❺始まりの地
信じられない程あっさりとオーフェルに到着してしまった。
夜にレムを出発したときの決死の覚悟は何だったのか、レオナは今もよく理解出来ていない。
セナが行使した精霊魔法のお陰だと分かるのだが、世界には此処まで隔絶した力があるのかと、呆れたのが本当かもしれない。オーフェル=レム周辺はヒト種ばかりなので、出会った黒エルフがセナだけなのも大きいだろう。
街道は当然使わなかったが、点在する林などを経由しつつ、魔物にも殆ど見つからなかった。いや、姿が見えないのに矢を放っていたから近付くことさえ出来ていないのか。
セナ曰く、この辺りの森は精霊も少なく、惑わせるような存在がいないからと聞いたが……そもそも精霊使いのセナが、彼らに惑わされるのか疑問を抱いてしまう。
「精霊は決して味方なんかじゃないよ。もちろん敵でもないけど……何でも好き放題にしていいって事じゃないんだ」
まあクラウは別だろうけど。そんな呟きはレオナに届かなかった。
「黒エルフの皆がセナさんの様な強者ばかりなら、ヒトは何故世界に拡がっているのですか? ずっと昔、エルフと戦争になったと聞いた事があります」
ましてや彼等は、ヒトから見て永遠に等しい寿命を持つのだ。
「うーん。まず黒エルフは殆ど外の世界に興味がないからね。それと妊娠率がとんでもなく低いから、子供もそんなに生まれない。余り性欲も強くなくて……ごめん、今のは余計は話だった」
他人事のような話し方が少し引っ掛かったが、レオナは色々と気になってしまう。あと性欲とか、そもそもの性生活とかも。まあ聞けないが。
「でもセナさんは?」
「えっと私は……例外中の例外だから。あとエルフも黒エルフほどじゃないけど大体同じかな。ヒトから見たら変わった連中だよ、うん。で、戦争だけど、ホントのところは大戦になる前に終わったんだ。だから小競り合いは沢山あったけど、本格的に戦った訳でもない。流石に私も知らないくらいの大昔だね」
実際にはヒトにも信じられないくらいの強さを持つ者がいて、その代表格として"勇者"が存在した。あとは種としての繁殖力が違い過ぎる。セナの元の世界の知識から言って、エルフや黒エルフはそもそも単純に勝てない。そう、もし全面戦争になれば絶滅するのはエルフ達だ。
「なるほど……あ、セナさん、あそこから入ります」
「排水用の管? かな」
「オーフェルは水が豊富なので、使い切れなかった余り水ですね。なので下水ではありませんよ」
「そっか」
ヒト一人が四つん這いで入れる程度の歪な丸い管に見える。恐らく石を積んで作られた古いものだろう。当たり前だが、通常の門は使わずに裏から街へと出入りするようだ。
「んー、直ぐに見つかりそうだけど……」
「その通りですが、無数にあるので。我等は把握していても、レムや他の街の者には無理だと思います」
オーフェルの地下と外周に渡り、蜘蛛の巣のように張り巡らされている水路の類い。製作された時代も新旧入り乱れ、詳細な情報に乏しい。ましてや戦時下と同じ今では、知識を持つ者の大半が脱出しているだろう。体制側がオーフェルを攻略出来ない理由の一つがこの水路群だ。
「でも念のため私が先に入る。よい?」
「はい。道筋は指示します」
「じゃ、行こう」
周囲を警戒しつつセナは腰を落とした。両手を地面について、両膝も同様だ。ローブが邪魔な上に汚れてしまうが仕方がない。這いながら水路に入って行くのを確認し、レオナも続く。顔を上げたらセナの大きなお尻しか見えない。ローブに包まれていても、その形はよく分かった。
レオナは思わず暫く眺め、ブルブルと頭を振って俯くようにする。どうしたんだろ私と内心で戸惑いながら。
「向こうに分岐が見える」
「あ、左でその次が右です」
「了解」
ズリズリと進みつつ、時折顔を上げるレオナがそこにいた。
◯ ◯ ◯
「レ、レオナ! 無事だったのね!」
「レオナ!」
「帰って来た!」
「良かった……本当に……」
地下水路を這い回り、漸く地上に戻った先で待っていたのは、オーフェルの住民達の心からの喜びだった。
這い出たローブ姿を見た時は殺気立ったのだが、手を借り次に現れたレオナに空気が弛緩した。大勢に揉みくちゃにされる彼女を遠巻きにしつつ、セナも隠した顔を緩ませる。予想はしていたが、それを遥かに上回る人気振りだ。
これでは体制側も躍起になるしかないだろう。こと住民の支持率で言えば、著しい程の差がある。
そんな事を考えながら、セナは周囲を観察した。
まず言えるのは、噂話や流れてくる情報など全く役に立っていないこと。高度な情報社会と言われた元の世界ですらあのザマなのだから当たり前かもしれない。
オーフェルは治安が崩壊し、荒くれ者が集まる街と聞いていたが……見渡す限りそんな空気はなかった。
何より目に付くのは沢山の子供達。戦時下でよく見る感情を失った目はなく、誰もがキラキラと光を放つ瞳を持っている。皆がレオナを幸せそうに眺め、次は私だと抱き付くのを待っているのだ。
体制側は解放と治安維持を根拠にしてオーフェルを狙うが……恐らくそれは真実を知られたくないだけ。
やっぱりこの世界の情報伝達は当てにならない。まあそれがあるからこそ珍しい黒エルフもレムで過ごせるのだが。こんな光景を暫く見れてなかったし、最近忘れていた幸せな気持ちになれて、セナはレオナに感謝しているくらいだ。
ちょっとお祭りみたいな雰囲気が続き、ひと段落したのかヒトの集団からレオナが這い出して来た。少し疲れ気味なのが可笑しい。
「セナさん、すいません。ずっと待たせてしまって」
「大丈夫だよ」
レオナが慌てて謝罪する様子を眺め、周りから一体誰なんだと不穏な空気が流れた。それを理解したレオナが皆に説明していく。
「レムで一人になったところを此処まで送り届けてくれたんです。こんな私を助け出すため、誰もが身を挺して……そうして必死の想いで逃げていたら、偶然このセナさんに」
おお……! そんな感嘆が周囲から漏れる。
なんて事だと仲間の犠牲を知り、そしてそれでも無事生還したレオナ。
表情はローブの所為で全く分からない。しかしそれでも背の高い女性であり、先程聞こえた声からも優しさを感じる事が出来る。
背には一般的な弓と矢筒。腰には複数のポーチとナイフが見えた。誰が見ても冒険者の出で立ちであり、見事依頼を果たしたと思われる立ち姿だ。
「さて、キミの願いは叶った。私は帰るよ」
「え? セ、セナさん」
「あっちに家もあるし、ジャレッドさんも心配してるだろうからね」
「そんな! せめてもう少しだけでも! 御礼も、報酬の話もまだしてません!」
「最初から"依頼"と言ってなかったでしょ。私は知り合ったキミのお願いを聞いただけの、そんな変わり者のお姉さんと思ってくれたらいい。それに、そもそも冒険者じゃないし」
何より報酬を受け取る訳にはいかない。この出会いが"敵対者"としてなのか、或いはただの"偶然"なのか、セナも分からないのだ。カードも使ってないし、未来を知った上で動かした訳でもないが、可能性を捨て切れない。
万が一"揺り戻し"が起きたら、後悔の念に苛まれるだろう。
その為にレオナを気にする事になり、今後も間接的に関わり始めるのだが……今のセナはまだそれを知らず、レオナも当たり前に理解していない。
だから、無償の善意のみで命を助けられて、レオナはその幸運と仲間達に心から感謝するしかなかった。
「そうだね。じゃあ一つだけお願いを聞いて欲しい」
このままで帰せないとレオナが飛び込んで来そうだったので、セナは会話を続けた。
「は、はい!」
「偶に顔を出すから、葉野菜を売ってくれないかな? レムだと手に入らなくて困ってるんだ」
見渡した周囲にお手製の畑が多くある。食料確保のためにあちこちの石畳を剥がし、朽ちた家々も同様だ。家畜も居て、貧しくとも生きて行ける場所。これもレオナ達が話し合って決めた幾つかの施策で、住民達も納得の上で手伝っていた。
「……それだけ?」
「伝手は大切だよ。お願い出来る?」
「それはもちろん大丈夫ですけど……」
「良かった。じゃあ、また会おう」
「あ……! セナさん!」
背中を見せて、セナはあっさりと立ち去って行く。何故かそれ以上引き止める事が出来ず、レオナは肩を落とした。
一瞬静まり返り、オーフェルの住民達も立ち尽くしている。
「レオナ、あのまま行かして良いのか? キミを助けてくれたのは分かるが、この場所を知られてしまったのは良くない。何なら追跡して正体を」
「ダメ!」
怒りを溜め、レオナは振り返った。
「あの方のお名前も、そのお住まいも私は知っています。一晩泊めて貰い、食事まで振る舞ってくれた。私達を陥れるために、そこまでする理由はありません」
「し、しかしだな」
「……セナさんは精霊使いですよ? どうやって捕まえるつもりですか?」
「精霊使い……⁉︎ で、ではエルフなのか! 信じられない、まだレムにいるなんて」
武装した精霊使いのエルフ。これだけで追跡して捕まえるのは至難となる。精霊魔法に精通した者や、魔法を扱う事が出来る熟練者が必要で、それでも確実とは言えないのだ。
「何より……僅かな時間ですが一緒に過ごして分かりました。あの方は、セナさんは凄く優しいって」
そう、恩を仇で返すなど有り得ない。
「それと」
「「「それと?」」」
「セナさんはエルフじゃなく、黒エルフですよ?」
「「「……は?」」」
間章は次で終わります。あくまで繋ぎ的な章なので、あっさりな感じです。




