27.航空機を開発しよう
大正10年(1921年)6月 所沢陸軍飛行場
第1次世界大戦で大きく伸びたものに、航空機がある。
大戦初期には偵察や近接支援に使われ、対空砲や戦闘機の開発も進んだ。
さらに戦略爆撃機も誕生して、都市の爆撃が行われている。
大戦末期には空母すら登場していて、敵地襲撃に使われたのだ。
それにともない、日本でも1916年に陸軍の中に航空隊が創設されていた。
これは史実では海軍が設けた組織だが、この世界では陸軍が主導でやることになり、当然ながら海軍からも人を出している。
これは重複した研究開発を防ぐためで、基本的には陸軍が主導権を握る。
しかし陸海では使い方も異なる場合があるので、ちゃんと情報共有すれば、海軍独自の開発も可能だ。
そして当初は海外から飛行機を買い、東京砲兵工廠で分解・調査をするなどしていた。
すると国内でも、航空機の製造に手を挙げるところが出てくる。
1917年 中島飛行機
三菱航空機
1918年 川崎航空機工業
日立航空機
1920年 愛知航空機
川西飛行機
1924年 立川飛行機
そして今、俺たちの前では、陸軍が初めて制式採用した”中島式5型練習機”が飛んでいた。
「おお~、あれが中島5型かぁ」
「陸軍初の制式採用なんやろ?」
「そうだね。しかもエンジンまで国産なんだって」
「そうそう。今まで苦労してきた甲斐があるってもんだ」
「俺も大変だったけどな~」
「もちろん後島には感謝してるって」
”中島式5型練習機”はクラシカルな複葉機だが、それなりに洗練されていた。
そしてエンジンは、史実ではアメリカからの輸入品だったものが、中島飛行機の内製に切り替えられている。
それは育成中の自動車業界から技術者がスカウトされ、さらに俺や後島もしばしば呼び出された結果だ。
ちなみに航空技術者の育成は、他分野よりも力を入れてやっている。
なにしろ俺たちの中には、航空工学を修めたものがいないのだ。
そのためこの時代の人たちに頼る以外なく、その育成は急務だった。
史実では1920年から東京帝国大学に航空学科が新設されているが、それを5年ほど前倒し。
さらに他の帝大への導入も促進して、地道に航空技術者を増やしているとこだ。
もちろん国も予算を付けているが、愛国商会がそこへ寄付金をぶっ込んだ。
おかげで史実よりも格段に豊かな予算で、研究が進められている。
そんな事情もあって、早くも純国産飛行機が誕生したって寸法だ。
史実よりも数年は早い快挙であろう。
その縁もあって、”中島式5型練習機”のお披露目に、俺たちは招待された。
ちなみにその諸元は、こんな感じである。
【中島式5型練習機】
長さx幅x高さ:7.6x12.8x2.9m
自重 :780kg
エンジン :中島製ホール・スコットA-5a 水冷直列6気筒
出力 :150馬力
最大速度 :136km/h
巡航速度 :110km/h
実用上昇限度 :3400m
航続時間 :4時間
乗員 :2名
そんな話をしながら、ワイワイやっていると、恰幅のいい紳士が近づいてきた。
「やあ、大島さん、後島さん。よく来てくれたね。君たちのおかげで、ここまで来れたよ」
「今日はお招きいただき、ありがとうございます。これも中島さんの努力の成果ですよ」
「いやいや、君たちがいなければ、とてもエンジンまで国産化はできなかったよ。おかげで陸さんからも好評でね。このとおり、感謝している」
そう言って頭を下げるのは、中島知久平といって、中島飛行機の社長だ。
後に政界入りして、大臣まで務める御仁である。
元は海軍の機関大尉だったのが、飛行機の将来性に着目して、中島飛行機を興したのだ。
しかし彼は、海軍が航空機開発の要として期待していた人材である。
軍を辞めるにはけっこう揉めたのだが、なんとか途中退役を認められたそうだ。
いろいろと型破りなところのある中島さんにとっては、軍は窮屈すぎるってのも、あったのだろう。
「頭を上げてください。俺たちの方こそ、中島さんには感謝してるんですから」
「それは嬉しいね。今後も何かあったら、私を頼ってくださいよ。いや、それより今すぐにでも、うちに来てくれないかな?」
「お誘いはありがたいのですが、軍にいないとやれないこともありますから」
「う~む、やはり無理か。さすがはその年で、少佐待遇なだけはあるな」
「そんな大したもんじゃありませんよ」
実は俺たち、働きを認められて、先の大戦中に少佐待遇になっていた。
そして俺たちの技術力に目をつけた中島さんには、何回も誘われているのだ。
その度に断っているのだが、なかなか諦めてくれない。
すると今度は、海軍の士官がやってきた。
「中島さん、軍の人材を引き抜かれては困りますな。特に彼らは、多方面で活躍しているんですぞ」
「ハハハ、ちょっと誘ってみただけだよ、大西大尉。もちろん彼らの意志は尊重するよ」
「そんなことを言って。今日で何回目ですか?」
そう言って呆れた顔をするのは、海軍の大西瀧治郎大尉である。
太平洋戦争で神風特別攻撃隊を創設する人物だが、それだけに航空機には明るく、この世界でも陸軍航空隊に出向している。
ちなみに中島知久平と一緒に軍を辞めようとしたのだが、彼は却下され、やむなく軍に残っているんだとか。
そんな彼がにこやかに笑いながら、俺に話しかけてくる。
「大島さんたちも気をつけてくださいよ。あなたたちは軍にとって、掛け替えのない人材なんです。キッパリと断ってやってください」
「それほどではないですけど、ちゃんとお断りはしてますよ。まだまだ軍でやることは、多いですから」
「ご謙遜ですな。さすがは元老に連なるお方たちだ」
「アハハ……」
最近は多方面で成果を出しているせいか、俺たちはけっこう有名になりつつあった。
そして元老のバックアップを受けているのも明らかなため、すっかり元老の身内とみなされていた。
当たらずとも遠からずな状況なので、適当にごまかしている。
すると中島さんが、また未練がましいことを言う。
「う~ん、惜しいなあ。君たちが協力してくれれば、うちはもっと飛躍できるのに」
「中島さんのとこだけ発展しても、意味はありませんからね。俺たちは日本全体が豊かになることを、望んでいるんです」
「ふむ……それは私も望むところだがね。いずれにしろ、今後も協力をお願いしますよ」
「ええ、みんなでがんばっていきましょう」
この調子なら、日本の航空産業も史実以上に伸ばせるだろう。
もしアメリカと戦争になっても、戦えるようにしておかないとな。
中島知久平氏は、軍の出張先で勝手に航空免許を取ったり、スポンサーに無断でエンジンを100基も購入したりと、独断専行が強い御仁だったようですね。
まあ、そんな人だからこそ、終戦時点で国内最大級の航空機メーカーを作れたんでしょうが。




