57.マリアナ沖海戦
昭和15年(1940年)11月中旬 東京砲兵工廠
「マリアナで日本が大勝したって、本当?」
「お、来たな、正三。まあ、座れよ。俺たちも今から聞くとこだ」
「はぁ、はぁ……良かった、間に合った」
そう言って中島が腰を下ろすと、川島が話を始める。
「さて、みんなも知っているように、マリアナ沖で大海戦が発生した。そこで日本は大勝し、多くの船を沈めたし、多数の捕虜も獲得している」
「でも日本側も、けっこう被害が出たんじゃない?」
「そりゃあ、戦争だからな。だけどこっちの被害は、ケガ人を含めても数百人しかいないぞ」
「ふ~ん、それぐらいなら、大したことないか……それに対してアメリカ側は、万単位で死んだんだよね」
「ああ、5万人以上が戦死か降伏したうえ、グアム奪還のために派遣された陸軍8千人も、捕虜にした」
「うわぁ……6万人の損失って、でかいよね。たぶんフィリピンも降伏するだろうし、これで停戦にならないかな?」
「いや、これぐらいじゃ無理だろう。だけど出だしとしては、上々だ」
「だな。それで戦況は、どんなふうに推移したんだ?」
「ああ、それがな――」
今回、アメリカ太平洋艦隊は、マーシャル諸島を占領してから、堂々とグアムに押し出してきた。
それに対して日本も、グアムに主力艦隊を集結し、迎撃に向かう。
その陣容は、以下のようなものだ。
【第1機動艦隊】
司令官:角田覚治中将
戦艦:大和、長門、陸奥、土佐、加賀
空母:翔鶴、仙鶴、蒼龍(艦戦110、艦攻80、艦爆65、偵察15 計270機)
重巡2隻、軽巡4隻、駆逐艦16隻
【第2機動艦隊】
司令官:山口多聞中将
戦艦:武蔵、金剛、比叡、霧島、榛名
空母:瑞鶴、天鶴、飛龍(航空機 270機)
重巡2隻、軽巡4隻、駆逐艦16隻
開戦時の戦力に戦艦大和と武蔵が、そして空母の仙鶴、天鶴も加わり、格段に強化されている。
戦艦の数こそアメリカ艦隊に劣るものの、その戦闘力は確実に敵を上回るだろう。
ちなみになぜアメリカが戦艦主体で来たかというと、日本の欺瞞工作のせいだ。
日本は大和型戦艦を造る際に、4隻建造することを臭わせた。
実際には戦艦の代わりに、仙鶴と天鶴が造られていたのだが、アメリカはまんまと引っかかった形だ。
これは造船所での隠蔽だけでなく、偽の暗号電文や2重スパイを使って、誘導した結果である。
この世界の日本の諜報能力は、川島のおかげで格段に高くなっているのだ。
そして敵の艦隊を発見する偵察能力も、優れたものだった。
まずマーシャル近海では、隠密性の高い潜水艦によって、敵艦隊の動向が把握されている。
それに加え日本艦隊からは、高性能の偵察機 ”彩雲”が何機も放たれたのだ。
【零式艦上偵察機 彩雲】
長さx幅 :11.2x12.5m
自重 :3000kg
エンジン :中島 誉 空冷星型18気筒
出力 :2000馬力
最大速度 :毎時600キロ
航続距離 :増槽つき5000km
武装 :7.9ミリ機銃x1
乗員 :3名
それは誉エンジンを搭載した、高速艦上偵察機である。
ほぼ史実どおりの性能を、4年も前倒ししているだけでなく、エンジンの信頼性、整備性、生産性も確保されている。
ただし排気量が史実の16%増しになっているので、その分、大きく重くはなっていた。
(誉は栄をベースにしているので、自動的に大きくなる)
これが史実の”誉”だと、世界水準を超える小型・軽量・高出力を求めたため、”数が出ない、性能が出ない、耐久信頼性がない”という3ナイ状態に陥っていた。
(燃料・潤滑油の質低下、熟練作業員の不足など、同情の余地あり。しかしその程度のリスクを、考慮していなかった中島が悪い)
おまけに間抜けな海軍が、中島飛行機の提案を鵜呑みにして、誉を新型機のほとんどに採用したため、その稼働率を著しく落としてしまったのだ。
(飛行中にちょくちょくエンストして、慌てて緊急着陸とか、マジでしてたらしい)
ぶっちゃけ、大戦後期の海軍新型機の多くは、事実上、開発に失敗していたと言って過言でない。
そんなことを起こさないよう、中島飛行機を指導した結果、誉エンジンは別物に生まれ変わったという寸法だ。
さらに彩雲は高性能の無線機だけでなく、対艦・対空レーダーも備えている。
なにしろこの世界の日本は、格段に工業力が高いうえに、イギリスと共同開発もしているのだ。
さらに正三というチート技術者もいるおかげで、航空機に搭載可能なレーダー開発など、とっくに終えていた。
おかげで敵艦隊の位置も、早々に把握できた。
敵発見の報を受けると、角田司令はただちに攻撃を指示。
第1・第2艦隊合わせて、400機以上もの大編隊を送り出した。
これに対し、アメリカ艦隊も偵察機を放っていたが、航空機用のレーダーなどまだありはしない。
もちろんアメリカもレーダーの開発はしていたが、この時期の技術力はさほどでもないのだ。
史実ではイギリスから技術供与を受けて急成長したのに、それが無いからだ。
そしてこのレーダー技術の差によって、日本艦隊が先手を取ったわけだ。
とはいえ、アメリカ艦隊も決して無能ではない。
30機近くの偵察機を繰り出して、日本艦隊を探していた。
やがてその努力は実り、敵も日本艦隊を発見して、即座に報告が飛んだらしい。
これを受けてアメリカ艦隊も、直掩機を除く全機を、攻撃に送り出す。
世界初の空母機動部隊の殴り合いが、とうとう始まったのだ。
まず先陣を切ったのは、第1機動艦隊の97艦戦だ。
敵艦隊を守るF4Fワイルドキャットに、90機の97艦戦が殴りこんだ。
史実よりも開発が早まっているF4Fだが、それでもまだ制式化したばかりである。
最高速度は時速530キロ程度であり、97艦戦の方が50キロも優速だった。
(97艦戦は改良によって、時速580キロに向上済み)
そのうえで運動性も武装も同等となれば、味方の優位は揺らがない。
F4Fはバタバタと落ちていき、早々にアメリカ艦隊上空の制空権を確保した。
そこへ今度は、攻撃隊指揮官に率いられた、97艦爆と艦攻がなだれ込む。
指揮官はレーダーを備えた特別機に座乗しており、部隊の先導と、無線による攻撃指揮に専念する。
その指示に従って、日本海軍の荒鷲たちが、アメリカ空母機動部隊に襲いかかった。
まずは輪形陣に穴を開けるため、外側の駆逐艦に攻撃が集中する。
各目標に対して、3機ずつの艦攻・艦爆が攻撃態勢に入った。
艦攻は低空から魚雷を投下し、艦爆は高空から急降下爆撃を仕掛ける。
当然ながら、敵艦隊からは猛烈な対空砲火が打ち上げられた。
しかしこの時点のアメリカ艦隊には、敵機付近で炸裂するVT信管も、敵機を自動で追尾する射撃装置もありはしない。
1943年以降に登場したこれらの兵器は、最大で50%の命中率を誇ったが、それが無ければわずか1%にも満たないのだ。
そして贅沢にガソリンを消費し、訓練に勤しんだ日本海軍の荒鷲たちは、恐れげもなく敵に突っこんでいく。
やがて敵の駆逐艦数隻に、魚雷命中の水柱が立ち上がる。
しかしアメリカ艦隊の悪夢は、まだまだ始まったばかりだった。
史実の”誉”エンジンは、とにかくチャレンジングな仕様だったようで、当時の欧米メーカーなら、社内の企画提案すら通らないレベル。
(あくまで量産エンジンとして。レース用とかなら成功したかも)
そんなエンジンを量産する実力もないのに、提案をしてしまう中島飛行機もひどいですが、それを大戦後期の新型機の大半に採用してしまった海軍が、これまた相当に痛い。
この大愚行を主導したのが海軍の空技廠で、当時のトップが和田少将(終戦時、中将)でした。
そして終戦後、この人が堀越技師に、零戦の本を書くよう要請したと聞くと、”それって自分たちの失態を隠すために、零戦を祭りあげたんじゃないの?”、と疑える話です。
ただの想像ですけどね~。w




