84 リオンの覚悟
二体の破壊顎の大百足に挟まれて、狭い洞窟内でソフィーとリオンは追い詰められつつあった。大ムカデの長い体がうねり、がちがちと顎の鳴る音が二人を囲む。
洞窟内のじっとりと湿った空気に、ソフィーの背中を冷や汗が伝って流れる。
大ムカデに対しては不利と判断して、ソフィーは早々と鞭閃の舌長蜥蜴を閉じていた。今は音迷の跳鳴虫の鳴き声で大ムカデを撹乱して、逃げる隙を作ることしかできていない。
星灯の蛍はでこぼこした地面を照らす役にしか立っていない。獲物を追いかけることに夢中の大ムカデは、蛍のわずかな光を避けるようなことはなかった。
リオンは大ムカデの顎から逃げながらも鋼刺の山荒で反撃しているが、トドメを刺せるほどにはダメージを与えられていない。
二人とも疲弊が蓄積して、苦しい戦いを強いられていた。特にソフィーは、さっき写しにつけられた腕の傷、その痛みが集中力を削いでいた。
そして、それだけではない。
(セティの写しは……)
ソフィーは大ムカデの向こう、出口の光が見える方へと視線をやる。写しが逃げた先、そこにセティもいるのだろうか。セティは今、どうしてるのだろうか。無事だろうか。ソフィーの胸の中に不安が膨れ上がる。
不安が連れてきた弱気を、ソフィーは無理矢理心から追い出した。がちがちと鳴る大ムカデの顎が近づいてくる。壁際でぎりぎりそれをかわすと、大ムカデの顎は苔むした壁に突き刺さった。長い体がうねる。
リオンも大ムカデの顎を避けて、後ろに飛び退る。その体勢のまま、鋼刺の山荒の棘を大ムカデの顎に打ち込んだ。
大ムカデはのけぞるように伸び上がって、大きく頭を揺らした。
その隙に、リオンがソフィーの隣に立つ。リオンの背がソフィーの肩にぶつかった。それぞれに大ムカデの動きを警戒しながら、言葉を交わす。
「セティは?」
「あれは写し。本物じゃない」
リオンの短い問いかけに、ソフィーも短く答える。リオンは注意深く大ムカデの様子を見ながら、そうかと頷いた。
「ソフィー、お前は写しを追え。こいつらは俺がなんとかするから」
「それは……でも!」
ソフィーが反論するよりも前に、大ムカデが顎を開いて向かってきた。ソフィーは地面を転がって、大ムカデの体の下に潜り込む。
リオンは山荒の棘を放ちながら、横に跳んだ。大ムカデはリオンに狙いを定めて頭を動かす。もう一体の大ムカデもリオンの動きを追いかけていた。
「俺なら大丈夫だ! 疾風の大鷲を開けば勝てる!」
「でも!」
ソフィーは跳鳴虫の鳴き声を響かせる。大ムカデが二匹とも、音の出所を探るように頭を動かした。
「とにかく写しを追うんだ! セティもきっとそこにいる!」
ソフィーは大ムカデの体の下から這い出すと、リオンを振り返った。リオンは二体の大ムカデ相手に、鋼刺の山荒を構えて立っている。
写しを追いかけるなら、二体ともリオンを狙っている今が好機だ。でも、本当にリオンを置いていってしまって良いものか、ソフィーはためらっていた。
リオンは向かってくる一体に棘を撃ち込んで、地面を転がる。そこを狙ってきたもう一体は、転がってかわす。
ソフィーはリオンに向かって一歩踏み出しかけた。
「ソフィー! 行け!」
地面を転がりながら、リオンが叫ぶ。その声に、ソフィーは足を止める。リオンの叫び声には、確かに覚悟があった。
(リオンの覚悟を無駄にはできない!)
ソフィーは拳を握り締める。
「リオン! 無事で!」
「すぐに追いつく!」
迷いを振り切ってリオンに背を向けると、ソフィーは走り出した。せめて最後に、と跳鳴虫の鳴き声を奥から響かせる。
それがどれほどの隙を作れたかはわからない。それでもソフィーはもう、振り向かなかった。
音迷の跳鳴虫はひと鳴きしたあと、ぴょんぴょんと跳んでソフィーを追いかけると、肩に飛び乗った。
「閉じろ」
ソフィーは走りながら音迷の跳鳴虫を閉じる。肩の上の跳鳴虫はぼんやりと光る。
その光はソフィーの手のひらの上に集まって、本の姿になった。手早く道具袋に本をしまう。
ソフィーはもう振り返らない。リオンの覚悟を受け取って、ソフィーも覚悟を決めたのだ。
(今は写しを追いかける! そしてセティを見つける!)
星灯の蛍が照らす中、ソフィーは出口の光を目指して走る。
光がだんだん大きくなってくる。眩しさに、ソフィーは目を細めた。
「閉じろ」
じゅうぶんな光量を感じて、ソフィーは走りながら星灯の蛍も閉じた。この先何があるかわからない。本の力はできるだけ温存したい。
そしてソフィーは、光の中に出た。
洞窟の外も空気はじっとりと湿っていた。重たい空気が肌を撫でる。
石混じりの地面はあちこち苔に覆われている。周囲にはソフィーの背よりもずっと大きいシダ植物が生えている。シダ植物はまるで木のように伸びて、葉を広げ、空を覆い隠していた。




