(25)それぞれの旅立ちへ
オーラヴから離れて二日目の朝。
「クラウが、エルフが居ないところ」
クラウディアの死の場面には、幾人かのエルフの姿と深い森があった。更には、雪が降り積もるほどの気候の地域も。
セナは"偶然の出会い"などと言う万が一の可能性も消すため、条件から何もかも外すつもりだ。
つまり、あの娘の近くに最も在ってはならない自分自身を引き離すこと。そう、エルフが現れず、森も少なく、寒くない場所へ。
ボンヤリとした思考のなかで、それだけを考え南に向かって歩いていた。
頭の中に絶えず思い出される。最後の別れのとき、クラウディアはこちらに手を伸ばし、必死に叫んでいた。行かないで、連れて行って、と。大好きなクラウの哀しい涙など本当は見たくもない。
それでも……今出来るのは、彼女に嫌われて、そばに自分がいないことだ。
一冬越せば良いと、そんな簡単な条件ならばセナも悩まない。ただ、自分達が長命種であるエルフと黒エルフであることが重要な点になってしまった。これらの種は非常に長い間、容姿に全く変化が起きない。つまり、いつの冬か断定が不可能なのだ。今年なのか、来年なのか、あるいは遥か先の冬なのか、セナには判別出来なかった。
少なくとも、クラウディアが成長し、容姿が変わる程の大人になるまで離れる必要がある。その頃には今の日々も思い出に変わり、別の誰かを愛しているはずだ。
「だから……これで、良い」
クラウディアが自分でない誰かを愛し、その胸に抱かれて幸せそうに笑う。そう願わないといけない。それが分かっていても、そんなあの娘の姿を想像するのは苦しい。
「……自分から別れようとした癖に勝手な話だ。しかも、あんな酷いこと言って」
嫌われるように仕向けたから当たり前だが、セナの心は今もギシギシと軋むばかり。
このままではエルジュビエータの時のように動けなくなってしまう。セナは何とか別のことを考えようと、懐から地図を取り出し眺め始めた。
「寒くないところ……雪も降らないならやっぱり南方だ」
オーラヴもどちらかと言えば温暖な地域だが、地図上で見れば殆ど真ん中辺りに位置している。エルフはかなり広域に分布しているため、全く居ない街などを探すのは相当に難しい。
「そうか……ここなら」
セナも行った事があり、しかも全ての条件を満たしている。
「オーフェル=レム連合都市国家群。長い間内戦を繰り返してるヒト種の街。治安も悪いからわざわざエルフも行かないし、レムの方なら冒険者組合が生きてたはず」
人口は減少の一途を辿っており、脱出する金や伝手のない者が取り残された街だ。片方のオーフェルに至っては、治安維持を行う組織がまともに動いておらず、荒くれ者が集まりつつあるらしい。
反体制派との戦いも悪化していて、夜は外も歩けないと聞いていた。だが、セナにとっては非常に好都合な街になる。よほど油断しなければ遅れを取ることはないし、仕事だって選ばなければあるだろう。黒エルフ云々はローブなどで隠せば良く、今までも正体を伏せた依頼は沢山あった。
「……よし」
目的地が決まれば何とか足は動く。
セナは到着後の予定などを決めつつ、種々の思いを巡らせた。無理矢理にクラウディアのことを考えないようにして。エルジュビエータの時もそうしてきたのだから。
◯ ◯ ◯
「クラウ、入りますよ」
ノックはしたが、いつもの様に返事はない。だからシャティヨンはいつものと同じ声を掛け、扉を開いた。
クラウディアは一人暮らしをやめて、シャティヨンの家に住んでいる。それを勧めたとき、文句も言わずについてきた。以前だったら逃げ回っていたことだ。
毎日を無気力に過ごし、ボーっと空を眺める。ご飯は一応食べてくれるし、話せば受け答えも問題ない。つい最近までよく見た眩しい笑顔は鳴りを潜め、代わりに感情の篭らない薄い笑みを浮かべたりしている。
「お湯の準備が出来ました。身体を拭きましょう」
クラウディアは壁際に設けられた窓を開け、肘をついてボンヤリしている。椅子に座っているが足を乱暴に床へ投げ出して、外を何ともなしに眺めているようだ。
「聞こえてますか?」
だが、クラウディアは動かず、顔を背けたまま。
シャティヨンはゆっくりと近づいて、見えなかったクラウディアの顔を覗いた。もう涙も枯れ果てたのか、赤く充血した目を隠しもせず、やっぱり白の姫は動かない。
「クラウ、お湯の」
「……何が悪かったんだろう。幸せだと思ってたのは私だけだったのかな。ねえシャティヨン、セナはずっと我慢してたの?」
「それは……私にも分かりません」
シャティヨンはもちろん本当のことを知っている。以前のあの時も、オーラヴを離れた今も、セナがクラウディアを想っていることを。距離を置いた分だけ、顔を合わせない時間ほどに、セナの気持ちはずっとずっと強いだろう。
セナ=エンデヴァルは最上の戦士に数えられるが、その精神は何処か幼く、純粋で、か弱い。
全てはクラウディアのために、自らを最低の女に仕立て上げ、言い訳一つ言わずに去って行った。一体どれだけの苦悩が襲っていたのか、最後に見たアダルベララは酷く恐ろしく、同時に悲しいほど赤かったのだ。
だが、シャティヨンは約束した。本当の事を話さないと。それがクラウディアの為であるなら、どんな罪だろうと背負うのみ。
「こんな事になるなら、最初からセナの事を知らない方が楽だって昨日は思ったの。でも、もしセナと出会って無かったら、私は私じゃないままだった」
「……今は辛いでしょうけど、少しずつ、セナとの時間も思い出に」
「……なるわけない。そんなのあり得ない。セナとの時間を忘れるくらいなら死んでやる」
「クラウ!」
「だって、だって、死ぬより苦しくて、こんなの耐えられないの。毎日毎日セナが居ないのを……もう、嫌」
その言葉をクラウディアが溢した瞬間、シャティヨンは背筋がゾッとした。それは錯覚でなく、感じる圧倒的な精霊力が証明している。窓の外、ゆっくりと近づいてくるのは「灰色」。間違いない、アレが来たのだ。
「ねえ? 私が白の姫だから悪いの? ホントに皮肉だよね……今日まで何度も願ったけど、セナは帰って来ないし、悲哀の上位精霊も前のように眠らせてくれない。以前だったら私の意思なんて無視してたくせに」
「アナタ、まさか」
「もう、疲れちゃったの。どれだけ願ってもセナは戻って来ない。だから……ごめんね、シャティヨン」
「そんな事が……信じられない……上位精霊を、召喚した?」
彼女の瞳を見て分かってしまった。クラウディアは既に決めていて、自らの意思で悲哀の上位精霊を召喚したのだ。それは願ったのではなく、精霊魔法として。
優しい眠りに囚われて、いつ目覚めるかも分からない。そんな深い灰色へとクラウディアは旅立とうとしていた。
灰色の精霊が、白の姫を抱き締めようとすぐそこまで近づいて来た。あのような精霊を追い返す術などシャティヨンは持っていない。いや、手はあるが、セナが懸念していたクラウディアの危機が近づくかもしれないのだ。
それでも。
シャティヨンは答えを迫られ、今目の前にある"緩やかな死"に対抗するしかないと、そう決断した。
「クラウ! 聞きなさい! セナは……アナタを嫌ってなどいません! 今も、心から大切に想っている! 私は知っているんです!」
閉じ掛けた瞼を再び開き、クラウディアは顔を上げた。
「……どういう、こと?」
「本当にごめんなさい。苦しむクラウを知りながら……約束していたんです。事実を伝えないって」
「話して」
白の姫らしい強い言葉が帰ってきた。生命力に溢れ、皆に見守られた愛し子。そして、最強の精霊使い。
世界を紡ぐ上位精霊さえも去って行く。自らの意思で召喚を解除したのだろう。灰色はすぐに消えて、ようやく通常の空間へと戻った。
「セナはあの日の朝、私のところに」
全ては話せない。それでも、セナに愛されている事実だけは伝えなければならなかった。そうでなければ、クラウディアはまたアレを召喚してしまう。
シャティヨンの話を遮ることもせず、そんなクラウディアはジッと聞いている。
そうして事実を知ったあと……
「そう……分かった。このままじゃ、弱いのがダメなんだ」
青い瞳に力強さが甦る。
「あの時の、アダルベララに恐れを感じる様な私だから。でも、それなら答えは簡単ね。どんな奴が来ても、セナを苦しめる運命ってやつも、全部斬り捨ててやる。それだけの力を手に入れて、もう二度とセナを離さない。どんなに泣いても、どれだけ嫌がっても、抱き締めて、絶対に逃さないんだから」
この時より、白の姫は文字通りの「世界最強」を目指し始める。世界中に居る強者を倒し、絶対的存在である上位精霊を従わせるのだ。セナが言っていた、真名を知れば如何なる精霊も召喚出来る、と。
「シャティヨン」
「はい」
「旅に出るわ。ついて来てくれる?」
「もちろんです」
「私の目的は精霊の全てを従える事。上位精霊……精霊王から真名を奪い、誰にも負けない力を得ましょう。そしてセナを堂々と迎えに行くの。邪魔する奴は誰であろうと斬る。例えそれが、"世界に抗うこと"であったとしても」
「それでこそアナタです。白の姫クラウディア=オベ=オーラヴよ。我が剣でアナタの進む道を斬り開きましょう」
シャティヨンは片膝をつき、首を垂れた。それはまさに、忠誠を誓う騎士の如くだ。
天を見上げ、白の姫は笑う。
「待ってなさい、セナ」
だがそれは花のように咲くものでなく、酷く獰猛で不敵な笑みだった。
◯ ◯ ◯
「着いた……」
通常、冒険者であるセナは入門自体を簡易的に済ませる事が出来る。だがそれでも、内戦が燻る中の主要都市の一つであるレムに入るには苦労すると思っていたのだ。
ところが実際には、想像以上にあっさり街に入る事に成功した。黒エルフであることも特に見咎められず、正直大丈夫なのかと心配になった程だ。
「これは、まともにギルドも動いてないかも」
一応の治安維持組織はいるようだが、体制側か反体制側かさっぱり分からない。いや、おそらくだが、入り乱れた状態だろう。
街に入ると所々に焼け落ちた建物があり、間違いなく無人だろう廃墟も見つかる。灯りが乏しいのは、内側から板などを窓に打ちつけているからだ。
頭までローブを被り、街を歩くセナをジロジロと見てくる連中も多い。顔は分からなくても、女性らしい線を完全に隠せる訳では無いからだ。まあ武装は見えてるだろうし、向こうも実力を測れない相手に突っかかる馬鹿ではない。
「でも予想通り、ヒト種しかいないみたいだ」
そうしてセナは、此処を暫くの拠点とする事に決めたのだ。
この街。
後の"オーフェルレム聖王国"の聖都レミュとして再生するまで、約五十年の時間を要する事となる。
過去編は終わりです。ここまで読んでくれた皆様、ありがとうございました。




