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優しい世界が見たいんだ  作者: 川崎殻覇
名取愛人は求めない
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不信感

遅くなってごめんなさい

あの日から世界は一変した、最悪な方向に。


私の血縁上の母親は愛人さんの親と離婚した後少しの間だけ塞ぎ込んでいたが、数日も経つと元の様に戻った。


五月蝿くて眠れない。頭が痛くて仕方がない。…家中が汚くて臭くてたまらない。

…もしかしなくても、愛人さんはこういう状況で過ごし続けていたのだろう。…赤ちゃんの頃の私の面倒と世話をしながら、誰にも文句を言わずやり遂げたのだろう。


私には耐えるだけで精一杯、思わず自分を恥じる。


…愛人さんは何度逃げ出したいと思ったのだろうか…? …私、はもう数え切れないくらいそう思っている。

…もう、全てを投げ出して愛人さんのところに行きたかった。


…愛人さんに会いたい、でも愛人さんには会うことが出来ない。それが一般的に言える常識的な行動だからだ。


常識的な子はそんなことはしない。だって離婚して離れ離れになった兄に会いに行く、そんなことは普通はしないはずだ。

更に言えば私は血縁上の母が不倫して生まれた存在…そもそも私は愛人さんの兄妹として認められるはずもない。


今までがおかしかったのだ。愛人さんが優しかっただけの話だ。

本当なら私は排斥され、放置されるはずだったのに…愛人さんがずっと守ってくれた。


…ただ、愛人さんが義理堅かっただけの話、優し過ぎた話…もしかしたら、本当は…私のことを嫌っていたのかもしれない。


「……本当に?」


それを確かめる術はない、優し過ぎるあの人はきっと本心を言おうとしないだろう。

…多分、そう思った方が心は楽になる。世界中が敵で、味方は自分だけと思った方が損得の感情を構築しやすくなる。


損得の感情で動かれた。それだったのならば私もその感情で動けばいい。ギブアンドテイク、そっちの方が私にとっては楽だ。


「……」


けど、今までの記憶が…楽しかった思い出がそんなことはないと言い切ってしまう。

私は確かに愛人さんに愛されていたのだと、きっと大切に思われているのだと確信し切ってしまっている。


もしそれが違ったら心が徹底的に壊れると言うのに、その繋がりを確かめたかった。私達にも…きっとそういう繋がりがあるのだと信じてしまっている。


あの日々は、決して偽物なんかじゃないのだと、私の魂がそう叫んでいる。


「……たすけて」


助けになんて来るわけがない。それでも私は小声でそう呟いた。


「………たすけてよ…おにいちゃん…っ」


絶対に呼ばない名称でそう呼ぶ。自分で禁じていた癖に辛くなるといつもこうだ。私はいつだって兄に甘えたまま。だって、呼べばいつも兄は私のすぐ側に来てくれたから。


でも、もう兄は助けてはくれなかった。


ずっと、この地獄が続いていくのだろうと、そう思った。…でも、下手に助けが来なくてよかったかもしれない。


…希望なんて持ちたくないのだから。もう、大切なものは全て手から離れてしまったから。

…1人で頑張るためにも、…もう、二度と兄へ助けを呼ばない様に。


「…ぇ?」


突然、ぷるぷるぷると携帯電話の通知音が鳴る。

油が切れかけた機械の様に、首をきしっと軋ませながらその方向を見る。


宛先を見たくない、だって見たら嘘だ。そんなことあり得るはずがない。そんなわけがない。

ここで連絡を入れられたら話が違う。だってそんなのはもうエスパーだ。偶然なんて言葉じゃ片付けられないものだ。


怖い、怖い…もし、これで期待どおりの人が相手なら私はいつ独り立ち出来るようになれるかわからない。

でも、もし、期待どおりの人が相手なら…どれ程心が安らぐのだろう。


「……っ!」


恐る恐る携帯電話を手に取る。

そこには、血縁上の母の名前が書いてあった。


「…はっ」


呼吸が乱れかける。…でも、よかった。これで期待しないで済む。


呼吸を元に戻し、安心したからかため息を吐きながら携帯電話をベッドの上に放り投げる。あんな人の電話に出る必要はないだろう。


着信が消え再び部屋は静寂に染まる。しかしそれも長くは続かない。

また、携帯電話が鳴った。


「…しつこいな」


普段なら一度しか鳴らない電話。血縁状の母は気が弱く、一度着信を拒否すれば二度は掛けてこない。明日にでも直接の口頭で用事を告げる。


無視しようと決めていた。何度掛けられても無駄だ。

血縁状の母の夫と離婚したからか、最初こそは神経を衰弱させていたが今ではその気配もない。


性欲に頭が支配され、自分よりも何歳も年下の男に縋り付いている。その男も血縁状の母にのめり込んでいるのだからタチが悪い。


優しく、煽てるのだ。そうやって優しさに浸ることで自分を保っている。だから最近は気が強いのだろう。


……私に、あの男を父と、もしくは兄と呼べ…なんて言っているのだから。


「…ぉえ」


気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。本当に虫唾が走る。自分に流れるこの血が憎くて憎くて仕方がない。


「…はぁ、はっぁ…!」


息が荒くなる。縋るように目線を再び携帯電話に差し向けた。そこに、何の希望もないとわかっていても、それでも縋った。


「───え?」


……そこに書かれていたのは、兄の名前だった。



夏休み、学生にとっての祝祭。学生にとっての幸福で楽園…終われば絶望に陥るとわかっていたとしてもひとときの幸福はその辛さすらも忘れさせる。


「…でも、なんだかなぁ」


だが俺にとって、休みの日々はそこまで価値を感じない。どうせ家でドラマやアニメを見て筋トレをするだけだからだ。


他の人間の様にそれを心から素晴らしいと言えない。…なんだろうな、俺にそこまで心の隙間がないせいだと思う。


常に目の前のことにしか目がいかない。先のことを考えようとすると苦しくなるから。…それとも、もう見る方向を定めてしまったから…かもしれないな。


「…はぁ、やめやめ。ダルイことを考えると余計に気が滅入る」


大量に出された夏休みの宿題を全て片付け通学用の鞄の中に入れる。これで後顧の憂いはなくなった。言い換えるとやることがなくなってしまった。


「そうだ、愛菜に連絡を入れよう」


随分と連絡を入れて来なかったが、それは愛菜に心の余裕を持ってもらうため。…本当は俺の方から連絡をすぐにでも入れたかったのだが、今回は敢えて愛菜からの連絡を待ってみたのだ。


あの子は優しい。優しいからこそ本当は俺があれこれと関わることを疎んでいるのに断れなかったのではないか…と、そう考えたからだ。


無論、そんなものはまやかしだ。俺と愛菜の絆の深さは誰よりも俺が知っている。…あの子はそんな理由で俺を見捨てたりしない。

けれど、色々と環境が変わっていくのも事実。…悲しいことに、それに愛菜は慣れなくちゃならない。慣れないと生きていけない。


小学生には酷な仕打ちだ。…本当は助けに行きたい。…でも、それは愛菜の成長を、愛菜の存在を信じないということにもなる。…俺だったらそんなことはされたくない。だから今までは敢えて連絡しなかった。


でも、もういいだろう。俺の方が我慢の限界だ。これ以上は無理だ。


あの子だけは幸せになってもらいたい。幸せになってもらわなくちゃならない。その幸せに俺が不要と言うのであれば今すぐにでも死んでもいいが、まずはそのことを確認しなければならない。


ぷるるるる、一度目の送信。どうやら誰かとブッキングしたらしく連絡が繋がらなかった。


もう一度連絡。

ぷるるるる、ぷるるるる。


…随分と長い。まるで相手が電話取ろうか取らないか迷っているかの様だった。

でも、それももうすぐ終わる。愛菜の携帯と電波が繋がった。


『…もしもし、愛人さん…です、か…?』


そして、その違和感に気付いた。


「…何があった。愛菜」

『…っ』


平静を装おうとしているが俺にはわかる。愛菜は今、苦しんでいる。


『な、なんのこと…』

「いや、別に言わなくていい。今すぐそっちに向かう。ちょっと待ってろ」

『…ほ、本当に…何もないんですって!』


愛菜が俺に対して声を荒げた。そんな反応今まで見たことも聞いたこともない。やはり違和感が正しかった。


「何年一緒に過ごしたと思ってるんだ。声だけでもわかる。今、苦しいんだろ? 何かに押しつぶされそうになってるんだろ?」

『…本当に、本当に何でもないんです』


…頑なだ。…わからないわけないだろ、お前のことなら俺が一番わかっている。世界中のどの人間よりも愛菜のことを理解しているのは俺だ。俺だけだ。俺だからこそ彼女の声から滲み出るSOSを嗅ぎつける。

…だが、これだけ頑なだと無理に行っても苦しめさせるだけだ。…別の手を考えないと。


「…わかった。…話を変えようか」

『…はい。…ありがとうございます。────」


小声での呟き。同じ空間にいればきっと聞き取れたのだろうが…電話越しとなると流石にその声を聞き取ることが出来なかった。


そこから先は他愛もない話しかしていない。話し込んでいるうちに徐々に愛菜も声色を元に戻していった。


約束をした。夏休みに一緒に遊ぼうと。それに愛菜は了承した。俺の家に遊びに来ると言ってくれた。…今は取り敢えずそれでいいだろつ。


「…あの家で何が起こっている」


離婚したからと俺は母へと向ける意識を消した。他人となるのだからこれまでの様な意識の配分はしなくてもいいと、脳の片隅で処理するだけの配分でいいと考えていたのだが…少し調べないとな。


その日、俺は改めてあの家に対して不信感を抱いた。…そして、それは膨らみ続ける。

不信感はいずれ疑念に、疑念は更に確信へ。…いつか、俺はその確信に辿り着く。それがいつになるかは今はわからないけれど…それでもいつか、きっと気付く。

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