44.暗号を対策しよう
昭和8年(1933年)4月 皇居
「君たちの大佐待遇と、特別顧問への就任が決まったよ」
「そうですか。ありがとうございます」
「いや、むしろここまで待たせてしまい、申し訳なく思っているほどだ」
「それは仕方ありませんよ。機密情報に接するからには、誰でも慎重になります」
「そうは言ってもな……」
久しぶりの招集に応えて、御前に参じてみれば、俺たちの昇進と、新たな役職を知らされる。
この”特別顧問”とは、国策を検討する会議に出席できる役職である。
具体的には、首相を議長として、陸海軍、外務省のトップを交えた”日本国策検討会議”、略して”国策検”への出席が許されるのだ。
”国策検”とは、第1次大戦後に設置された会議体で、まさに日本の国策を検討する場である。
それは首相の他、外相、兵部相、統合幕僚長、参謀総長、軍令部長が、1ヶ月に一度会合し、情報を共有して、国策を話し合うのだ。
もちろんこれは平時のことで、非常時は必要に応じて開かれる。
これが史実に比べ、どれくらい画期的かというと、もう比べ物にならないほどだ。
なにしろ史実の日本ときたら、海外の情報を得られる陸軍、海軍、外務省が、それぞれバラバラに動いていた。
しかも首相に優越権が認められていないから、その情報が首相の下に集まらない。
そんな状態では、誰も総合的な観点で、国策の策定に関われはしない。
おまけに山本権兵衛のせいで、陸海の統帥権は分裂していた。
つまり陸海はバラバラに軍令を策定し、それを天皇に突きつけるような形になっていたのだ。
まだ明治の時代は、天皇が首相を呼んで、国策の策定に関わらせていたので、マシだったらしい。
しかし時代が下るにつれ、軍部の力は強まる一方で、政府の力は弱まるばかり。
そんな状態で首相が国策を主導できるわけもなく、軍部の暴走を止められなかった。
天皇陛下でさえ、それは同様だ。
まともな情報を与えられないままに、軍の決定を突きつけられていたのだ。
もちろん陛下に拒否権はあるが、それも連発はできない。
そもそもまともな情報を持っていないのだから、全てを理性的に判断できるわけもない。
おまけに天皇陛下ですら、自身を守ることに留意せねばならなかった。
どうやら軍部は、言うことを聞かない陛下は廃位すればいいと、本気で考えていた節がある。
そう、軍部にとって良い天皇とは、自分たちの言うことを聞く天皇でしかなかったのだ。
なんと自分勝手で、恥知らずな思想であろうか。
しかしさまざまな積み重ねで、史実の日本はそのような国になってしまった。
結局、天皇陛下は身の危険に脅えながら、流れに身を任せるしかなかったのだ。
その結果が日中戦争であり、太平洋戦争だったわけである。
ちなみに対米開戦時の軍令トップは、陸軍の杉山元大将と、海軍の永野修身大将だった。
それぞれ、”グズ元”、”ぐったり大将”と呼ばれるような、ひどい軍人だったらしい。
彼らの能力はともかく、その無責任ぶりには目を覆いたくなるような連中だ。
そんな連中にかつがれて、対米開戦に踏み切らねばならなかった陛下こそ、いい迷惑という他ない。
しかしこの世界では、その様相は大きく異なっている。
なにしろ陸海軍は兵部省の下に統合され、統帥権は一本化されている。
そして統帥権は、首相もしくは内閣の補弼によって行使されると、憲法に明記されているのだ。
おかげで陛下も首相も、軍令を国策の一部として、主体的に管理できるようになっている。
ちなみに政治の方はどうかというと、まあまあ穏健な方針が継承されていた。
もちろん人類特有の愚かさからは逃れられないので、質の悪い政治家もいれば、つまらない騒動も起きる。
ただしこの世界では、天皇陛下と元老の権威が、それなりに維持されている。
おかげで史実ほどには国会も混乱しておらず、まあまあ穏健で理性的な内閣が、日本の舵を取っている形だ。
そんな状況で、”国策検”が営まれていたのだが、ようやく俺たちが、そこへ顔を出すことが許された形だ。
ここに来るまでは、長かった。
いかな元老の身内といえど、軍属の若造を国策に関わらせるのには、抵抗が強かったからだ。
俺たちが未来人であることを知る者は、ごく一部に限られていたのだから、なおさらである。
そのため俺たちは、間接的に国策を動かしながら、自らの得意分野で、実績を積みかさねてきた。
俺はすでにエンジンの大家として認められているし、後島は金属材料、中島は電気技術、佐島は化学材料の分野で、それぞれ権威者になっている。
そんな中、ちょっと異色だったのは川島だ。
彼はコンピューターを扱わせれば、右に出る者のいない人材だが、コンピューター自体がまだ表に出せない。
そこで彼は早々に見切りをつけ、別の得意分野である金融業と情報収集に精を出した。
彼は愛国商会を立ち上げてから、各国に支店を作っていき、主に経済関連の情報収集に取り組んだのだ。
その行動は山縣さんを始め、多くの者に不審がられたが、川島は黙々と仕事をこなした。
やがて彼は、商会で集めた情報をレポートにまとめ、陸海軍と外務省の情報部門、そして首相直下の諮問委員会に送るようになる。
最初は理解されていなかったが、やがて彼の仕事ぶりに注目する者が、現れはじめた。
それは大戦後の世界情勢を分析する情報であったり、29年の大恐慌の兆候を示す情報などであった。
川島は未来知識のカンニングにも助けられて、見事に世界情勢を分析しており、それが有用だと認められたのだ。
こうなってくると、俺たちの素性を知らない人たちからも、注目されるようになる。
そのうえで川島は、軍部、外務関係の機密にも、アクセスできる権限を求めたのだ。
その結果が、今回の”国策検”の特別顧問という立場である。
ちなみに俺たちも顧問になってはいるが、”国策検”に顔を出すつもりはない。
基本的にそちらは川島に任せ、彼からの情報を基に、助言をすることになるだろう。
言ってみれば、おおっぴらに機密情報にアクセスできる、資格を手に入れた形だ。
「川島くんは、今後どうするつもりかね?」
「徐々に軍の機密に関わりつつ、暗号に警鐘を鳴らす予定です」
「ふ~む、それは以前から言っていた、他国による暗号解読の可能性かね?」
「ええ、そうです。しょせん有限乱数による暗号なんて、いずれは解読されますからね。そこを対策しとかないと、戦争はできません」
「それが本当なら、たしかに危険だな。しかし、本当に戦争が起こるのかね?」
「断言はできませんが、起こる可能性は高いですよ。すでに火種はまかれてますからね」
「う~む、それはそうかもしれんが、我が国の状況は、君たちの持つ記憶からは、大きく離れておる。少なくともアメリカとの戦争には、ならないのではないかね?」
「本当にそうなら、いいんですがね……」
それ以上の追求は、陛下からもなかった。
しかし決して誰も、納得しているわけではない。
戦争がないに越したことはないが、万が一起こった場合について、備えなければならないのだ。
それが俺たちがタイムスリップしてきた、理由だと思うから。




