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ブックワームは書架へ潜る  作者: くれは
第十五章 サンキエム・グリモワール
92/105

92 焦りと後退

 セティは焦っていた。

 目の前の写し(コピー)は、ソフィーを狙うのを諦めていない。少しでも隙を見せたらその攻撃はソフィーに向かうだろう。

 ソフィーはサンキエムと対峙している。本当はセティだって、ソフィーを助けにいきたい。

 けれどセティは写し(コピー)を食い止めるのに必死だった。セティも写し(コピー)も細かな傷は増えていたが、決定的な一打はお互いに与えられていない。


(悔しいけど、こいつは本当に完璧な写し(コピー)なんだ)


 知識も、強さも、何もかもがセティと同じ。戦うときの動きも同じ。だからセティには写し(コピー)の攻撃を防ぐことはできた。何を考えているかはわかるから。

 でも、それは相手も同じなのだ。セティの攻撃は軽々と防がれてしまう。

 地面を転がって泥だらけになって、写し(コピー)に組み敷かれて動きを封じられる。


炎の蝶パピヨン・ドゥ・フラム!」


 目の前に現れた炎の翅に、写し(コピー)はのけぞった。セティの腕を捉えていた力が緩む。セティはその隙に写し(コピー)を蹴り飛ばして抜け出した。

 セティも写し(コピー)も地面を転がって、すぐにまた立ち上がる。


白輝の一角獣リコルヌ・リュミヌーズ


 セティが、白銀に輝く槍を手元に呼び出せば、写し(コピー)も同じように槍を手にする。


白輝の一角獣リコルヌ・リュミヌーズ


 セティと写し(コピー)は泥だらけのまま槍を構えあう。


(このままだと、お互い疲れて閉じるだけだ……なんとか、なんとかしなくちゃ……)


 踏み込んでくる写し(コピー)の穂先を避けて、セティも槍を突き出す。当然のように避けられる。

 なかなかつかない決着に、セティは焦っていた。


   ◆


 ソフィーの目の前で、壊れた(ブック)が地面に落ちる。

 その(ブック)を壊したのは、使っているサンキエムなのか、それともサンキエムを攻撃するソフィーなのか。

 サンキエムは(ブック)が壊れるたびに笑う。


「また壊したね。これで幾つ目?」


 その声に苛立って、それでも冷静でいなければとソフィーは息を吐き出した。


(このままじゃ、ただ(ブック)が壊れるだけ……なんとかして、サンキエムを止めないと……)


 けれどソフィーには、有効な手立てが思いつかないでいた。

 セティは近くで写し(コピー)と戦っている。今はお互いに槍を持って攻撃しあっている。さっきまで地面を転がっていた二冊は、服も体も顔も泥だらけだった。

 二冊とも、だいぶ疲弊しているようにも見える。


(時間が欲しい。少し考えて、体勢を立て直す時間が……)


 サンキエムは積極的にはソフィーを攻撃してこない。ソフィーの出方を伺って楽しんでいるのだろう。ソフィーと一定の距離を保って、手のひらで開いていない(ブック)を弄んでいる。

 そうやって余裕ぶっている様子は腹立たしいが、油断している今がチャンスとも言えた。

 攻めあぐねて次の手を考えている振りをして、ソフィーはサンキエムを睨む。横目でセティの様子も観察する。

 写し(コピー)が突き出した槍をセティがぎりぎりでかわす。左腕に穂先がかすって、白いシャツが破けて肌が裂ける。流れ出した知識の黒い液体を気にすることもなく、セティは写し(コピー)に槍を突きつけた。

 写し(コピー)が避けたのもぎりぎりだった。写し(コピー)の顔に黒い筋ができる。知識でできた黒い液体が、頬を伝い落ちる。

 ソフィーはセティと写し(コピー)の間に水の塊を生み出した。そして破裂させる。咄嗟に二冊は後ろに跳んで避ける。

 サンキエムと写し(コピー)の前に水でカーテンのような幕を作る。水の揺らぎが、視界を遮る。そしてセティの腕を引っ張ってシダの茂みの中に身を隠した。


「わっ!?」


 咄嗟のことにセティは声を漏らしたけれど、ソフィーの表情を見てすぐに唇を引き結んだ。

 水の幕を写し(コピー)の槍が突き破る。そのまま薙げば、水は消え去った。けれどそのときにはもう、ソフィーもセティも身を隠した後だった。


「なあんだ、逃げたんだ。つまんない」


 サンキエムは、ソフィーとセティの姿を探すように周囲のシダに目を向けた。ざわざわと葉が揺れているが、どこにふたりが隠れたかまではわからない。


「隠れても無駄だよ。この辺り一体を焼き払ったって良いんだから」


 苛立つようなサンキエムの声。どうやらソフィーとセティを見失ってくれたようだった。

 ソフィーはシダの葉陰で小さく息を吐くと、小声でセティに問いかけた。


「セティ、傷は大丈夫?」

「このくらい……表面だけだ、どうってことない」


 セティは紡ぎ手の蜘蛛ティセランド・アレニェを使って、自分の傷ついた腕に蜘蛛の糸を巻きつけた。傷を完全に修復するには時間が足りない。それでも何もしないよりはましだろう。

 蜘蛛の糸を巻いた腕を見下ろして、セティは悔しげに唇を噛む。

 ソフィーも心配そうに、セティの傷を見ていた。

 セティを傷つけてしまっていること。たくさんの(ブック)を壊してしまったこと。全てサンキエムの策略だ、サンキエムが悪いのだ、と切り捨ててしまうことは、ソフィーには難しかった。

 自分はサンキエムとは違う、(ブック)を壊したいわけではないのだ、確かにそう思っていても、実際に傷ついたセティを前にして、ソフィーの心は不安に揺れてしまっていた。


「たくさんの(ブック)を壊してしまった。セティまでこんな傷を……」


 ソフィーの悔恨の声に、セティは唇をあげて睨み上げる。


「それは全部サンキエムが悪いんだ、ソフィーが気にすることじゃない」

「そうだとしても……それでも、確かにわたしが壊した」


 ソフィーはつらそうに眉を寄せて、セティの腕の傷を見ていた。その傷以外にも、セティの体には細かな傷がたくさんできていた。いつもは真っ白いシャツも泥に汚れてぼろぼろだった。真っ黒な綺麗な髪も、ぐしゃぐしゃだった。

 ソフィーの瞳が揺れるのを見て、セティは悔しそうに唇を曲げる。泣きそうな顔で、しがみつくようにソフィーの腕を掴んだ。


「ソフィーがいつも(ブック)を大事にしてること、(おれ)にはわかってるから」

「え……」


 思いがけない言葉に、ソフィーはぽかんとセティを見る。セティの瞳はわずかに潤んでいて、そして真っ直ぐだった。


「だから、ソフィーはちゃんと(ブック)たちの……俺の所有者(オーナー)なんだ」


 セティは少し言葉足らずだった。それでもそこに込められた思いは、ソフィーに確かに伝わった。ソフィーの胸の奥に、セティの言葉が温かな光となって、灯った。

 セティが「わかってる」と言ってくれる、所有者(オーナー)として認めてくれる、それだけでソフィーは、まだ戦える気がした。


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