22.なぜか八王子にいる影勝(4)
「この声って」
「まさか……?」
「おー、相川、ここだここだ!」
金井がののんきな声を上げ空中に小さな竜巻を作ると、野次馬と化した探索者をかき分けてクラン三日月代表の相川が姿を現した。変わらずの、どこにでもいそうな小さなおばちゃんだ。
「打ち合わせ中にいきなり消えちゃって、どこにいってるんだって……あれ、碧ちゃんじゃないのさ!」
目を大きく開いた相川がドドドと碧に駆け寄り、しゃがんで手を取った。
「なんだいなんだい! 八王子に来るんならひとこと言ってくれれば迎えに行ったのに。宿でも人でも護衛でもなんでも手配するよ! そうだ、あの薬でね、きれいさっぱり傷が消えたよ! 試しで塗ったあたしの古傷まで消えちまってさ! おかげさまできれいな体で送り出せたよ! 本当にありがとうね! いやぁ、やっぱり椎名堂はすごいやね!」
相川は碧の手をぶんぶん振って大騒ぎだ。そこかしこから「本当に椎名堂なのか?」「三日月の社長が言ってるぞ?」という声が聞こえてくる。かなり目立ってしまったようだ。
「ぶぶぶじに傷が消えて、よかったです」
狼狽えた碧だが、あの薬が効いたと聞けばにっこり笑顔になる。影勝の胸も熱くなった。後でしこたま怒られたが、やってよかったと心から思えた。
「相川うるせーぞ。お前は声がでけーんだよ。迷惑だろうがよー」
「なにさギルド長! 椎名堂がきてるんなら教えてくれたっていいじゃないのさ! お礼のひとつやふたつや百や億だって言いたいのに! もううちは椎名堂には頭が上がらないんだよ!」
「俺っちだって今知ったんだぞ?」
「あら、そうなのかい?」
金井と相川がぎゃーぎゃー言い合っていると影勝のスマホが鳴った。誰からだ?と相手を確認した影勝が「最悪だ」とこぼした。相手は綾部だった。げんなりした顔の影勝が応答する。
「近江です」
「綾部だ。今どこにいる? まさか八王子にはいまいな?」
綾部の声が静かにお怒りである。しかも八王子にいることがばれていた。
「えっと、綾部ギルド長、なぜそれを?」
「やはりか……工藤が業務をさぼって八王子生配信なるものを見ていたのだが、そこに碧ちゃんが映っていた」
「あーーーー、あの迷惑な配信者かーーーーてか工藤さん、なにしてんのよ……」
「間違いないのだな。そこに金井がいるのだろう? 風があいつに教えているはずだ。変わってくれ」
綾部に命令され、影勝の顔は苦り切る。これ以上ことを大きくするのはやめてほしい。
「あの、金井ギルド長、旭川の綾部ギルド長が変わってくれって言ってるんですけど……」
「巴ちゃんから? あぁ、近江を感知したんだな。わかった」
影勝がスマホを渡すと金井は「巴ちゃん元気ー?」と能天気に話し始めた。
「なぜそっちにふたりがいるのか」
「あー、俺っちもよく知らねーけど、下から来たらしいぜ」
「下から……なんだと!?」
綾部が珍しく声を荒げた。スマホのスピーカーからはガタガタと音もするので焦って立ち上がったのだろう。金井はニタニタ顔だ。
「ふたりは昨日旭川ダンジョンの七階で休憩所を使う訓練をしていたはずだ。夜はクランが一緒にいたと聞いている」
「へー、ちょっと、待ってな。おい近江、お前らどの階から来た?」
金井は目線だけ影勝に向ける。メンチを切っているようで怖い。
「えっと、ここであった八王子ストライカーズってパーティからは七階だって聞いてます」
「こっちも七階かー」
「ストライカーズだってぇ? 碧ちゃん、失礼なこと言われなかった? 変なことされなかったかい? あいつら自分らが強いって勘違いしててさ、ヒヨッコなのに困ったもんだよ」
相川が憤慨している。碧は気になって聞いてみた。
「あ、あの人たち、相川さんのお知合いですか?」
「あいつら、うちのクラン所属なんだよ、まったく困ったもんだよ」
「相川うるせーぞ。巴ちゃんの声が聞こえねーんだよ」
「声がでかくて悪かったねぇ!」
影勝は金井に答えたのだが横で聞いていた相川が金井と言い合いを始めた。あちらもこちらも大変で収取がつかない。ぎゃーぎゃー騒ぐから野次馬と向けられるレンズは増えるばかり。影勝と碧は顔を見合わせ溜息だ。
なんか疲れたから休みたい。いっそのこと消えてしまおうか。
「あー、ほっといて悪いな。ここじゃなんだ、俺っちの部屋で話そか。相川、ふたりが会ったストライクとかいう若造に言っとけ。お漏らししたら消すぞ、ってな」
金井の目が光る。相川は黙ってうなづいた。
大騒ぎなロビーから連れ出された影勝と碧は二階にあるギルド長室に連れ込まれた。一〇畳ほどの、ギルド長の部屋にしては狭い空間だ。金井の性格から察するに派手な部屋を想像していたが、執務机と壁面びっしりの本棚しかなく、来客用のソファーすらもない必要最低限を下回るほどのシンプルさだ。なぜかあるビールサーバとジョッキだけが異物感マシマシだった。
「ここなら音が漏れる心配もねえ。俺っちのスキルで封鎖したからな」
金井がどこからともなくパイプ椅子を取り出しふたりに渡した。そして金井も座る。
「知ってるかもしれねーけど、俺っちのスキルは【風を掴む男】だ。空気を操るスキルと思ってくれりゃいーさ」
金井は軽い感じで自らのスキルを告げた。影勝はそのスキルの名に目を開く。
「空気を操るって、最強じゃないですか」
「おぅ、探索者じゃ最強クラスだな。で、ここの音を閉じ込めた。この部屋から音が漏れることはねえ」
金井はへらっと笑った。
音は空気を伝搬する。空気を操って伝搬を阻止すれば音は伝わらない。それどころか、酸素を遮断すれば影勝の命を絶つことも容易だろう。軽くそんなことを言われた影勝は戦慄するのみだ。
オークションで初めて会った際、影勝らが突然出現したことに驚いたのは、金井は常に空気で周囲を感知して警戒してたからだ。その無敵なはずの警戒を破って出てきたからである。
「したら最初っから聞こかー」
尋問開始である。碧はびくっと肩を震わせ、隣の影勝を見上げた。影勝を信頼しきった丸投げである。隠しても仕方がないので影勝は正直に話すことに決めた。
「旭川の七階で野営の訓練をしていてですね」
旭川ダンジョンの七階で小屋で野営の訓練をしたこと。多数のモンスターから逃げる際にダンジョンの壁を越えたこと。ダンジョンに戻ろうとしたときに魔法を見かけ、ストライカーズに会ったこと。そのときに八王子ダンジョンの七階だと知ったこと。金井は端末で録音しながら黙って聞いていた。
「なるほどなー。やっぱ近江のスキルあってのことだなー」
金井は腕を組んでうなった。各ギルド長には影勝のスキルは知らされている。これはイングヴァルを知っている綾部が伝えたものだ。これをもって影勝は(特)になっていた。
「今でも信じられないんですけど」
「だろーなー。もし俺がそうだとしても信じらんねーもんなー」
あっはっはと金井は笑う。緊張感のかけらもないが、今はその軽さが心の重しを少なくしている。
「ま、今日のところはうちに泊まってくれ。いま表に出ると大騒ぎになりそうだしな」
金井がスマホをポチポチいじり、画面を見せてきた。SNSの画面だが、「椎名堂」という文字がトレンドに上がり、金井と会話をしている場面の切り取りが投稿されていた。
『八王子に薬草の女神が降臨!?』
『八王子が薬草天国になる!?』
『旭川の箱入り娘に男の影!?』
面白おかしく脚色されている。あまり露出しない碧なので珍しかったのもあるだろう。一緒にいる影勝についても「あれはだれだ?」「彼氏か?」とか「実は椎名堂に隠し子が」など勝手な憶測が飛び交っている。八王子に移籍か?などと推測する者もいたがそれはない。
ふたりは揃って「うぇー」という顔をする。面倒が降りかかる未来しか見えない。
「巴ちゃんとは口裏合わせっからよ、お前らもそれに合わせてくれな」
金井がまじめな顔をした。あの金井がだ。影勝もそれを理解して何度も頭を縦に振る。
「でも、そんなにやばいですか?」
「そりゃやべーだろ。旭川と八王子がダンジョンでつながってるんだぞ? 八王子だったからいいけどよ、仮にアメリカにでも出てたら大騒ぎだぞ?」
「あ……」
影勝は言葉を失った。




