28 人の住む世界
「おお。たくさんあるな。」
ゲンさんがワンカップを舐めるようにちびちび飲みながら、ダンボールの上に広げられたいろいろな食べ物をのぞき込んだ。
「オレももらっていいか?」
「かまわんよ。ジンケン博にやるっちゅーたら、よーさんくれたで。」
ゲンさんがひょいと手を伸ばして、ウインナーの入ったパンを取る。
「これぁ、ツマミにいい。」
「期限切れもあるでな。」
「かまわん。酒で消毒される。」
そう言ってゲンさんはワンカップの酒をちびっと舐めるように飲んで、その期限切れのパンにかぶりついた。
もぐもぐしてから、また少しもったいなさそうに酒を舐めて、つとA65の方を見てそのワンカップを持った手を伸ばした。
「おう、ジンケン。おまえも少し飲むか?」
「サトやんだ。」
茂さんが、ほやんとした顔で訂正を入れる。
「サトやんか。どや? あったまるぞ。」
「あ、いえ‥‥俺は、けっこうです。」
「そうか。」
ゲンさんはちょっとほっとしたような顔をして、あっさりと引き下がった。一応歓迎のつもりで言ってはみたが、酒が惜しいのだろう。
A65は遠慮したのではない。「汚い」と思ってしまったのだ。
なんだかすえたような臭いを放つ人が、ペロペロと舐めるようにして飲んでいる同じカップから‥‥と思ってしまったのだ。
口には出さない。
失礼だよな‥‥とは思う。
顔に大きく『X』を入れられたこんな俺に、まるで普通の人に接するみたいに接してくれる人たちに対して‥‥。
人間ではない、と烙印を押された者が。
だが、A65にはまだエリートを目指していた頃の感覚が、どこかに残っているのだろう。
それが自分でわかるだけに、A65は自分自身を嘲笑してやりたくなった。
茂さんが持ってきてくれた段ボールで「ネグラ」を作った。
ついでに力学の知識を活かして、他の3人の「ネグラ」も少し丈夫で快適なものに改造してみた。
「おお! すげーぞ、サトやん。本物の家みてーだ。」
「あざっす。」
普段無口なタラやんまでがそんなふうにお礼の言葉を口にしたとき、A65は人生で初めて報われたような気がした。
人の役に立てるということが嬉しいことなんだ——と、A65はここで初めて知った。
「シッ! シッ!」
普段無口なタラヤンは時々そんな声を出して、高架下で空手の型のような動きしている。
「タラやんは、ああ見えて空手の黒帯なんだ。」
茂さんがそんなふうに教えてくれた。
「ナマってまわんように時々ああやって一人で稽古しとらす。」
茂さんの話では、街で鞄を強盗されそうになっていた酔っ払いを助けようとして、絡んでいた不良たちの顎の骨を砕いてしまったんだそうだ。
その間に絡まれていた酔っ払いは逃げてしまった。ひょっとしたら鞄の中身は他人に見られたらマズいものだったのかもしれない、というのがゲンさんの推理だ。
不良たちは口裏を合わせてただのケンカだと言い張り、口下手なタラやんは自分の正当性を主張することができなかったらしい。
黒帯は凶器とみなされる。
執行猶予がついたものの、刑事事件を起こしたタラやんは道場を破門になり、職も失ってしまった。
その後、アルバイトなどを転々としたあと、ここに流れ着いたのだという。
用心棒みたいな話もあったらしいが、そういう犯罪に絡むような組織の手助けはしたくないと断り続けて今に至る、ということらしかった。
立派な人じゃないか。
とA65は背筋を伸ばして型稽古をしているタラやんを眺めた。
「タラやんがいると安心できるでええ。世の中には、ホームレス狩りなんちゅうことをやるヤツもおるでな。」
「何か、俺もお手伝いすることは‥‥?」
A65がある日そんなことを言うと、茂さんはどこから持ってきたのか1巻の包帯を袋から取り出した。
「ああ、フードバンクに一緒に行ってみんなの分の荷物も持ってもらえたらわしも助かるがな。ただその顔じゃ人がびっくらするで、これで隠してまえて。」
茂さんはA65の顔に包帯をぐるぐると巻いた。
目のところだけ開けたA65の顔は、ミイラ男みたいになった。
「おお。ミイラみたいだ。こっちの方が怖くないか?」
とゲンさんが手を叩いて笑うと、タラやんも口の端だけで笑った。
「『X』が見えるよりはええだら。」
と茂さん。
その格好で頭からフードをかぶり、フードバンクへ茂さんの荷物持ちとしてついて行くことになった。




