14 A65 サトシ
聖の父親は中堅企業の中堅社員だった。
忙しくしていて、帰りは夜遅く、家に帰ってこないこともざらだった。
のちの警察の捜査で浮気をしていたらしいこともわかったが、裁判には影響しなかった。
そういう夫の代わりに母親は息子の聖に過剰な期待をかけたのだろう——と、心理学者はその生育歴を分析したが、それは事件が起こってしまった後で、聖自身にはなんの役にも立っていない。
聖は母親の期待どおり、中学までは成績はトップクラスで通した。
あらゆる理不尽を、テストの正解が、点数が薙ぎ払ってくれた。
ボクハアイツラトハチガウ
友達を作れ。部活動は運動部。——と言う母親の言に聖は外面上は応えようとしてもいた。
それはたまに帰ってくる父親が言う言葉でもあり、というより母親がそれを自分の言葉のようにして聖に繰り返したものだ。
しかし、もともと運動の苦手な聖に運動系の部活など向いているはずもない。
一応、母親への言い訳としてサッカー部に入ったが、試合に出してもらうどころか練習さえまともに参加させてもらえない。
あんな大きなボールにどうやったら足が当たらないのか、というほど聖は運動オンチだった。
すぐに部活には出なくなり、サッカー部の練習の時間は図書館に行って小説でも読むか、次のテストに備えて勉強するという放課後の生活になった。遊ぶ友達もいない。
図書館から帰る時、母親に買ってもらった練習用のユニフォームとスパイクに泥をなすりつけて家に帰る。
家で母親に聞かれれば、架空の作り話をした。
聖は中学時代、本当は小説やマンガが読みたいと思っていた。
しかし、親は参考書ならいくらでも買ってくれるが、そういうものは全く買ってはくれなかった。もちろんゲームなども。
パソコンは母親の部屋にあって、勉強に必要な検索しかやらせてもらえなかった。
友達と話が合うはずがない。
友達ができるはずもない。
同級生がそういう話題で盛り上がっているのを横目で見ながら、羨ましいという感情が湧き上がらないよう、自分の気持ちに目を背けるという努力をしていた。
ただ‥‥、そんな聖も中学2年の生活が後半になる頃から、違和感を感じるようにはなっていたようだ。
お母さんの言うとおりにしているからオカシクなるんじゃないか‥‥?
「今日はサトちゃんのお誕生日だから、特別のごはんを用意したわよ。」
小学校の4年生ころだったか5年生ころだったか、学校で「大人になったら何になりたいか」などという質問をして、それを紙に書かせたクラス担任がいた。
聖は大人になった自分など、全く想像できなかった。
いつも母親が世界の前に立ちはだかっている。
ただ、担任が期待している正解は想像がついたから、それに合うように適当な答えを書いておいた。
簡単なテストだ。
幸いなことに、小学校からのイジメグループは中学になって新しい対象を見つけたらしく、聖に対する興味を失ったようだった。
聖はほっとした。
そして自分に再びそいつらの目が向かないよう、できる限り目立たないようにしていた。
それが聖の影ををさらに薄くしてゆく。
のちに周囲が証言する聖の姿がこれだった。
孤独であることをつらいとは思わなかったが、「お父さんの言うように、社会に出てからは友達のつながりは大事だわよ」と言う母親の言葉が、聖の中に不安をかき立てた。
ある時、教科書の漢字やひらがなが突然意味のわからない模様に見えたことがあった。
いつもの見慣れた形であるはずなのに、まるで古代の文字のように不可思議な図形でしかないものに見えてしまったのだ。
「あ」の文字が「あ」ではなく、何かがのたくったような絵にしか見えなくなってしまったのだ。
これは「あ」と読んでいいんだっけ?
意識を集中すると、それはちゃんといつものひらがなに見えるようになった。
疲れてるんだろうか‥‥?
聖は県内でも指折りの進学校に進んだが、高校生になったあたりから急速に成績は落ち始めた。
もともと勉強が好きなわけではない。テストの対策について、点数を上げるテクニックについて上手くやり続けてきただけなのだ。
何のために‥‥?
疑問が浮かんだ途端、それをやる気力が萎えてしまった。
「何をやってるの? サトちゃん!」
中学までは勉強についてみていた母親も、高校の内容になるとついていけないから、ただ叱咤するだけになる。
このころ父親はめったに家に帰ってこなくなっていたが、帰ってきた時には母親の愚痴を封じるためか説教だけを垂れた。
「いいか聖。いい大学へ行くっていうのは、そこで友達という人脈を作るためなんだぞ?」
聖は大学受験に失敗した。




