(21)幸せな日々
パチリと目を覚ました。
寝起きは悪い方と思っていたが、それも今はちがう。雨の日も、風の強い日も、精霊たちが騒がしい日だって、クラウディアは気持ち良く目が覚めるのだ。
視界にはキラキラ光る世界。
ある意味比喩でなく、その様に見えたりする。きっと精霊が遊んでいるのだろう。光の精霊や闇の精霊の悪戯かもしれない。
ピョンと飛び起きると、先ずは顔を洗う。水の下位精霊が寒い日も丁度良い温度にしてくれていて、毎日気持ちいい。
セナに叱られるので、お掃除や手入れは欠かさない。たとえ勇気の精霊が心を強くしても、叱られるのは怖いものだ。でも風の下位精霊のお手伝いは内緒にしている。まだ建物の精霊は宿っていないけれど、その時が来たら頼んでみようと計画済みだ。
クラウディアはクンクンと自分の匂いを嗅いでみた。髪の毛も昨日の夜にたくさん綺麗にしたから大丈夫。大丈夫な筈だけど、抱き締められたときに変な匂いとか思われたら、悲哀の上位精霊に心配されてしまうだろう。
「よし」
朝御飯は食べない。此処では。
「今日は……お泊まり」
忘れ物を取りに帰っても構わないが、二人の時間を僅かでも削るのがクラウディアは嫌だった。数日に一回やってくる、セナの家にお泊まりする日。とてもとても大切な日だ。昨日のうちにまとめていた荷物をもう一度確認して、ギューと詰め込んだ鞄を肩に掛けた。
扉を開けて、走り出す。
オーラヴの皆に挨拶しながら、それでも速度は緩めない。村の連中もクラウディアが走る理由を知っていて、微笑ましい気持ちで見送った。
転ぶなよと声を掛けられ、土の下位精霊が気を付けてくれてると返す。躓く様な石ころも、土の凹凸も、彼女が進む先には存在しない。
目的地はもうすぐそこだ。なのに中々着かない。逸る気持ちの所為だと知っていても、こればかりはどうにもならなかった。精霊だって万能じゃないのだ。
あと少しのところで足を止めた。気配を殺し、精霊にも「助けてね」とお願いを忘れない。きっとこれで気付かれないだろう。
「セナ! 来たよ!」
予告なく扉を開け放ち、背中を向けていた黒エルフの女性を視界に収めた。何度も見て、何度も抱き付いたけれど、今でも胸は高鳴る。
「……だからぁ! ノックをしなさいって前も言ったでしょ!」
丁度着替えの最中だったセナは、慌ててシャツを下ろした。
クラウディアは素肌の背中や下着姿を記憶に刻み、ごめんなさいと返事する。まあノック云々を直す気はあまりない。驚いた顔や普段見せない表情を確認出来るのは良いことなのだ。
「まったく……」
「朝御飯は? お手伝いする?」
「もう出来てるよ。向こうにあるから運ぼうか」
「うん」
今日は野菜中心の朝食のようだ。多分つい昨日収穫された新鮮なアレだろう。シャティヨンが届けに来たことをクラウディアも知っている。
生野菜だけでなく、火を通したものもあった。肉好きお嬢様のために腸詰も忘れていないようだ。ちょっと脂が苦手なセナなので、腸詰は焼かずに茹でてある。クラウディアもそっちの方が好きだから気分も上々だ。
「美味しそう」
「飲み物はお茶でいい?」
「うん。あ、花蜜は抜きで」
「クラウ……無理しない方が」
「いいの」
セナの真似をして、最近は甘いお茶を卒業しようと頑張っている。まあ大抵は二口が限界なのだが、今日は三口目に挑戦するのだろう。
もう随分前に感じる。月日が経つのは意外に早いもの。
そう。あれは二人のお付き合いが正式なものになった翌日のことだ。クラウディアはセナと一緒に住みたいと願い、長老ザカリアに承諾を得ようと頑張った。
だが、その返答は「ダメだ」のたった一言。
何でと理由を尋ねたら、爛れた生活になると断言された。それは予想された反論だったので、クラウディアは用意していた事実を提示してみたりしたのだ。"巣籠もり"は百歳まで我慢すると。
だが「誰も巣籠もりの事だけを言ってない。そもそも第一声でソレが出るからダメなんだ」と返された。思わずぐぐぐと唸ってしまい、反論が潰えたと思われたとき、白の姫は切り札"同情を誘う"と呼ばれる剣を抜く。
「精霊が優しくなって、今は心配してくれてた気持ちが分かる。最近、寂しいと感じることが増えたよ。前から私だけで暮らすの反対してたし、丁度良いと思わない?」
これでどうだと、クラウディアは隠して胸を張った。ついでに悲しそうな表情の追撃も忘れない。
「なるほど。確かにクラウディアだけでは心配だ」
良い流れだと思った。この瞬間だけ。
「じゃあ」
「シャティヨンの家に部屋を用意させよう。アイツとなら私も安心だ」
「え」
つまり、最初から勝てる戦いでは無かったのだ。
実のところ、当事者の片割れであるセナも一緒に暮らすことに余り賛成してくれない。"こういうのは段階を踏んでから"などと意味不明なことを言っており、ならばと同情を誘ったら、ザカリアと全く同じことを返された。
シャティヨンが一緒に居てくれるよ、と。
この流れは良くないと話を打ち切り、ザカリアを攻略しに行った挙句がこの結果だ。
もちろんシャティヨンが嫌いな訳ではない。寧ろ好きだし、きっと娘や妹のように想ってくれている。剣を捧げると宣言されたときは嫌いになったが、今はそんな感情も消え去った。
だが、セナとの関係を深める上で、シャティヨンと過ごすのは得策ではないと考えたのだ。
そもそもシャティヨンとセナは年齢も近く、友達のような間柄である。色々と余計なことを吹き込まれては堪らないし、何だか恥ずかしい気持ちも大きい。
更には、二人して非常に真面目なことだ。ザカリアが言うところの「爛れた関係」が大歓迎なクラウディアにとって、あのお姉さん達が共謀するのはとても困る。
苦肉の策。あるいは妥協案。
住む場所はそのままで「偶にお泊まりに行く」と言う引き分けを狙った訳だ。それが、今日、色々準備してセナの家を訪れた理由である。
「これはあっち?」
「あ、そうだね。ありがとう」
「ううん」
「よし、これでお終いかな」
美味しい朝食を終えて、片付けも無事に終了だ。片付けなんて後で纏めてすれば良いと、クラウディアはそう思うのだが、セナは食事のたびに食器を洗ってテーブルも拭きあげる。
今はもう慣れたもので、クラウディアもお手伝いが出来ていた。そんな時間も何だか幸せに感じて、最近は苦にならない。
「セナ。早く」
「私も嫌とかじゃないけどさ……ほら、もう少し、お話とかしようよ」
「じゃあ、話しながら」
ポンポンと、クラウディアは壁際に用意されたゆったり座れる長椅子を叩いた。セナから見れば柔らかなクッションの効いたソファに見えるソレ。一人だと大きくて、二人だと狭く感じる、そんなソファ。
セナはご要望に応えてフカフカの座面に大きなお尻を下ろす。そしてお姫様はすぐにセナの膝の上に可愛いお尻を乗せた。横から抱き抱えて貰うような姿勢を好んでいるのだ。
そして、コテンと頭をセナの左肩に寄せる。
「はい、セナも」
「最近甘え方が上手になってない?」
次のご要望はクラウディアの体を抱き寄せることだ。全身を包まれる感覚が堪らなく好きらしい。セナもクラウディアを愛してるから、別に否定などしない。しないが、何やら主導権がズンズン奪われている気がして困惑することが増えている。
「セナもそうしていいんだよ?」
「んー、甘える、ねぇ」
それはかなり難しい。体も精神もずっと歳上なのだ。元の性別から来るプライド的な何かが邪魔をして、単純に凄く恥ずかしいのもある。
セナの腕に包まれ、クラウディアはクタリと力が抜けた。丁度よく目の前に濃い色の肌をした首筋が見えたから、欲求のままに唇を寄せる。擽ったいよと身を捩るのを感じるのも楽しい。すぐ近くにある耳にも悪戯したいが、それは流石に我慢した。以前に怒られたから自重しているのだ。セナは長耳がとにかく敏感だから。
「甘えるの嫌い?」
「そうじゃないけど、よく分からなくて」
「私はセナならどっちも好き」
「……は、ははは」
「いま、胸がドキってしたね」
いつの間にか、クラウディアはセナの胸の谷間に耳を当てている。最初は恥ずかしかったのだが、流石に何度もされると慣れてしまう。鼓動を聞いてると眠たくなって、うたた寝を始めることの多いお姫様。眠ったら時間が勿体無いと、直ぐに顔を起こすのが可笑しい。
「ちょっと悔しいけど……クラウに揶揄われるの、増えた気がする」
「そうかな」
「そうだよ。前のお泊まりの日だって」
「あれはセナが悪い」
「理不尽過ぎる……」
「じゃ、今度はセナからしたら良いよ」
「う……」
「ほら」
青の瞳を瞼に隠したあと、クラウディアは顔を上に向けた。「ん」と小さく唇を突き出し、そのまま動かない。
このままでは歳上としての威厳が……そんな風に思っている時点で勝負に負けていたが、愛する白の姫が瞳を閉じて待っている。何より、自分の気持ちに嘘を付けない。
そのまま口を寄せ、ほんの少しだけ優しく触れる。それを何度か繰り返して、そのうち触れる時間も伸びていった。クラウディアは両手を回し掛け、セナに身体と心を預ける。体重がセナに掛かったが、相手は自分よりずっと軽いのだ。その重みさえも愛おしい。
どれくらいの時間、どれくらい強く、二人はキスしているのか。セナはいつも分からなくなっていく。でも、それで良いと、心から今を噛み締めた。
「あ。お茶の味がした」
「クラウ……それ、言わなくて良いからね?」
◯ ◯ ◯
心は羽ばたき、毎日が砂糖菓子のよう。
恋人同士。
二人の時間。
仲違いは数えるほど。
でも仲直りはすぐ。
互いの唾液が溶け合って、そのまま鼓動を聞き合う。
それ以上は、ない。
それ以上は無くてもいい。
隣にいてくれたらそれでいい。
ただ、それだけで。
それだけで良かったのに。




