91 壊すか壊されるか
地面に倒れるセティの両手を抑え込み、写しは腹に膝を落とす。セティは痛みに顔を歪め、空気を吐き出した。それでも動きは止めず、思いっきり膝を曲げて腹を蹴り返す。
写しの力が緩む。もう一度蹴る。写しの体は後ろに傾く。セティはその隙に、素早く足をあげて逆立ちの体勢から立ち上がる。
遅れて、写しも立ち上がった。
二冊のやり取りを視界の端に収めながら、ソフィーは間合いを計りつつサンキエムに向かって駆ける。
「碧水の蛙!」
水の針を生み出して、サンキエムに向かって放つ。
「開け、守護の亀!」
サンキエムがまた本を開く。守護の亀は空中で光の盾を生み出した。水の針はその盾にぶつかって、弾けて消える。
「残念だったね。その程度じゃこの本は壊れないみたいだ」
楽しげに、サンキエムが笑う。ソフィーは防がれるとわかっていながら、それでも水の針を生み出して次々に攻撃を仕掛ける。攻撃しながら距離を詰める。
地面に落ちた守護の亀はひっくり返っていて、それでも開かれた命令のままに、盾を生み出してサンキエムをソフィーの攻撃から守っていた。
「もっと激しい攻撃にしたら? そしたら壊れるよ、きっと」
まるで本が壊れることを心待ちにするように、サンキエムは言った。
ソフィーは落ちている守護の亀を爪先で蹴り飛ばす。地面の上を滑るように、亀が離れてゆく。
そして、空中に水の針を生み出す。ソフィーの肩に乗っている蛙が、ぴょんと跳ねる。
「開け、守護の亀」
サンキエムは慌てることなく、また本を開く。今度は手で掴んだままにした。その手を飛んでくる水の針に向ける。光る盾が水の針を弾く。
「写しはいくらでも開けるんだ、無駄だよ」
「鞭閃の舌長蜥蜴!」
ソフィーの腕にしがみついていた舌長蜥蜴が舌を伸ばす。サンキエムの腕に舌が巻きつく。
引っ張られてバランスを崩したサンキエムに、ソフィーはまた水の針を撃ち込む。
「守護の亀」
サンキエムは盾を生み出す。水の針は弾かれる。
ソフィーは舌長蜥蜴の舌で腕を引っ張り続け、サンキエムの動きを制限する。サンキエムは足を踏みしめて体に力を入れる。それ以上引っ張られないように体重をかける。
ソフィーを見上げて、サンキエムは笑った。
「その目、すごく怒ってるね。僕のこと、壊したくてたまらないって目だ。お前はやっぱり本を壊したいんだ」
「違う!」
ソフィーは真っ直ぐにサンキエムを睨んだ。強い意思が宿った視線に、サンキエムはわずかに眉を寄せる。
「確かにわたしはあなたに怒ってる! でも、それでも、あなたを壊したくて壊そうとしてるわけじゃない! あなたが本を壊すのを止めたいだけ!」
サンキエムは笑い出した。ソフィーはサンキエムへ向ける視線をより鋭くする。腕を強く引っ張る。
引っ張られる腕を引っ張り返して、サンキエムは笑いながら言う。
「それこそ欺瞞だよ。『壊したくない』『壊すのを止めたい』そう言いながら、結局壊すんだからさ」
ソフィーが思い出すのは、過去の探索で所有者になれなかった本──結果的に壊してしまった本たち。
使ううちに壊れてしまった本もある。生まれて初めて開いた光の蝶もそうだった。
壊れてしまってもう取り戻せない──それらを思い出すとき、無力感と後悔がいつも共にあった。
ソフィーはサンキエムに向かって叫ぶ。
「結果的にそうなったことだってある! それでも! 本当は壊したかったわけじゃない!
だからわたしは諦めない!」
サンキエムは笑うのをやめた。冷たい視線が、ソフィーを見据える。
「無駄だよ。何を言おうが、お前は結局本を壊すんだ。そんなに本を壊したくないなら、お前が先に壊れちゃえよ」
サンキエムは引っ張りあっていた腕の力を緩めた。重心を後ろにとっていたソフィーはバランスを崩して後ろに倒れそうになる。舌長蜥蜴が舌を引っ込める。
「開け、刺撃の蠍」
サンキエムは囚われていない方の手で、新たな本を開く。
ぼんやりと光った本は蠍の姿になり、そしてすぐにサンキエムの手の中で短剣の姿になった。
短剣を手にしたサンキエムが、バランスを崩したソフィーに向かって跳ぶ。
「碧水の蛙!」
ソフィーは水の塊を自分の前に生み出す。サンキエムが突き出した短剣、その切先は水のなかに沈んでゆく。ソフィーはそのまま後ろに倒れ込んで、地面を転がってサンキエムから距離を取る。
サンキエムは解放された腕に掴んでいた守護の亀を放り投げる。短剣を片手で構えたまま、ソフィーの方を向く。
ソフィーは地面に手をついてさっと体を起こす。
「結局、壊すか壊されるか、それだけなんだよ」
「そんなことない!」
サンキエムの冷たい言葉に、ソフィーは大きく首を振った。
(そんな関係、悲しすぎる!)
本を壊したくない。ソフィーはその気持ちを諦めたくはなかった。




