10 リュウジ
どういう字を書くのだろう。
龍児だろうか、隆次だろうか。
今はただのA66でしかないその男は、巨体というわけではないがあたりを圧倒するような肉体を持っていた。
刀で斬っても斬れないのではないかと思わせる鋼のような筋肉。
どんな猛獣もこれほどの目は持っていないであろう凶暴な目。
知能の高さを表すのだろう、盛り上がるように前に出た額。
酷薄さをたたえた秀麗とも言える顔には大きく刻印された『X』の刺青。
刺青はそこだけではない。この男の肩にも背中にも、緻密に、かつ大胆に描かれた怒り龍の彫り物がある。
その自己顕示を否定するかのように、その上から大きく新たに掘り込まれた『X』の刺青。
だが、その『X』はこの男の場合、むしろより一層の凄惨さをもって見る者に恐怖を植え付ける効果をもたらしているようだった。
刑務官が刺股と電磁警棒を持って遠巻きにする中、その男は全裸のままで悠々と門に向かって歩いた。
口元に薄ら笑いさえ浮かべている。
ギャング組織の中でも、特に凶暴と言われる龍神帮。
徒手空拳からわずか数年で、闇社会に押しも押されぬ強固な勢力を作り上げた伝説の男。
集団そのものは小さかったが、その中心に座る「リュウジ」という男はマフィアの幹部でさえ恐れをなしていた。
その「リュウジ」が他のグループとの抗争の中で18人を殺し、「人権剥奪」の判決を受けたのがほんの1週間前のことだ。
意外にもおとなしく捕まった「リュウジ」は、この刺青が欲しかったのではないか——などとも噂された。
「こんなやつを刺青を入れただけで放逐してしまっていいのか?」
「人権が剥奪されているんだから、このまま駆除してしまった方が世の中のためなのでは‥‥?」
「我々にはそれは認められていない。」
「なぜ?」とは誰も言わない。
それでは実質的に死刑と変わりない、と国際社会から批判されることを政府が恐れているというのは刑務官たちの中では公然の秘密だった。
「政府は関係してません。始末は民間でどうぞ——ってわけだ。」
特別拘置所の刑務官たちは刑務官控室で、この野獣のような男を恐れながらヒソヒソ話をしたものだ。
この制度の欠陥のひとつかもしれない。
裸に剥かれた人権剥奪者を刑務官が恐れながら放逐したのは、おそらく後にも先にもこの男だけだったのではないか。
完全に裸に剥かれると、たいていの剥奪者は救いを求めて目をきょろきょろさせるか、怯えきって扉から出て行こうとしないものだ。
そこから先は、誰からも「人」として扱われない。
たとえ殺したところで、大した罪にもならないのだ。
それを、被害者遺族が手ぐすね引いて待ち構えているかもしれない。
刑務官たちはその背中を足で蹴飛ばして扉の外へ放り出すのが普通だった。
腰が引けながら制圧道具を構える刑務官たちを睨め下すような目で眺めながら、A66は悠然と開かれた鉄の扉に向かって歩いてゆく。
その鋼のような筋肉が刺青とともに門の外に出てゆき、鉄の扉が自動で閉まったとき。
ほう‥‥‥
と刑務官たちの間で安堵のため息が漏れた。
ヤツが18人を殺したとき、ヤツは最初、なんの得物も持っていなかったという。
敵の武器を手首ごと捻じ切るようにして奪い、18人のギャングを殺害して10人を半身不随にしたのである。
たった1人でだ。
刑務官の10人やそこら、その気になれば皆殺しにできただろう。
だがA66はバカではない。
それをやれば警察の特殊部隊や猟友会による駆除対象となるくらいのことは理解している。
それがわかっていればこそ、サラリーマンに過ぎない刑務官たちも「放逐」という儀式に付き合うことができたのだろう。
A66は舗装もされていない砂利道を歩いている。
その均整の取れた裸体は、刺青と一体になって1匹の美しい獣のようにも見えた。
A66が放逐されたのは無人島か何かであるらしい。
程なくA66の眼下に、小さな湾の中に突き出たコンクリート製の桟橋に小型のフェリーが2隻係留されているのが見えた。
1隻は警察のもので、‥‥おそらくもう1隻は龍神帮が派遣したものであろう。
A66の前に、黒塗りの四駆車が現れて止まった。
ドアが開き、3人の屈強そうな男がさっと降りてきて、その場にひざまずいた。
「お勤め、ご苦労さんにございます!」
A66は仁王立ちのまま、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ご苦労。探すのは難儀したか?」
「いえ。日にちと拘置所の位置の情報は得ておりましたから。ただ‥‥」
と、ひざまずいたリーダーらしい男が続けた。
「同時に放たれる者がもう1名おりまして‥‥。どちらがリュウジさんかわからなかったもので、二手に分かれました。そちらもまもなく合流してきます。」
「そうか。」
A66は眼下に見える青い海を眺めた。
陸地や島影がいくつも見えることと波が静かなところをみると、どうやら外海ではなさそうだ。
「そいつも拾ってきてやったのか?」
「い‥いえ‥‥」
「拾ってやればよかったのに。不親切だな。」
「そ‥‥そのような慈悲のお心を‥‥」
ひざまづいた男は、意外そうな表情でA66の顔を見上げた。
A66は髪を島風になびかせて口元をゆるめている。
「使えそうならそのまま飼えばいいし、使えそうもなければお前たちの殺しの練習台にはちょうどいいだろう?」




