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04 未来視

 広間のような場所に出ると空気が少し変わった。

 清らかで澄んだ雰囲気に緊張するビブリを他所に、雫は部屋の中央まで行くと周囲を見回す。

 数段高くなっている場所に並んで立つ大結晶を目にした彼女は、急いでその前まで移動した。

 大結晶に触れると冷たく特に何も感じない。

 食い入るように目の前の大結晶を見つめていたハクトは、ゆっくりと口を動かした。


「違うわ……違う。こんなの見たことないわ」

「ハクト?」

「どうして? どこで間違ったのかしら……」


 ハクトの様子が変なことに気づいた雫が心配そうに覗き込む。しかしハクトの目は大結晶に釘付けで雫の声は聞こえていない様子だった。

 これだけハクトが驚愕しているのは想定外のことが起きたからか、と雫はもう一度注意深く周囲を見回した。

 気になる気配があるかどうか探ってみるが、気になるものは何もない。


「未来視とどれだけ違っているの?」

「全てよ」


 ハクトが有する能力の精度が高いのは今まで一緒にいた雫がよく知っている。

 そんなハクトの言葉に軽く目を見開いた彼女は、納得したように頷いた。

 未来視という言葉に小さく首を傾けていたビブリは、どこからともなく本を取り出してはペラペラと捲っている。

 恐らく彼の持つ記録にそんな事も記されているのかもしれない。


「大丈夫よハクト。アレが何をするのかは大体予想がついているから」

「雫?」

「恐らくアレはもうここには戻ってこないと思うわ。違う場所で、転移の準備をしているはず」


 相手が何をするのか分かっているなら、対処ができるだろう。そう簡単に告げる雫に溜息をつきながらも、急速に頼もしくなってしまった相棒をハクトは不思議そうに見上げた。

 そっと大結晶の足元に下ろされたハクトは痕跡を探る為に結晶の周囲を探る。

 雫は本を読んでいるビブリに、ここがどこか分かるかと尋ねた。


()は知りません。ですが、所有する記録を元に推測すると世界の中心のような場所かと」

「流石は偉大なる賢者(マスタービブリオン)ね」


 パチン、と指を鳴らす雫に苦笑しながらビブリは首を横に振る。

 自分はまだ知らないことが多くて若輩者だと告げる彼に、以前の彼を知っている彼女はここまで変わるものかと驚いていた。

 初期化が成功して前の人格が消えたとはいえ、その情報はきちんと彼の中に記録されている。

 つまり、彼がいつ以前のような性格に戻るかもしれないのだ。

 本人は以前の己を酷く嫌悪しているが、油断はできない。万が一そうなった場合の対処は、ハクトが考えてくれているので雫は安心して行動できる。


「そう、ここは世界の中核。全ての始まりにして終わりの地」

「確かにそれは違いないわ。けれど、誰もいないなんて……有り得ない」

「未来は常に変わるものですから、仕方がないのでは?」


 場所の説明をする雫に、大結晶を触りながらハクトが頭を横に振る。前足で透明な大結晶に触れながら何かを確かめるように見つめていたハクトは、ひょいひょいと大結晶の天辺まで上って小さく唸った。

 どうやら期待していた成果は得られなかったらしい。

 不機嫌そうに鼻を鳴らして半目で舌打ちをするハクトに雫は笑ってしまった。

 相棒がここまで苛々するのは滅多にないからだ。

 ビブリの疑問にも答える気が無さそうなので、代わりに雫が説明する。


「確かに貴方の言う通り、未来は変化しやすいから予測するのは非常に難しいわ」

「それでも、それを予測できるだけ恐ろしいと思いますが」

「そうよね。ハクトの未来視は高性能でね。変化する未来すら感知できるから行動を修正しやすいのよ」

「失礼ですが……私より恐ろしい存在なのでは?」


 顔を引き攣らせ半歩退くビブリに苦笑しながら雫は話を続ける。

 未来視ができるのはハクト自身にも良く分かっていないこと。

 けれど、見えたものが現実になるのは雫も実体験してきたから信用には足ること。

 今回この世界に来て大した妨害もなくここまで辿り着けたのも、全ては未来視があったからこそできたということ。


「なるほど。しかし、あまり未来視ばかりに頼りすぎているというのも……」

「うん、そうよね。今みたいな状況になると困るのよね。現にハクトはショックと苛立ちを隠せていないし」


 滅多に見られないからしっかりと目に焼き付けておこう、と楽しそうにハクトを見つめる雫に再び顔を引き攣らせながらビブリは溜息をついた。

 透明な大結晶の天辺に座っているハクトは、宙を睨みながらもごもごと口を動かしている。

 穏やかで優しい彼女らしからぬ単語が次々に発せられるのを聞いて、ビブリは思わず顔を逸らしてしまった。


「雫様が余裕でいらっしゃるのは、これを予期していたからですね」

「うーん、どうなのかしら。私のは未来視とは違うと思うけど。確かに、こうなるだろうなとは思ったけどただの勘よ?」


 ハクトの未来視に比べれば精度も当たる確率も低い。

 しかし、そんな勘が鋭さを増しているのも事実だとハクトは二人のやり取りを聞きながら耳を動かした。

 最終局面を迎え、急速に成長し覚醒した由宇との同調があるとはいっても感化されすぎだ。

 ある程度、能力の向上は予測していたハクトだったがまさかここまでだとは思わなかった。しかし、自分の未来視が外れただけにもう一つの可能性に期待せずにはいられない。


「雫、アレが何をしたいのか貴方は予想できているのね」

「勘だけどね」

「それでいいから、教えてちょうだい」

「了解。ちなみに、ハクトの未来視ではどうなっていたの?」


 雫の問いにハクトは自分が見たものを教える。

 一つは神二人とレディが大結晶と化し、この場所で世界の安定の礎となっている光景。

 もう一つは神二人が大結晶と化し、レディが己を結晶化させる前に由宇が割り込んで彼女と同調し世界を安定させる光景だ。

 過程が多少変更されようと、最終的にはその二つのうちのどちらかになるはずだった。

 しかし、実際はどうだ。

 結晶と化し、大結晶の中で世界の安定のため存在し続けるはずの中身が消えている。

 大結晶は二つだけで、雫が言った通りレディと由宇が同調した後ならば未来視で見たようにレディが結晶化しない結末へと進んだはずだ。


「けれどここには空の結晶しかないわ。中身のない結晶ではいくらレディと由宇でも世界を支えるのは不可能よ」

「つまり、ハクト様の言う通りであれば世界の崩壊は止まらないと?」

「ええ、そうね。中身のない結晶なんてただの飾り……粗大ゴミもいいところだわ」


 面倒なことばかりしてくれる、と忌々しそうに呟いたハクトに雫は「まあまあ」と宥める。

 前足で空の大結晶を叩くハクトは相当腹が立っているように見えた。

 彼女の怒りも分かる雫は、軽く目を伏せると胸元に手を当てて大きく深呼吸をする。

 ふわり、と彼女の体から発せられた青い光の波紋が広い室内に広がって静かに消えてゆく。

 波紋に当たった大結晶は熱に当てられた氷のように溶け、室内をびっしり覆っていた鉱石もなくなってしまった。


「雫、貴方それ……」

「転移までは時間を要するわ。まだ時間は充分にあるし、アレは私達の動きを知らない。知っていてもどうでもいいと思っているんでしょうけど」

「多分そうね。そう……そうね。ビブリ、手伝ってちょうだい」

「はい?」


 雫と見つめ合ったハクトは大きく頷くと、いつもの彼女らしくふわりと柔らかく微笑んだ。

 突然声をかけられたビブリは驚いたように首を傾げるが、素早く駆け寄りハクトの目前で膝をつく。

 大結晶がなくなって、世界を安定させることができないなら自分達が何とかするしかないとハクトは決断したのだ。

 自分達の目的の為なら非情だと言われることでもしなければいけないし、世界を見捨てたことがないわけではない。

 けれど、この世界にはあまりにも長居し過ぎた。

 そして後悔するほど、この世界に住むヒトに深入りし過ぎた。


「管理者だけの力で上手く安定させられるような仕組みを作るわよ」

「簡単に言ってくださいますね」

「あら、私の才能と貴方の知識があれば不可能はないでしょ? もちろん、雫。貴方も手伝うのよ」

「分かってます」


 ハクトがトントンと床を後ろ足で叩けば魔法陣が出現した。室内の床一面に大きく広がるそれを見てビブリは感嘆の声を上げる。

 続いて雫がパチンと指を鳴らし出現させた魔法陣をハクトが壁と床に埋め込んでゆく。定着したということを示すようにハクトの声に合わせ、床、壁、天井の順で複雑な紋様が浮かび上がり消えた。

 手馴れた様子に前にも経験があるのかとビブリが問えば、ハクトは「どうかしらねぇ」と返す。

 ハクトの指示に従い雫がティアドロップの力を利用して魔法陣を強固なものにする。

 本を手にしたビブリは自分が閉じ込められていた結界を再現すると、その出来栄えに笑みを浮かべた。


「ハクトも規格外だけど、ビブリも規格外なのよね。高難易度で複雑な術が簡単に組み上がる様を見ていると、気持ち悪くなってくるわ」

「そうですか? 私はとても高揚しておりますよ」

「あらビブリも? 私もすごく幸せで興奮しているわ」


 楽しそうな二人を眺めつつ、雫はこの場に自分の父親がいないことを心底喜んだ。ここにあの父親が混ざったら何か恐ろしいものまで呼び寄せてしまいそうだ。

 その様子を想像した雫はぶるりと身を震わせて口を手で覆った。


「雫、また具合悪くなってしまったの? 少し休む?」

「ううん、大丈夫。えっと、それで……」

「終了しましたよ。実際に稼動させるには管理者の認証が必要ですが、彼らならば大丈夫でしょう」

「レディに伝えておくわ」


 そう言って自分の毛を一本抜いたハクトは、それに息を吹きかける。すると、もう一羽白いうさぎが現れて赤い瞳でハクトを見つめた。

 しばし無言で見つめあった両者だが、赤い目のうさぎが「ぶぅ」と鳴くと大きく頷いて姿を消す。

 便利なものだと呟くビブリに、分身を作るのは疲労が激しくなるからあまりやりたくないんだとハクトは苦笑した。

 思い当たることがあるのか、目を逸らしてなにやら考え込むビブリに雫とハクトは首を傾げる。


「まったく、余計な力を使ってしまったわね」

「仕方ないよ。未来視から大きくズレてしまってるんでしょ?」

「そうだけど、神が犠牲にならない未来なんて考えもしなかったわ。責任放棄もいいところよね。まぁ、あの性格を考えれば当然とも言えるでしょうけど」


 言えちゃうのか、と呟いて溜息をつく雫は室内を見回してこの場所が管理者たちの仕事場になるのもそう遠くないのかなと思った。

 外部と内部の境界があやふやになり、領域の境すら溶けかかっているような状況だ。

 一度、全て無くしてから作り直した方が楽だろうなと思いつつ、部屋の中央に鎮座する結晶を見つめた。


「そもそも、そんな事が可能だとは驚きです。一度結晶化してしまえば個は失い世界と溶け合うはずですから」

「結晶化したフリ、とか?」

「それでしょうね。あれほどの力があれば、不可能じゃないわ。目的は何かしら」


 本当の娘でないにしても、レディを可愛がっていたのは事実。

 そんな彼女が生きるこの世界の為に身を捧げた綺麗なお話で終わってほしかった、とハクトは呟く。

 余計な後始末までするはめになったのが相当頭にきているらしい。


「愛する妻の蘇生かな?」

「はぁ?」


 確証はないけれど、と付け足す雫にハクトは信じられないと顔を歪ませる。可愛い顔が台無しだと雫が言うも彼女は気にしていないらしく舌打ちをした。

 どうしてそう思うのかと尋ねるビブリに暫く考えた雫が答えるより早く「勘はなしよ」とハクトが告げる。

 言葉に詰まった雫は眉を寄せて首から提げているペンダントに触れた。


「ハクトは大体予想ついているでしょ?」

「そうだけど、貴方がちゃんと言いなさい」

「……分かった。神ママの方は由宇が核を奪ってしまったから消失したと思ってたけど、大結晶が二つあるから恐らくまだ消えていないわね」

「核?」


 首を傾げるビブリに雫は神ママが本物ではないことを教える。由宇の体を再生したようにティアドロップの力を作って作り上げた人造人間だろうとハクトが補足する。

 納得した様子で頷いたビブリは、開いた本をペラペラと捲り人体蘇生についてのページを二人に見せた。

 今まで色々な世界を渡ってきただけはあり、人体蘇生や人造人間の作り方についての方法は多様なものだ。成功するか否かは術者の腕にかかっているんだろう。

 ティアドロップを使用しての作成法も気になっているビブリだったが、肝心の作り方が分からないので残念そうだった。


「肉体を動かす、仮初の命のようなものよ。由宇の場合は彼女の肉体だけが消失して中身は無事だったから必要なかったけれど」

「となると、この世界と娘を見捨てて他へ移動しようとしているのは……」

「神パパよ」


 彼以外有り得ない、と断言する雫にハクトは何度も頷いて苦虫を噛み潰したような顔をした。

 分身の様子も分かるビブリは不思議そうな顔をして、彼は世界の安定にとても協力的だったことを思い出す。

 それら全ては一体何の為に?

 その呟きに答えたのはハクトだった。


「油断させるためよ。自分への警戒、追撃を躱すための時間稼ぎね」

「未来視ですか?」

「いいえ、予想しない第三の(ルート)が現れたお陰なのか、未来視が上手くできないわ」

「神パパの妨害かもねー」


 どちらにせよ、頃合を見計らってこの世界から消えるつもりだったのは変わらないと告げるハクトに雫は驚く。

 てっきりハクトが見たように、世界安定の為に身を犠牲にして世界と一つになるものだと思っていたらしい。

 目を見開いて眉を寄せる雫を見上げ、ハクトはくすくすと笑う。


「雫。どうして私達が未だここに残ってると思っているの?」

「え、世界の為にでしょう? ハクトがそう言ってたじゃない」

「ええ。私達の世界の為よ。暫く結晶として眠っていれば楽に逝けたというのに、馬鹿よね」


 自分達の世界の為でなければ介入などしていない。

 ハクトには違う目的があるような気がしていたが、雫は知らないフリをしてきた。

 今回の予想外の出来事と何か関係があるのだろうかと思うが、ハクトが何も言わないので雫も何も聞かない。

 淡々と神パパを馬鹿にするような言葉を吐くハクトに、ビブリは僅かに眉を寄せた。


「マスターは、最初から神を殺すつもりで?」

「ええ、そうよビブリ」

「しかし、神が死んでしまえばこの世界も……」

「そうならないように、上手くするつもりだったのよ」


 手は色々と考えていたと鼻を鳴らすハクトに「準備が無駄になったね」と雫が笑う。

 それでも事前に準備をしていたお陰で、急ごしらえとはいえ世界を安定させるための立派な術が完成したわけだが。

 本来は神の力を流用して個としての存在を消滅させ、レディに大結晶の膨大な力を制御させるつもりだった。

 現在この室内に組みあがった術も全てはそれらの応用である。


「転移に時間がかかるのは納得だわ。結晶化したフリも力の浪費が激しいはずだもの。態勢整えて安全に転移するつもりでしょうけど、逃がしはしない」

「ハクト、落ち着いていこうね?」

「そうね。大丈夫よ、私には貴方がいるもの」


 優しく相棒を抱え上げた雫は苦笑しながら興奮するハクトを撫でた。


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