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ブックワームは書架へ潜る  作者: くれは
第十章 毒霧の海月(メデューズ・ドゥ・トキシック)
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65 雷光の羊(ムトン・エクレル)

 セティの足元に、羊が現れた。真っ白でもこもことした立派な毛並みの、大柄な羊だ。ジェイバーが開いたときの毛の塊とは全然違う。しっかりとした四つ足で床に立っている。


「あれが、本当の姿……」


 ジェイバーがぽかんと口を開いて、羊の姿を眺めていた。

 その毛並みは帯電していて、常にぱちぱちと弾けるような音がしていた。セティが手を近づけると、その手と羊の体の間でばちっと音がして稲妻が走った。

 セティはその使い心地を確かめるように自分の手を握ったり閉じたりしていた。


「どうだ? 使えそうか?」


 リオンの言葉に、セティは小さく首を振る。


「まだ……よく、わからない。でも、ソフィーが言ったんだ、きっとなんとかできるはずだ」


 セティは風が渦巻く向こうに手のひらを向ける。その指先から青い稲妻が伸びる。けれどそれは近くの毒霧の海月メデューズ・ドゥ・トキシックに届く前に消えてしまった。

 セティは大きく息を吐く。


氷華の兎ラパン・ドゥ・ジーヴルよりも難しい……遠くまで行かない? 違う、何かあれば遠くまで広がるはずなんだ、でも……」


 小さく呟きながら、セティは足元の(ムトン)を見下ろした。(ムトン)もくいっと顔をあげてセティを見上げる。


「もう、俺の知識なんだ」


 セティは(ムトン)を睨みつけるように、ぎゅっと拳を握る。


「絶対に使いこなしてやる!」


 力が入ったその肩を、リオンは軽く叩く。


「だから、そうやってひとりで考え過ぎるなって」


 はっと力を抜いて、セティが振りあおぐ。リオンは苦笑して、顔を覗き込んだ。


「セティのイメージでは、その稲妻みたいなのはもっと遠くまでいくんだな?」

「そう、なんだ。多分何か……こう、目印? みたいなものがあれば、そこまで届く気がする」

「目印ね……」


 考え込むリオンに、意外なところから声がかかった。


「あの、ソフィーさんが……」


 クレムだった。クレムがソフィーの掠れた言葉を聞き取って、繰り返す。


「棘を使って……って」

「棘……山荒(ポーキュパイン)の棘か!」


 リオンが手を持ち上げる。その腕を伝って、肩に乗っていた鋼刺の山荒メタルソーン・ポーキュパインが手首まで移動してくる。その体の上に、金属の塊が浮かぶ。


「セティ! この棘を目印にするんだ! できるか!?」


 一瞬だけ遅れて、セティは頷いた。その頭上で、羅針盤の金糸雀(コンパス・カナリア)が鳴いている。リオンは金糸雀(カナリア)の鳴く方に腕を向ける。

 ヤマアラシの体の上に浮かんだ金属が、鋭い棘の形になる。

 セティはその棘と自分を結ぶようなイメージをする。結ぶのはもちろん、雷光の羊(ムトン・エクレル)の稲妻だ。ばちばちっと白い光がセティと棘を繋ぐ。


「いける! そのまま撃ってくれ!」


 セティの声に、リオンは再度金糸雀(カナリア)の声に合わせて向きを調整して、棘を稲妻ごと放った。

 稲妻が、走り抜けてゆく。稲妻はセティと棘を繋ぎ続けた。その間に漂っていた毒霧の海月メデューズ・ドゥ・トキシックが、ぼうっと光になって消えた。

 稲妻が通った後は霧が晴れて、そこだけ道のように見通しが良くなっていた。すぐに周囲の海月(メデューズ)たちが漂って、その隙間も埋まってしまったけれど。

 金糸雀(カナリア)が体の向きを大きく変えて歌を奏でる。


「向きが変わった……ってことは、この向こうにいたやつには当たったってことか?」

「多分、な」


 セティの呟きにリオンが応える。それから顔を見合わせて、頷きあった。

 できるという手応えが、二人の間にはあった。それは希望になって、二人の顔を明るくした。


「よし、じゃあ次だ!」

「ああ!」


 リオンが鋼刺の山荒メタルソーン・ポーキュパインを構える。その上に棘が作られはじめる。

 セティは大きく頷いて、また自分の体から伸びる稲妻をイメージする。セティ自身だけじゃない、隣に立っている雷光の羊(ムトン・エクレル)からだって、その雷は生まれる。

 生まれた雷は、どこまでも飛んでゆく。棘が真っ直ぐに飛ぶ、それを追いかけて、ずっと向こうまで。そして、毒霧の海月メデューズ・ドゥ・トキシックを撃ち落とすのだ。

 繰り返すうちに、目に見えて霧が薄くなっていった。

 セティの体の輪郭が、ぶれる。残された力が少ないのはセティ自身にもわかっていたし、リオンにも想像ができた。それでも二人は、諦めずにその力を放つ。

 そして何度目か。

 稲妻の通り道──晴れた霧の向こうに、トワジエムの姿が見えた。トワジエムの手の甲には、棘が刺さっていた。その傷口は火傷したようにただれ、インクのように黒い液体が流れ出ていた。

 リオンは何も言わずに、トワジエムに向かって山荒(ポーキュパイン)を構える。その棘と、セティが稲妻によって結ばれる。

 次の山荒(ポーキュパイン)の棘をトワジエムは上体をひねってかわした。その頬を掠める。その通り道に稲妻が走った。

 通り道に漂っていた海月(メデューズ)が稲妻に巻き込まれ、光になって消える。トワジエムの頬と銀色の髪の毛が焼けた。


「あーあ、傷ついちゃった。シジエムに怒られるな」


 傷ついたというのに、トワジエムは気にしていないかのような態度で手の甲に刺さっている棘を抜いた。

 それから傷ついた右手を持ち上げる。その手のひらの上で、ぼうっと光の塊が生まれた。その光は形をかえ、やがてリオンが構えているのと同じ姿の山荒(ポーキュパイン)になった。


鋼刺の山荒ポルケピック・デ・エピン・ダセィエ──こんな感じかな」


 トワジエムはリオンが放つのを真似して、金属の棘を放った。それは真っ直ぐにセティを目指して飛ぶ。

 避けきれなかったセティの腕に、棘が刺さる。セティは痛みに顔を歪めたが、奥歯を噛み締めて耐えた。


「こんなことしたって! これも虚構(フィクション)だろう! これで傷ついたりしない!」


 セティが腕に刺さった棘を抜くと、棘は光になって消えていった。

 トワジエムは楽しそうに笑う。


「そりゃあもちろん、僕が扱うのは虚構(フィクション)だけどね。虚構(フィクション)しか扱えないわけじゃない。

 僕の手には今、本物の棘もあるんだよ。次は避けなくて、本当に大丈夫?」


 くすくすと笑って、トワジエムは左手を大きく動かした。数が減っていた海月(メデューズ)が、また数を増やす。

 トワジエムの姿が、たくさんの海月(メデューズ)の中に消えてゆく。




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