍神帮の下部組織になっている。
うちでケジメをつけたいから半澤組に渡してくれ——と言えなくもないが、ヤツらが連れていったということはリュウジが命じたんだろう。
おまえのところでやれ。と言ってこない限り、上部組織がケジメるというものに異を唱えるわけにはいくまい。
まだ完全に準備が整っていない今、つまらぬことで抵抗するようなそぶりを見せるのは下策だ。
気の毒にな‥‥。と剛田は思う。
うちに捕まっていれば、ひと思いに死なせてやったのに。
「龍神帮が出てきた以上、俺らは何もできん。」
ぽつりと言った剛田の言葉に、良郎は怯えるような悲しいような妙な表情を見せた。
オレまだ一回もやらせてもらってない‥‥。
無惨な殺され方をするんだろう。きれいな女だったのに‥‥。
むろん、良郎ごときがあのような女を守れるはずもないのだが。
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自分以外の人権剥奪者を初めて間近で見る。
こいつも剥奪刑を受けるほどの殺人を犯してきたのか‥‥。と床に転がっている女を見るが、とても人を殺したようには見えない。
むしろ被害者なのではないか? とA66は訝しんだ。
弱々しく、儚くさえ見える。
しかし、首を曲げて自分を見上げるその目の中の色は、これまで見たどんな女の表情とも違っていた。
何も求めていない。
この先の栄華も、いや、生さえも——。
それでいて無気力な諦めではなく、何かを望んでいるような生き生きとした光が見えた。
透明で、どこまでも深く透明で‥‥、うかとすればA66でさえそのまま呑み込まれてしまいそうな‥‥。
A66はかがみ込んで女の戒めを解いてやった。
なぜそんなことをする気になったのか、A66にもわからない。
そもそも、なぜ俺はこいつを捕まえてこいと言ったのか?
たぶん興味があったのだ。
飼われている身でありながら、何かを起こせば即座に駆除される身でありながら、なぜ飼い主の首を切った?
次は自らが狩られるとわかっていながら‥‥。俺のように自ら戦える力もないのに。
かといって感情の赴くままに後先かまわず暴力に走るようなバカにも見えない。
「A61か。」
A66はその女の額の認識ナンバーを読む。
「おまえは、なぜ飼い主の首を切った?」
A61は何も答えない。
不思議とその態度にA66も腹が立たなかった。
なぜだろう?
とA66は考える。
その瞳に、嫌悪でも媚びでも軽蔑でも抵抗でも恐れでもない何かがたたえられていたからかもしれない。静かな泉のように透明な瞳。
その瞳の奥に、どこまでも透明な深淵に、隠したものはなんだ?
「まあ、いい。」
A66は女を抱き上げる。
「俺が飼ってやる。切りたくなったらいつでも俺の喉を切れ。」
女が不安そうな目でA66を見た。
いや‥‥、不安ではなく、これは心配‥‥か?
こんな目の色をする女を初めて見た。




