58.マリアナ沖海戦2
昭和15年(1940年)11月中旬 東京砲兵工廠
「おお~、そうかぁ。99式魚雷が成果を挙げたんだな。よかったじゃないか、正三」
「……うん、あれには苦労させられたからね」
後島が魚雷の成果を褒めると、中島が遠い目をしながら応える。
川島からマリアナ沖海戦の話を聞く中で、航空魚雷による攻撃が、まず戦果を挙げたという。
その魚雷こそが99式航空魚雷、中島が全力を挙げて開発した、音響誘導魚雷だ。
その機構や性能は、史実ドイツのT11型誘導魚雷 ”ツァウンケーニヒ2”に近いだろう。
(実際に使われたのはT5型で、T11型はその改良版。活躍する前に終戦)
動力にはバッテリーとモーターを使い、さらにスクリュー音を追跡する音響誘導機構を備えている。
それを航空機から発射可能なサイズにまとめ、速度35ノット、航続距離5千メートルを可能にしていた。
その分、破壊力は落ちているが、打ちっぱなしでも、ほぼ確実に当たるというのはでかい。
俺たちは30年代に入ってから、この音響誘導魚雷の開発に取り組んできた。
その中で最大の貢献をしたのは、当然ながら中島だ。
誘導に必要な部品を作り、それを制御するアルゴリズムを組み、さらに武人の蛮用に耐えるレベルまで仕上げるのだ。
その苦労たるや、並大抵のものではない。
それが戦乱の雰囲気たかまる昨年になって、ようやく完成した。
そこまで行くには並大抵の苦労ではすまず、中島がノイローゼ気味になったほどだ。
しかしその苦労は報われ、マリアナ沖海戦で見事な戦果を挙げたという。
それを聞いた中島が感慨にひたっている横で、後島が川島をせっつく。
「それで、駆逐艦を仕留めてから、どうなったんだ?」
「ああ、当然ながら、穴の開いた輪形陣に攻撃を仕掛けた。次に標的となったのは、空母と戦艦だ」
ノースカロライナ級とモンタナ級戦艦は、それぞれ速力28ノットと27ノットで、ちょっと空母に随伴するには遅い。
しかしその豊富な対空戦力を見込まれ、無理をして空母輪形陣に加わっていた。
それぞれ5インチ連装高角砲を20門ずつと、多数の機銃も備えているのだ。
その分、輪形陣の速度は落ちるが、猛烈な対空砲火で日本軍機を迎え撃った。
しかし勇敢な日本軍パイロットは、恐れることなく攻撃を敢行する。
まず数十本の魚雷が、空母と戦艦に向かって走った。
そして音響魚雷の驚異的な命中率によって、敵主力艦の船尾付近に、爆発が生じる。
これで行き足を止められた敵艦に、さらに艦爆の250キロ爆弾が降り注ぐ。
さすがに致命傷を与えるには至らないが、敵艦隊は大混乱に陥った。
その優れた生存性により、なかなか沈むには至らないものの、速力はガタ落ちで、運わるく停止する艦も続出する。
音響魚雷はスクリュー音に集まってくるのだから、それも当然であろう。
艦上構造物も、爆弾によって大きな被害を被っていた。
ほんの数十分の間に、敵の機動艦隊はボロボロに打ちのめされてしまう。
しかし日本の攻撃が、それだけで終わるはずもない。
今度は第2機動艦隊の攻撃隊が、来襲したのだ。
すでに制空権は確保されているので、艦爆と艦攻の比率が高い構成だ。
そして眼下には、第1攻撃隊によって、したたかに打ちのめされたアメリカ艦隊がいた。
その多くがスクリューをやられ、停止もしくは低速で航行している。
駆逐艦の中には、数発の魚雷を食らって、早々に沈没した艦もあるほどだ。
しかし第2攻撃隊は一切の容赦なく、獲物に襲いかかる。
またもや数百発の爆弾と魚雷が、アメリカ艦隊に降り注いだ。
その結果、アメリカの空母機動部隊は、ごく一部の艦を除いて、ほぼ壊滅したのだった。
一方、日本艦隊も攻撃するだけでは済まされない。
アメリカ艦隊から放たれた、270機にも及ぶ攻撃隊が飛来したのだ。
その内訳は戦闘機70、爆撃機100、攻撃機100機という、大部隊だった。
やはり最初はF4F戦闘機が飛来したが、これを97艦戦110機が迎え撃つ。
性能で97艦戦が上回るだけでなく、数的にも大きく有利である。
しかも戦艦に搭載された高性能レーダーで、敵の動きを把握し、無線で迎撃指示を出していた。
おかげで20分足らずの戦闘で、F4Fは蹴散らされた。
それにいくらか遅れて、部隊ごとの米軍艦爆と艦攻が、日本艦隊に迫る。
しかしこちらもレーダーと無線による航空管制により、迅速な迎撃が繰り返される。
もちろん、さすがに全てを艦戦だけで討ち取れるはずもない。
ポロポロと取りこぼされた敵艦爆や艦攻が、我が艦隊に向けて攻撃態勢に入った。
それを今度は、猛烈な対空射撃が迎え撃つ。
それは史実のアメリカ軍のレーダー射撃もかくやというほどの、命中率を発揮した。
なにしろ射撃レーダーのデータに基いて、5インチ砲の旋回角、仰角などを計算し、敵機を自動追尾するのだ。
そして日本でも開発した近接信管が、20メートル以内に敵を感知すれば、砲弾が爆発する。
その命中率は、実際に50%と言われても、不思議のないものであったらしい。
史実で”マリアナ海の七面鳥撃ち”と言われた惨劇が、今度はアメリカ軍に降りかかったのだ。
結局、アメリカ軍の攻撃は、日本艦艇には一切とどかなかった。
日本側の被害は、97艦戦が数機、失われただけに留まっている。
その後、攻撃隊を回収した第1・第2機動艦隊は、空母機動部隊と別で動いていたアメリカ戦艦部隊を強襲。
戦闘機の傘もなく、対空兵装も充実していない旧式戦艦群は、日本軍機に滅多打ちにされた。
結果、戦艦13隻のうち9隻、空母4隻のうち2隻が沈没。
その他の巡洋艦、駆逐艦も大打撃を受け、アメリカ太平洋艦隊は事実上、その戦闘力を喪失したのだ。
それは世界で誰もが予想しえなかった、日本海軍の圧倒的な勝利だった。




