❶雨の日
過去編と元の時代を繋ぐ章です。
人払いされているのを確認し、頭を隠していたローブから顔を出した。
ヒト種が大半を占めるこの街では、黒エルフは余りに目立つ。冒険者ギルドを訪れるときは、必ずヒトの姿の無いことが条件だ。これはかなり特殊なことで、しかし今のギルドにとってセナの存在はそれだけ大きい。日時を予め指定して、夜半に態々待っていてくれているのだ。
そんな今や顔馴染みになった受付のヒトへ、セナは願いを簡単に伝える。正直心苦しさもあるが、もう決めたことだった。
「セ、セナ様……いま、なんて?」
その受付台に座る担当者が驚きを隠すこともなく、気の抜けた様な声で返すしかない。
本来のレム支部は争いの混乱の中で焼け落ち、酒場のあった空き家を利用して活動を続けていた。これは現支部長の強い意思と拘りによるものだ。独立性の保たれた冒険者の武力は意味を持ち、それを求めるヒトも多い。
受付の女性は支部長の妹で、兄の想いに心から賛同している。だからこそ混乱の続くレムに残って協力していて、セナの要望に素直に頷く事が出来なかったのだ。
「はい。大変な時に悪いですが……冒険者ギルドから抜けたいと。ですので手続きをお願い出来ますか?」
そう。現在世界を見渡しても恐らく最高峰に数えられる冒険者、黒エルフのセナ=エンデヴァルがギルドを辞めると言って来たのだ。
彼女がこのレムに来て約四年が経過しているが、その成果たるや他の追随を許さない。しかも今はソロでありながら、だ。アダルベララの紅弓と精霊魔法により、その戦闘能力と汎用性は頭抜けており、魔物退治においては間違いなくレム最高の冒険者である。
「ま、待ってください。アナタに抜けられると」
「周囲の厄介な魔物は粗方殺しました。最近はそんな依頼も減りましたし、危険な兆候もないはずです」
「それは今だけでしょう! 確かにセナ様の貢献は素晴らしいものですが、だからと言って」
「そもそもこの街の冒険者はヤワじゃありませんよ。現在のレムやオーフェルから離れない、それだけで十分過ぎるくらいです。何よりアナタも、支部長も」
「それとこれとは話が」
「裏から。私に反体制派幹部の暗殺を依頼をして来た者がいます。私は暗殺者じゃない。そう、例え赤と黒と呼ばれようと。敢えて聞きますが、ギルドにそれを止められますか?」
「……不可能です」
「責めている訳でなく……もう、疲れたんです」
「セナ様……」
セナ=エンデヴァルは、その戦闘能力に反してかなり穏やかな精神を持つ女性だ。それは四年もの長きに渡って仕事をすれば明らかで、それでも頼り切りだった。
もちろん冒険者を引退したからと言って、その暗殺依頼が無くなる訳ではない。だが例えばレムを離れるなりすれば確実に減少するだろう。戦乱の最中にあるオーフェル=レム連合都市国家郡では、その能力が余りに有用過ぎる。アダルベララがあれば遠距離から一撃で終わりだ。
実際のところ、セナがこの街を離れることはないのだが……クラウディアと出会わないため、あの未来に決して近付かないため、何より身を隠すのに最適だから。
それでも、名を売るつもりなどなくとも、依頼を達成していけばセナの存在は知られてしまう。それもギルドを辞める理由の一つだ。
だが、最も大きな理由は血の流れる世界から逃げたい、それだけ。疲れたと溢したのは紛れもない本心だった。
「セナ様……何とか思い直して頂けませんか? 先程の話はギルド側も出来る限りの助力を約束します。特別に報酬も引き上げますし、せめて、せめてこの地域が安定するまでは」
だから、ギルドの要望は絶対に届かない。まさか目の前の黒エルフが血を苦手に思っているなど、想像も出来ないのだから。
「ごめんなさい。もう決めたことなので」
橙色の瞳は揺れることもなく、その決意もやはり変わらなかった。
「そう、ですか……本当に、残念です。分かりました。では手続きを」
特殊な魔法を施された手鏡を取り出し、セナに渡す。
そもそもギルドからの離脱に制限など存在しないのだ。命の危険と隣り合わせである以上当然の話で、今までも名だたる伝説的冒険者が引退し、それでも無くならないのがこのギルドである。
「やはりレムから……いえ、寧ろここまで良く続けてくれました。種族の姿を隠しながらなど、不便極まりなかったでしょうに」
「慣れてますから。黒エルフなんてレムじゃなくても珍しい種族ですよ」
「それは確かに。アナタに比べたら遥かに短い人生ですが、セナ様以外に会ったことないですね」
「やっぱり」
フフフと小さく笑い合い、手続きも簡単に終わった。
「それでは。セナ様、今までのギルドへの貢献に感謝します。ご苦労様でした」
気持ちだけは精一杯込める。それがギルドから離れる時の決まりきった定型文であろうとも。
「此方こそ。陰から……応援しています。それじゃ、さよなら」
この後も様々な方面から復帰の願いが届くが、セナが首を縦に振ることはなかった。それは実に約十年近くもの間だ。彼女の固い決意の前に、冒険者セナ=エンデヴァルの名は遠いものへと変わっていく。
それでも、"赤と黒"と"アダルベララの紅弓"は共に語り継がれ、消える事なく後の世へ残り続けた。
◯ ◯ ◯
「どうぞ。座ってください」
「は、はい」
今や街の五分の一に迫る広さからヒトの姿が消えたレムの街中。ある薄暗い借家の一室に落ち着いた女性の声が響いた。間違いなく成人のもので、目に見えるほど艶やか。なのに何処か気弱そうな雰囲気を持っている。そんな、不思議な魅力を感じる声だ。
此処一年程度だろうか、妙に当たる占術師がレムに居ると噂が立ち始めた。
その占術師は濃い茶色をしたローブで顔さえ隠し、等級もかなり低い。さすがに最下級の"土"ではないらしいが、聞けば下から二番目の"雨"。上にはまだ雲、空、そして最高等級の"星"が存在しているのだ。だからかなり安価で依頼が可能だし、占術師組合からも大した紹介が来ない。残るは噂や紹介、口伝てなどになり、殆どは本業にならないのが一般的となる。
ところが、この飾りも大してない一室で、ローブ姿の彼女は占術師一本で食っているらしい。これは相当に珍しい事だ。
「確か、紹介でしたね」
「あ、そうなんです。えっと、私はルーシャと言います。友達のサブリナからアナタの事を聞きまして」
「サブリナさん……ああ、あの赤毛の?」
「え? いえ、黒髪ですが。北部訛りの酷い」
「……なるほど。ごめんなさい、別のサブリナさんと勘違いしていました。改めまして、私は占術師のセナと言います。では依頼について話を聞きますね」
実際には紹介の真偽を問う引っ掛けの話だが、ルーシャは全く気付いていない。知らずに正解を返したことで、信用を勝ち取ったようだ。
「はい、セナさん。よろしくお願いします。えー、依頼は……どうしても見つからない大切な物があって、占術に頼るのが一番かと相談に来ました」
「失せ物探しは占術師の代表的な依頼ですからね。それでは、その探し物の情報を言える範囲で教えてください」
セナは耳を傾けながら、懐から真っ黒なカードの束を取り出した。三つに分け、重ねて、また適当に分ける。それを幾度か繰り返し、シャッフルを終えた。
「ルーシャさん?」
「あ、すいません。珍しい占いの道具だなって。凄く綺麗なカードですね」
「カードは大抵賭け事に使うくらいですからね。でもまあ、これが私の占術なので」
「初めて聞きました」
「私は雨級ですから、期待半分にしてください」
「あら、フフフ。占術師さんがそんなこと言うなんて、サブリナの言う通り面白いヒトですね」
「あー、確かに。で、依頼の探し物ですが」
「ごめんなさいね。探し物は指輪です。別に深い由来のあるものではないですが、夫から贈られた大切なものなんです」
「指輪ですか。その、失礼ですが、旦那さんは」
ルーシャの懐かしむような表情を見て、セナは思わず質問した。これは興味半分などではなく、占術に役立つからだ。そして想像通りの答えが返ってくる。
「このレムでは珍しくもないことですよ。もうそろそろ八年になります、あの人が死んでから。反体制派に協力したとかで捕まり、獄に繋がれてそのまま」
「そうですか……すいません、こんな事を聞いて」
「いえ、占術師ならば当たり前ですから。セナさん、気にしないで下さいね」
体制派の横暴が目に余るのは知られている。だからこそ反体制派の活動は収まらず、今も燻っていた。
指輪の形状や色などの詳細を聞いたあと、セナは占術を始める。手に乗せた長細いカードを横向きにして、ルーシャの前に差し出した。
「カードの端、左右どちらか選んで貰えますか」
「じゃあ……こっちで」
「こっちですね。ではその指輪を強く思い浮かべて、カードから視線は外さないで下さい」
カードの選択した端をルーシャの方に向け、テーブルに置く。そして徐に一枚を捲った。
「逆位置、星、か」
因みに、らしく占術をしているセナだが、カードの種類の意味など余り分かっていない。ただ、何度も練習したり、幾つかの経験からある程度は理解が進んだのだ。何よりも、精霊力を本気で込めれば、明確に視覚的な情報さえ手に入る。つまるところ、それっぽく見せているのが半分の目的だ。
それでも、逆位置が余り良い結果を示さないのは知っていた。
亡くなった夫から贈られた大切な指輪。それを想ったセナはもう一枚捲り、そして僅かな精霊力も込める。それだけで雨級どころか星級にも迫る精度。だが、当人は大して意識してないし、雰囲気に飲まれたルーシャも同様だろう。
出たカードはソードの五。
「……あと六日、何も考えず待つ。その後にお家の周りを少しだけ整理してください。それが幸運を運ぶと、占術ではそう出ました、ルーシャさん」
「は、はあ? えっと、それだけ?」
我が家はもちろん、周辺や近所まで探し回ったのだ。知り合いにも手伝って貰い、それでも見つからなくて、だから此処に来たのに。
「はい」
「……よく分かりました。それじゃ、これ依頼料」
「どうも」
低級の占術師が示す結果を信じるのは自由だが、当たらなかったからと言って残念に思うのは間抜けの所業。星級や空級はともかく、運試しや験担ぎの意味が強い。それは常識なのでルーシャの諦観も別におかしな事では無かった。
そんな彼女を見送ったセナは立ち上がり、そのまま街中へと消えて行った。
六日後。
ルーシャは内心で馬鹿みたいと思いつつ、家の周りをキョロキョロしながら歩いた。そして、何度もひっくり返して探した箱の下から、磨かれた様にキラキラ光る小さな物が見つかる。
底面にでもくっついていたのだろうか。そんな疑いも持ちつつ見れば、間違いなく夫から贈られた指輪だ。
「うそ……確かに探したのに」
両手で包み、もう二度と失くさないとルーシャは誓う。一筋の涙が目元から手の甲へ伝い、その後ポロポロと雨のように降って行った。
同じ頃、冷たい曇天の夜。
レムで珍しくもない、装飾品を狙う窃盗集団のアジトの一つ。そこが僅か一人の襲撃で戦利品の半数を奪われたと、そんな真偽不明の噂が流れる。
そしてその小さな噂も、いつの間にか"雨"の中へと消えた。
占術師
等級分けがされており、下から土→雨→雲→空→星となっている。地を這う生物からより遠く高いものが、占術における等級で高位だ。
冒険者ギルドなどと比べて遥かに小さな組織が占術師ギルドであり、所属する大半は土か雨。文化的に庶民にも浸透しているが、下位占術では当たらないのも普通らしい。では何故廃れないかと言えば、空や星は人智を超えた未来予測を可能としているからだ。占術は決して眉唾な存在でなく、厳然と存在する。
ただ、空以上は依頼料も跳ね上がり、一般的な稼ぎでは一生に一度くらい。星級に至っては国お抱えが当たり前で、庶民はお目に掛かることもない。
そのため、等級が低くとも的中率が高い占術師は、非常に貴重な存在だ。
基本的にはギルドが依頼料、難易度、精度諸々を勘案したあと占術師を斡旋する。
因みに、冒険者ギルドでは直接依頼を禁止されているが、占術師には特別な決まりがない。なのでギルドに所属しないことも可能だが、税や身分証明などの様々な手続きが困難になることから実際には考えにくい。




