38 最高の二人
裸のお付き合いを終えた翌朝。
オーガンジー生地を使ったドレスを前に、セナは固まっていた。
非常に細い糸を使い平織りした生地。透け感と柔らかさを併せ持ち、女性を彩るには最適だろう。色は優しく燻む紫か。グレーが混ざっている様に見えて、かなり落ち着いた色合いだ。
「アーシア……これ、なに?」
「腰回りと胸は少し合わせないといけません。しかし流石セナ様。昔の私の記憶など当てにならなかったですね。これほどに見事な体型など、ヒト種では考えられませんから」
非常に細いウエスト。それに反して胸は大きい。そんな身体のあちこちに手を当て、採寸を繰り返している。仕立ての出来る侍女何人かで一気に修正へと入っていった。恐らく、ほんの僅かな時間で完成してしまうだろう。
「じゃなくて。分かってるでしょ」
「もちろん本日の衣装です。セナ様であれば王城内を平服でも構いませんが……やはり外聞もありますので、どうかご容赦ください」
「ええ……?」
いぜんに訪れた時はそんな事求められなかったけれど? そんな反論を唱えようとした瞬間、オーフェルレム聖王国の王女が言葉を重ねていく。
「前回はたった三日も逗留せず、しかも殆ど夜間しか外出されませんでしたね。あの頃の私は子供で、後になって気配りの足りなさを後悔していましたから。ですので、今回はしっかりとお世話致します」
長い台詞だが、ピシャリと反論を許さない空気を纏う。
その勢いのままに耳飾りを吟味し始めて、それも付けるの?嘘だよね?と言う抗議はバッチリ知らんぷり。更には口紅的な何かが視界に入った気がする。
そんなヤバいものを幾つか見つけてしまい、内心で慄くセナだったが、もはや勝敗は決してしまったのだ。だって、テキパキ動き回るアーシアは一見無表情で、しかしキラキラした瞳は隠せていない。
異世界日本で言う化粧下地やファンデなどもあったが、セナは詳しくないためによく分かってなかった。きっとそれで良いのだろう。
「さあみんな。セナ様がお待ちです」
残った手すきの侍女を集め、アーシアは宣言を行う。
「待ってない……」
「相変わらず照れ屋さんですね」
「アーシア……?」
「まずは髪から」
「ちょっ、聞いてる?」
「ふふ、ふふふ……」
◯ ◯ ◯
軽い生地で、動き易さも考慮されたドレスだ。普段着では流石にないが、暫くしたら気にならない程。スカートも裾が長いため、パンツスタイルが日常のセナも慣れて来たのだろう。
しかし本人以外が見れば、印象は大きく変わって見えるものだ。
大人びたセナだから、女性らしい線が綺麗。エレガントな空気は隠せないし、黒エルフ独特の肌が落ち着いた雰囲気を強めた。内心を示して長耳がフニャリと萎れているので、ちょっとだけ子供っぽさもあるのが不思議だ。
「こんなの久しぶりに着たよ」
「凄くお似合いですよ? もし舞踏会であれば、男性方は誰一人として放っておけないでしょう。間違いありません」
アーシアは目を細め、憧れの女性が直ぐ横を歩く事実を噛み締める。幼い時に会っているが、下手をしたら一生かけても再会が叶わなかった相手なのだ。オーフェルレム歴代の中でも、幸福な世代に数えられるだろう。
今朝は城内の案内をしており、懐かしかったり新しくなっていたりと、セナも楽しんでいる。
「セナ様。あの先を曲がれば」
アーシアのゆっくり丁寧な言葉がハタと止まった。ん?と横を見たセナだったが、止まってしまった理由を直ぐに察することになる。
"あの先"の向こう側から荒々しい足音。おまけに若い青年らしき声まで。
「ロッタ! 何故いつもいつも早く言わないんだ! セナが……セナがここに来ているなど! どんな話よりも大事だろうに!」
「レオアノ殿下。今日は聖王国近代史を学ぶ日で御座います。お呼びした教導者を置き去りにするなど、礼を失する態度は好ましくありません。アーシア様が知ったならば、どれ程お叱りを受けるか」
「あ、後で教導は受けるから、アーシア姉様に言うなよ!」
「! 走るのはおやめなさい殿下! 角はあぶ」
ポニョン、あるいはフニャン。
そんな音など鳴らないが、レオアノの頭の中に間違いなく響いた。その擬音のままの柔らかな感触、艶が見えたと錯覚する香り、そして続いたのは懐かしい声と物理的な衝撃だった。
「わ、わあぁ⁉︎」
セナからしたら、曲がり角の向こうから突然に現れ突撃して来た何か。当然にその物体は走り出したオーフェルレムの若き王子であり、記憶よりもずっと大きくなっていた。とは言え頭一つ分は低い身長だから、ちょうど顔が胸に埋まる様な高さだ。
「わぷ」
「イタ!」
その衝撃でセナは後ろ側に倒れ、両手とお尻をついた。それに覆い被さるように抱き付いたままなのが「わぷ」と喜色が混じる声を上げたレオアノだ。オマケに、思わず手を出したため、右手は黒エルフの大きな左胸を鷲掴み。
「殿下!」
「レオアノ!」
ロッタの心配そうな声とアーシアの小さな怒声が床に投げ出された二人に届く。
そして暫くは無言の時間。
見事な双丘の真ん中から、レオアノは恐る恐る顔を上げた。当然に、埋まったのは右手だけでなく、赤くなった顔もだ。そんな自分の状況を理解しつつも、その余りに魅力的な場所から動けない。いや、動かないのかも。
「セナ……」
「吃驚した……怪我はない?」
「セナ、会いたかった……本当に会いたかったんだ!」
「うひゃぁ! く、擽ったいよ!」
右手はそのまま……じゃなく僅かに揉みしだいているような気がする。その証拠に、セナは擽ったそうに身を捩っていた。だが組み敷かれる様な体勢のため、なかなか動きづらいようだ。
「セナ! セナ! セナァ‼︎」
「おお重いって!」
「何で直ぐに来ないんだ!」
その痴態にアーシア達は固まっていたが、余りの無礼に顔色が悪化した。そもそも城内を歩く淑女へ抱き付き、あまつさえ顔や手を胸に埋めるなどセナでなくても許されない。ドレスの裾は捲れ上がり、蠱惑的な太ももまで露わになっていて、あと少しで下着さえ見えそうだった。
「ロッタ! 何とかして!」
「は、はは! アーシア様!」
ロッタも動けなくなっていたが、アーシアの怒りに身体が反応する。未だに聖王国の大恩人を組み敷いたままの王子を引き剥がし、続いて扇情的な姿のセナから視線を逸らした。
「は、離せロッタ!」
「なりません! 落ち着きなさい!」
「セナがそこにいるんだぞ! これが落ち着い……て、られる、わけ、が……」
レオアノの赤ら顔は白くなり、そして青くなった。唇に至っては紫色に近いかもしれない。立ち上がるためにセナへ手を貸しながら、憤怒の視線を自分に向ける姉がいたからだ。
「……レオアノ」
「は……はい」
「貴方、何をしたか分かっているの……? どうやら今まで甘やかし過ぎたようね」
今までが甘かったのなら、自身が体験してきたアレ等は何だったのか。しかし、震える身体と唇は言う事をきかず、声にも態度にも現れない。そんなレオアノは一歩二歩と後退し、イヤイヤと顔を振っていた。
「何というセナ様への不敬。こうなっては一から教育のやり直し……いえ、この際多少の無茶も」
物騒な台詞をブツブツと呟き、アーシアはゆらりと弟へ近づいていく。
「さ、さて、近代史の教導の時間だ」
「ロッタ。逃がさないで」
「はっ」
「う、裏切るのかロッタ!」
「はて? 何のことやら」
「レ・オ・アノォ!」
「ギャー! 謝ります! 謝りますから姉様!」
「謝るのはセナ様にでしょうに! 今日は絶対に許しませんよ!」
弟の両頬を抓り上げる姉。手加減など全くなく、レオアノの悲鳴が廊下に響き渡った。因みに、両腕をロッタに拘束されているため、アーシアからのお仕置きを無防備に受け続けるしかない。まあ誰も同情などしないが。
ミョーンと信じられないほどに伸びる頬。その分レオアノの悲鳴も伸びて、涙まで滲んでいるようだ。
「ふ、ふふ」
「「……?」」
背後から聞こえた小さな声。姉弟は不思議そうに振り返った。
「ふふ、ハハ、ハハハハ! はーっ、もー可笑しい!」
その笑い声は次第に大きくなって、黒エルフが腹に手を添えているのが見える。我慢出来ないのか、プルプルと長い両耳まで揺れる始末だ。
「サイコーだねキミたちは!」
セナはそう言うと、二人を抱きしめた。アーシアまで大きな胸に埋まったが、余りの驚きに動けない。いや、かなり幸せで、それを噛み締めているのかも。レオアノに至ってはムフーと鼻息が荒くなっているようだ。
「大きくなったね、レオアノ。アーシアも昔みたいに御転婆さんな感じが懐かしいよ」
成長したレオアノはもちろんだが、アーシアの暴れっぷりもセナには非常に好ましいのだ。幼い頃から変わぬ切れ味鋭い頭脳が目立っていた。それでも、今の淑女然としたアーシアも素晴らしかったが、やはり性根は一緒らしい。
だから抱き締めたまま、セナは更に力を込めた。この聖王国に来ると、いつも懐かしい気持ちを思い出させてくれる。それが嬉しい。
一方、鼻と口が埋まっているアーシアは呼吸が心配だ。レオアノは……言及する必要がないだろう。
「セナ様、そろそろ」
「ん? あ、ごめんごめん」
さりげないロッタの言葉で、姉弟がそれぞれ違う意味で赤くなっているのに気付いたようだ。二人を胸元から自由にすると、セナはニコリと笑った。
「「……」」
「あれ? アーシア、そんなに苦しかった?」
「い、いえ、だ、大丈夫です。そ、それよりも!」
「ん?」
「レオアノの無礼、何とお詫びしたら」
「まさか態とぶつかって来た訳じゃないでしょ? 気にしない気にしない」
「そうじゃなく、いやそれもありますが、あの……男性が女性の、む、胸を」
アーシアからしたら、何でセナがポカンとしているのか理解出来ない。未婚の女性の胸をみだりに触り、しかも愛撫さえしたように見えたのだから。聖王国の女性であれば、悲鳴を上げてビンタの一つも返している。
「あ、あー、なるほど」
一方のセナはやはりピンと来ない。自意識の性別、その違いが大きい。しかし説明も出来ないので困ってしまうのだ。
「えっと、ほら、レオアノはまだ子供だし、気にしてないよ、うん」
好きな女性から"まだ子供"と言われた男は何を思うのか。
その台詞を聞いたレオアノは思い切りショックを受け、そのまま項垂れる。ガクリと両手両膝を床につくと、暫く動けなくなった。その様子をみたアーシアは、結果的に罰を受けた弟に……ちょっとだけ同情した。




