27 黒のカード
人混みの中を抜けてドティルは角を曲がる。それだけでも歩く人の数が減ったので、目的地までの邪魔は少ないだろう。
本当はもっと早く訪れる筈だった。
だが、冒険者ギルドより指名依頼が入った事で一気に忙しくなったのだ。依頼が入り、さあ行きますかとはならない。情報収集、入念な準備、体調管理、パーティの招集などなど、聖都レミュを出るだけでも大変だ。
ドティルが所属するパーティは、実力的には中堅というところか。普段ならば自ら依頼を吟味していたが、まさか直接指名が入るなど予想外。喜びと困惑が同時に襲い、暫く固まったほどだ。
「それもこれも、全部セナのおかげだからな」
目的地である店舗は家にしか見えない。空色した窓枠と扉は可愛らしく感じられて、住まう者を想起させてくれた。妖艶な姿に反し、彼女は不思議な幼さと純粋性を纏うのだ。だから、昔話に出て来そうな建物も似合っていると思う。
「……占術師セナ。ここで間違いないな」
小さな木製の看板を読むと、年甲斐もなく胸が高鳴った。この扉を潜ればあの黒エルフの女性が居るのだ。ジワリと手汗を感じ、まるで初恋に翻弄される餓鬼みたいだと笑うしかない。
「よし」
カランと乾いた音。押し込んだ扉は思ったより軽い。
「お邪魔……ん?」
視線の先に丸い何かがある。その丸いものは凄く柔らかそうで、フルフルと少しだけ揺れていた。
「……セナ」
「え? あ、いらっしゃい」
セナは四つん這いで玄関側にお尻を向けていた。ドティルの震える声で来客に気付いて起き上がった様だ。スカートで無かったのは幸か不幸か。膝下まで伸びた裾のパンツスタイルで下着は全く見えない。いや、体にピチリと張り付いていたから、線が薄ら現れていた気がする。僅かな時間だが、穴が開くほどに凝視したドティルだから分かるのだ。
別に罪などないだろうに、非常に悪いことをした気がする。セナが男の卑猥な下心に気付いていないのもあるだろう。意外に鈍感なんだなとドティルは何故か嬉しかったりもした。
「あー、何をしてたんだ?」
「ん、ドティルさんが来るって聞いてたから掃除してたんだよ。そしたらちょっと物を落としちゃって」
「そ、そうか」
何が落ちたか知らないが、ドティルはよくやったぞと内心で喝采を送る。まさかあんな扇情的な姿勢を見れるとは、今日の幸運を使い切ったかもしれない。
「どうしたの? 何だか緊張してる?」
両拳を天に突き上げ、それはキミの所為、いやおかげだぜ! そう大声で叫びたかったドティルだが、流石にグッと我慢した。セナの橙色の瞳は疑問に思っていると分かるので、ドティルに罪悪感と背徳感が同時に襲って微妙な気持ちだ。
「いや、ははは。前は酒も入ってたし、ちょっと久しぶりだからかな」
「へー、ドティルさんにもそんな繊細なところがあるんだね」
「おいこら! どういう意味だよ!」
「フフ、ごめんごめん。さ、座って。私は準備するから」
「お、おう」
今日は占術を受けに来たのだ。
以前の占いのお礼を兼ねており、何よりもセナに会いたかったのが大きい。あの出会い以降は顔も合わせていなかったのだが、酒場の親父に言付け出来ると分かって即座に頼んだ。そして今日、お店に足を運ぶことになったわけだ。
「セナは此処に住んでるのか?」
「うん。上が寝室で、一階にはお風呂もあるんだよ? 凄いでしょう」
「へー……」
手際よく占術の準備を進めつつ、彼女は想定より多くを語ってくれた。と言うか、あまりに明け透け過ぎないかとドティルは思う。寝室、お風呂……セナの寝姿や裸身も思い浮かべてしまうのも仕方ない。これだけ綺麗な女だから、男の本性も知ってるだろうに、と。それだけ心を許してくれているのだと、ドティルは空でも飛べそうな気持ちだ。
「これ、土産だ」
「お土産? いいの?」
「勿論だよ。以前の占術で良い稼ぎになったし、何よりも最後に貰った革紐だ。あの赤い紐があって助かった。あれは本当に」
「わ、焼き菓子だ! 最近甘いものに飢えてたんだよ! ありがとう!」
ちゃんとお礼を伝えたかったのだが、当の本人は気にもしていない様だ。むしろ態と聞き流したのではと思ってしまう。
「セナ、聞いてくれ。キミに貰った革紐だよ。だから感謝を」
「気にしないで良いって」
「あ、ああ」
なんだ? そんな風にドティルは思った。明らかに話題から逃げている。だが、特に避ける理由もない筈だ。
どれだけ些細な結果だとしても、関わったと記憶に残したくない。むしろ忘れて欲しいのだが、ドティルに分かる訳もなかった。
"揺り戻し"を酷く恐れ、それでも人の危機を見てしまう。そんな矛盾をセナ自身も理解している。なのに占術を捨てることも出来なかった。束縛から逃げる為に身につけた技は、今や彼女を縛っているのかもしれない。
「それじゃ……ドティルさん、今日は何を占いますか?」
「そ、そうだな」
色々話をするとしても、まずは占いを終わらせてしまおう。その方がセナとの会話を助けてくれるはずだと、気持ちを切り替えた。
「実は、請けるべきかどうか微妙な依頼があってな。まあ指名依頼なんだが、断ることも出来る。定番の討伐系で、その内容は難しくない。ただ、その場所が引っ掛かってて、俺たちのパーティで大丈夫なのか不安があるってところだ」
「なるほど。指名依頼を断るとギルドに対して心象が気になる、か」
「流石だな。その通りだ」
「ギルド側もドティルさん達ならと依頼を出した訳だもんね。うーん、でも占いなんかより、皆としっかり話したほうが良いと思うけど」
「おいおい、占術師であるセナがそんなこと言うのかよ」
「あ、あー、うん。まあ確かに」
「ん? 良く分からんが俺はセナを信じてるぜ。だけど、そもそも占術ってそういうものだろう? 大体キミの占いだけで決める訳じゃないし、当然パーティ内で話すよ。この占術はきっかけになればいいと思ってる」
占術に運命の全てを委ねるバカはいないだろう。無形であり保証もなにもないのだ。まあ空級や星級などの超実力派のクラスを除けばだが。あの連中に依頼すると、待たされるし何より高額に過ぎる。
つまり、街中で簡単に依頼出来る様な占術は、あくまで験担ぎや運試しに近いのだ。
「そっか、分かった」
セナも理解したのかコクリと頷く。サラサラと長耳に掛けてあった金の髪が揺れ落ち、ドティルの目を惹いた。
「じゃあ依頼内容を話してくれる? あと、契約上言えないことは必要ないからね」
「ああ。討伐対象は長靴猫、つまりウェリズンなんだが……」
ウェリズン。まるで長靴を履いているような歪な四足を持つ魔物だ。猫に似た巨体を持っており、そして脚が体躯に比べて大きく、その繰り出す攻撃も強力。基本は森に棲息しており、たまにヒト種の生活圏に現れる。一頭ならば中堅のパーティで討伐可能だ。
「うんうん。続きをどうぞ」
「場所はレミュから近い。ただ、そこは"囁きの森"なんだ」
「囁きの森、ね」
「やっぱり知ってるか」
「一応は黒エルフだし」
「そっか、そうだな。すまん」
「謝ることないよ。私自身に関係なかった事だからね」
「……古代の大戦で、エルフ族が多く犠牲になった森。奇怪な現象が起こり、通常より魔物も賢く強力になると言う。ヒト種の間ではエルフの呪いだと噂される場所だ。世界中に何箇所かあるらしい」
「戦死したエルフの亡霊に囁かれ道を迷わす、だっけ? 確かに気持ち良くない森かも」
「ああ。俺達も入ったことはあるんだが、浅い所ばかりだったからな。今回はどこまで潜るか分からん」
少しだけ不確定要素のある場所で、倒すこと自体は可能な魔物を討伐する。自信過剰な冒険者ならば無謀にも飛び込みそうな依頼だ。ましてや指名依頼となれば断る方がおかしい。しかしドティルは慎重に考えている。それだけでも大半の冒険者達とは一段上と言っていいだろう。
「その森自体の難度は大丈夫?」
「それは問題ない、はずだ。俺達以外にも向かってる連中はいるし、未踏の森って訳でもないしな」
「分かった。じゃあその依頼に予想外の危険が潜むか、そして請けるべきか否か、それを占えばいい?」
「ああ。頼むよ、セナ」
「りょーかい」
テーブルには赤く染められた敷物。光沢もあり、かなり高級な織り物だろう。そしてそっと置かれたのは真っ黒な背面のカードたち。灯りに照らしてよく見ると、かなり細やかな模様が描かれていた。黒一色ではなく、硬質な感じは紙とも違う。
「あの石じゃないのか?」
「酒場の時の? あれは簡易的なやつって言ったでしょ。こっちが私の本当の占術だよ。まあ、やってる原理は一緒なんだけどね」
魔力或いは精霊力を込め、占う。ただ、媒介であるこのカードは非常に珍しく、特別な材質で出来ている。一見では誰も分からないが、セナだけは知っていた。
「今からカードをシャッフルするから、ドティルさんは"囁きの森"と"ウェリズン"、それと"仲間達"を意識しておいてくれるかな。カードから視線は逸らさない様に、出来るだけ強く思い描いて」
「お、おう」
以前の酒場でも、今までも、セナとの会話は軽く楽しかった。だが、目の前の黒エルフからは、鋭い視線と独特の空気感が届く。ドティルには分からないが、一般的な常識を上回る魔力が漂い始めたのだ。
「じゃあ始めるね。先ずは、左右を選んでくれるかな」
艶々した爪が映える細い指。カードをそんな手に持ち、セナの占術が始まった。
8話に登場したドティル再びです。彼にはもう少し頑張って貰う予定。




