第三十九章 崩壊の序曲 Ⅵ
シァンドロスが戦場を離脱したのを見届け、コヴァクスと刃を交えていたイギィプトマイオスもあとにつづき、槍斧をかわして、離脱しようとする。
「あ、待て!」
追うコヴァクスであったが、その前に将兵らが立ちふさがり行く手を阻もうとする。
彼らは命を駆けて、シァンドロスらを逃がそうとしていた、数少ない者たちだった。
「どけ、シァンドロスのために命を懸けることはないぞ!」
コヴァクスは槍斧を振るい、行く手を阻む将兵らを打ち砕いてゆくが、その間にもシァンドロスの背中は遠ざかり。
やがては、闇夜の中に消えていった。
コヴァクスがどう言おうとも、彼らにとってもシァンドロスは夢であり、命を賭けても守りたいものなのであろう。
ほとんどの者が士気をなくす中で、イギィプトマイオスが率いた一軍およそ一万ばかりは、劣勢にもめげずよく戦い、そして死んでいった。
バルバロネを討ちそびれたニコレットは軍勢をまとめ、崩れるソケドキア軍にとどめを刺さんがばかりに、討ち払い、薙ぎ払った。
もはや戦にならなかった。
一方的にオンガルリ・リジェカ連合軍、ドラゴン騎士団らがソケドキア軍を追い立て、討ち取ってゆく。
「雑魚にかまうな! シァンドロスを追え!」
コヴァクスにニコレット、ダラガナは将兵らにそう号令し、全速力で馬を駆けさせ、シァンドロスを追った。
ソケドキア軍、いやシァンドロス一行というべきか、そのかがり火が闇夜の中遠くに、ほのかに見える。
オンガルリ・リジェカ連合軍および双方のドラゴン騎士団に赤い兵団は、それを目印に駆けに駆けたが。
追われるほうとて、全速力で駆けている。ことにシァンドロスの愛馬ゴッズは希な駿馬である。
月明かりを頼りに、シァドロスはいつの間にか将兵さえ振り切って、単騎で駆けていた。
「振り切ってしまったか」
シァンドロスは他の者らの遅さに苦笑し、やや速度をゆるめて、配下らを待った。
そうすれば、イギィプトマイオスにバルバロネら近しい臣下らが手勢を引き連れてようやく追いつくのであった。
「遅いぞ、お前たち」
「神雕王のお乗りになるは駿馬なれば、それに比べ我らの馬は駄馬にも等しいものです」
イギィプトマイオスはシァンドロスのそばにこれたことに素直に喜びをあらわし、バルバロネも、
「どこまでも一緒だよ」
とさえ言った。
コヴァクスに暴君と言われたシァンドロスも、近しい者には慕われていた。
「ゆくぞ、ヴァルギリアへ」
今度は、皆息を合わせて駆け出す。その数はもっと少なくなり、三千あるかないかになっていた。
残りは逃げたか、ドラゴン騎士団らを足止めするために戦っているかであった。
ことにドラゴン騎士団らを足止めし、シァンドロスの逃げる時間を稼ぐ者たちの戦いぶりは壮絶なものであった。
何分、多勢に無勢である。
それでも前に立ちふさがり、取り囲まれて剣や槍など、迫り来る刃の餌食になり血まみれになりつつも、得物を振るいながら、討たれてゆく。
「ええい、わずらわしい奴らめ」
ダラガナは思いのほかしぶとい抵抗を見せるソケドキア軍の将兵にやや閉口していた。
確かにほとんどの者は士気もなくなり、ドラゴン騎士団らが迫るや算を乱して逃げ出したが、一部の者たちは固い結束力でシァンドロスを逃がし。
またそのために、死もいとわなかった。
「シァンドロスのために、喜んで死ぬ者があるなんて」
ニコレットもこれには唖然とさせられるものだった。
シァンドロスに、思った以上に人望があることを、このことであらためて思い知った。
だが絶対的な数は少なかった。
コヴァクスは咄嗟の判断で軍勢を割き、リジェカドラゴン騎士団はシァンドロスを追い、これに赤い兵団、そして龍菲が続いたのは言うまでもなかった。
残りはニコレット率いるオンガルリドラゴン騎士団らが当たり。最期まで抵抗をし、シァンドロスのために死のうとする将兵らを討ち取ってゆく。
それは面白いものではなかった。ことに死を覚悟し、死兵となった者たちと当たるのはやはり、損害も多かった。
彼らは少しでも多くを道連れにと全身血まみれになりつつも刃を振るい、ひどいときには相手に噛み付いてでも抗うのだった。
「神雕王、お先にゆきますぞ!」
「神雕王、万歳!」
将兵らは、断末魔の叫びのかわりに、そう叫んで息絶えていった。
ニコレットは息を呑んだ。ここまで壮絶な最期を見せ付けられたことははじめてだった。それはオンガルリドラゴン騎士団らとて同じことだった。
かといって、いまさら情けをかけたとてなんになろう。
ニコレットは心を鬼にして、
「望みどおり、シァンドロスのために死なせよ!」
と、己を叱咤するように、激しい号令をくだした。
オンガルリドラゴン騎士団らも同じく心を鬼にしてソケドキアの将兵を討ち取ってゆく。
激しい戦いのすえに、ソケドキアの将兵はひとり、またひとりと討たれてゆき。
すべての者が、戦って死んでいった。
闇夜の中にそのむくろを横たえて。地を、将兵を染める血が、月明かりにかすかに照らされて、オンガルリドラゴン騎士団らに見せ付けられる。
オンガルリドラゴン騎士団ら、ニコレットは勝ったという喜びよりも、シァンドロスのために命を賭けた将兵の戦いぶりと、その最期に、身震いするほどの壮絶さを感じてならなかった。




